必見・「ウクライナ侵攻が変える世界 2014 対立の原点」。今回戦争の直接的原点2014年の政変、ドンバス・クリミアについて生々しい情報が盛り込まれた2014年5月放送ETV特集「歴史と民族から考えるウクライナ」を再放送。今回、道傳愛子さん解説つきで3月24日(木)午前0:00(というか23日水曜深夜0時)再放送予定。配信もあり。

NHKはここまでの理解が、コンテンツがあったのに、3/19まで、なぜ、この知識を、この内容をきちんと伝えなかったのか。そして、なぜ19日に放送することにしたのか。

これを見ると。いろいろ考えてしまう。例によって、僕の感想をときどき織り込み差しはさみながら、番組実況文字起こし。


初めに、ゼレンスキー、プーチン、両大統領の映像と言葉が紹介されます。

ウクライナ各地での激しい戦闘と破壊された街、逃げ惑う人比殿映像

「ヨーロッパ全土に広がったあの戦争から77年。世界はまた岐路に立たされています。」

ゼレンスキー大統領。ウクライナ国旗のある大統領執務室らしき場所で、きちんとスーツにネクタイ姿で。戦争前の映像「もし軍隊が侵攻し、誰かが我々を脅かし自由や命、特に子供たちの命を奪おうとしたら、我々は自分自身を守るのみだ」

ナレーション「プーチン大統領は侵攻直前の映像で、いらだちを露わにしました。

プーチン大統領も、執務室から「8年間だ。私たちは終わりの見えない8年ものあいだ、平和的・政治的手段で事態解決のために手を尽くしてきた。すべては無駄だった」

ナレーション「8年の間に何があったのか。2014年に放送したETV特集をもとに、危機の深層を読みときます。」

今、現在のスタジオで、

道傳愛子さん(NHKの良心と知性の象徴みたいな存在になったなあ)
「ウクライナの危機の源流を探るため、今日は。2014年に放送した番組をもとに、ロシアやウクライナを取材した井上一洋解説委員と検討します。
2014年番組が放送された当時、親ロシア派の大統領が革命で失脚、暫定政権が発足していました、そしてロシはすでに3月にクリミア半島を併合、そうした状況のもとで、ウクライナは暫定政権の下で、新しい大統領を選ぶ選挙の直前、というタイミングでした。今日のウクライナの情勢を理解するために、ウクライナのこうした歴史、国の成り立ち。ウクライナの人たちの思想や文化に注目した8年前の番組に手掛かりがあると思うのですが、当時、現地を取材された石川さんはどうお考えですか?}

石川「当時も大変な混乱の中にあったのですが、今の戦争と言う状況と較べると、牧歌的に思える、というくらい今の状況が深刻ということです。忘れられないことがあります。取材した5月、ドネツクの立派な飛行場があり空港封鎖で飛ばないと足止めを食った時に、家族連れが、小さな女の子を連れて、トルコに休暇で旅行に出かけようとしていて、私同様「飛行機が飛ばない」と困っていた。でもそれくらいの日常、平和な状態だったのが、そのわずか数か月後に、その空港は破壊され、廃墟のようになった。
2 014年のマイダン革命の対立軸は、ウクライナがEU加盟に向かうのかそうではないのか、どうか、ということだったんですね。それが、ロシアの脅威を前に、マイダン革命で誕生した暫定政権はNATO加盟を国是とする、軍事同盟にほうにさらに一歩踏み出す。
 今回の戦争はプーチンの戦争と言う側面が非常に強いわけですが、この8年、ウラジミールプーチンは過去の歴史にますます囚われてしまう。ウクライナはボルシェビキが作ったとまで述べて今のウクライナの正当性を否定する発言までしてしまう。つまり歴史というものは解決策ではなくて、より対決を深める恐ろしさ。特に指導者が歴史に囚われた恐ろしさがあると思います。とはいえ日本人が、8年前の対立の根っこを理解するうえで、この番組を居間、見直すことは有効だと思います。
 

では、2014年の番組スタート


「ウクライナの混迷が続いています」

と、銃声、街路で燃え上がるクルマ、けが人、民間人と機動隊の衝突という映像に「2月の政権崩壊から3か月、国民同士の対立で死者が出る、最悪の事態が起きています。」と、ナレーションが被さる。

「いったいなぜ深刻化したのでしょうか」泣いて跪く老婆、女性たち。

「きっかけは去年11月、当時のヤヌコほビッチ大統領がEUとの協調印定を停止したことでした。ロシアとの関係を重視したヤヌコービッチ大統領の政策。これに対し、首都キエフで反発の動きを見せたのは。主に西部ウクライナの人々でした。」

「数万の人々が抗議デモを開始。、1991年の旧ソビエトからの独立以来、ウクライナ団結の象徴となった青と黄色の国旗を手に、EUへの加盟、そして大統領の退陣を要求しました」

デモのシュプレヒコールは「ウクライナはヨーロッパだ」

「しかし大統領は退陣を拒否。人々の抗議行動がエスカレートします。」

警察隊に石を投げつけるデモの人たち。

「同じころ、東部の都市ドネツクではヤヌコヴィッチ大統領への支持を訴える集会が模様されていました。」ウクライナ国旗を掲げて静かに集まる人たち。おばあさんへのインタビュー「キエフの暴動に反対です。平和的に解決すべきだと思います」「東部の人たちもウクライナ国旗を掲げ、話し合いでの解決を求めていました」

「しかし、今年二月、事態は急変します。キエフのデモ隊が大統領府を掌握し政権は崩壊します。EU加盟を目指す暫定政権が成立しました。」

「これに対し、ロシア系の住民が多い南部のクリミアで反発の声が上がります」デモ隊の映像。シュプレヒコールは「ロシア、ロシア」。「暫定政権の親EU路線に対し、クリミアの住民が掲げたのはロシアの国旗でした。」

「三月、住民投票を行い、ロシアへの編入を決定します。その結果を受け、ロシアのプーチン大統領はクリミアの編入を承認しました。」

「この直後、インターネット上に、キエフで撮影されたある映像が流されました。この映像は、東部の人たちに、暫定政権への強い不信感を抱かせるものでした。プーチン大統領の演説を放送してた国営放送の会長が辞表を書くよう強要されています。暫定政権を支持するの議員による行動でした。」

がたいのデカいヤクザみたいなのとか、ちょんまげ金髪ヘアーのヤクザみたい男たち数人に取り囲まれ、ネクタイゆるめた小男の会長が頭を殴られたり首を絞めたりされながら「座れ、この紙にペンでサインしろ」「裏切者!お前は祖国を裏切った!」って罵倒されながら無理やりサインさせられている映像が流れます。

映像は切り替わり、屋外での銃声。発砲。警官隊と人々の衝突。武装した兵士。発砲。

「東部一帯に銃声が響き始めます。親ロシア派の住民によって、警察署や議会などが占拠されました。三か月前には話し合いによる解決を求めていたドネツクでも、住民が州政府庁舎を占拠。そこで彼らが宣言したのは
『ドネツク人民共和国!!』暫定政権を認めず、独立するという声が上がったのです。その後さらに、独立の是非を問う住民投票が行われ、89%が賛成したと発表されました。ウクライナ団結の象徴だった旗は地に落ちていきます。」

と州庁舎から投げ落とされるウクライナ国旗。

「今、ドネツクなど東部の州では、明日行われる暫定政権大統領選挙の実施が危ぶまれています。ウクライナは今、分裂の危機に直面しています。」

スタジオ映像に切り替わり、東部地方ドネツク取材の報告から、主に東部ウクライナの歴史・経済・ロシアとの結びつきについて。

「スタジオには四人の専門家に来ていただきました。ウクライナ情勢の、民族的、歴史的背景について話し合っていただこうと思います。」

映像とテロップで紹介。

明治大学 山内昌之さん、国際経済研究所 西谷公明さん、NHK 石川一洋京都産業大学 東郷和彦さん

まず5月1日から10日までウクライナで取材をした石川解説員に東部情勢について伝えてもらいます。

石川「私がドネツクを取材した今月前半の段階では、まさに暫定政権の統治機構と言うのが、氷が溶けるように日に日に崩壊しているというのが印象。州政府本部はもちろん、テレビ局、さらにいちばん衝撃を受けたのが治安機関、旧KGB、これはものすごく巨大な建物ですが、そこをドネツク人民共和国を唱える親ロシア派に占拠されてしまっている。(とバリケード封鎖された巨大なビルの映像)。私の取材では取材では、現地の警察は、占拠されたというよりも、人民共和国側に建物を引き渡したというのが実態に近い。つまり、正統な州政府や行政機関も、人民共和国を排除するのではなく、現地の協力とまでは言いませんが、共存している。」

司会「東部ウクライナの特徴というのは、どういう地域なんですか

石川「今回の反乱の拠点となる、ドネツク、ルガンスクっていうところはですね、ドネツクは鉄、石炭、ルガンスクは工業、ドンバスと言われてですね、ソビエト全体をも支える大工業地帯、17世紀にロシア帝国領に組み込まれたんですが、ロシア意識が強いんですね。ロシア系住民が多く、ロシア語が主要の言語、私の印象ではソビエト意識が強い。ソビエトに育てられた。「人民」という、いまどき他の共和国では使わない名前をつけて、赤旗を掲げている。住民たちも「私たちはソビエトの子供だ」というんです。そういう人たちが、キエフでの革命への反発から、ドンパスの自立を訴えているんだろう。」

司会「東郷さん、東部の住民が西部を中心とした政権に反発したのはどういうことなんですか。」

東郷(91年ソ連崩壊のときの外務省ソ連邦課長)「ひとつは、東部の住民が非常に重視しているのは、言葉。私なんかがテレビを見ていても、東ウクライナの人たちはロシア語、完全にわかる。西の人たちはウクライナ語。暫定政権は、ウクライナ語を唯一の公用語をウクライナ語にすると。去年の暴動のときに、事態がいちばん先鋭化して、クリミアに飛び火したいちばんのきっかけは、公用語のひとつだったロシア語を廃止方針を発表したこと(。抗議されて一度撤回)<なので、暫定政権がロシア語が残るかがひとつの大問題、焦点。」

司会「今回、力で政権を追われたということへの反発はあるんですか」

東郷「今年の2月に向けて、キエフで起きたこと。ヤヌコビッチはたしかにいろいろ問題はあるが、正規の選挙手続きで選ばれた大統領。それをですね、デモで、武力を使って叩いた。それは東部の人間からするとすごい危機感。加えて、言葉の問題。そういう対立、危機意識が、クリミアに波及したと考えられます。」

司会、「西谷さん、経済の話、経済格差の問題と言うのは今回の問題にどう結びついているのですか」

西谷(元・ウクライナ日本大使館専門調査員・エコノミスト)「西部は農業を中心とした貧しい地域で、欧州からの投資が増えれば豊かになれるだろうという期待を持った地域。これに対し、東部はもともと鉄鉱石石炭と重工業で帝政ロシアの重工業の一翼を担い、今もロシアとの結びつきが強く、人口は30%だが、GDPでは四割強。鉱工業生産では五割。東部の反発の経済的背景は、暫定政権の欧州より、反ロシアの政策で、ロシアとの良好な関係が損なわれると、生活の基盤が壊れてしまう、という危機感がある。」

西部ウクライナ人の歴史、古くからの大国支配・ふたつの世界大戦の中での迫害と宗教的背景解説。ウクライナのナショナリズムについて。現代のカナダウクライナ移民コミュニティと、カナダ政府と暫定政権の関係について。

司会「つぎは、東部の反発を受ける西部ウクライナの人の底流にある思想考え方を見ていきたいと思います。」

VTRへ 激しい暴動の映像を背景に

「EUへの加盟と大統領退陣を求めて行動したのは西部ウクライナの人々でした。ウクライナ民族主義を掲げる勢力も加わってヤヌコビッチ政権の打倒を果たしました。」

カナダの映像

「実は、この革命の大きな支えとなったのは、カナダの人々でした。今年四月トロント郊外のサッカー場、ウクライナ支援のためのチャリティーサッカーが行われていました。19世紀末から多くのウクライナ人が異常下カナダにはとその子孫のウクライナ系住民およそ140万人がくらしています。}

サッカー大会であいさつする団体役員「キエフでの革命の犠牲者に黙とうを捧げましょう」

「治安部隊との衝突で亡くなった市民に哀悼の意を表しています。この日の主催者はUCC(ウクライナ・カナダ会議)という市民団体です。所属している人の多くが西部ウクライナにルーツを持ちます。」

UCCのデモの様子VTR「プーチンはウクライナから手を引け!!」

「UCCは去年11月からカナダでデモを行ってきました。プーチン政権の横暴への抗議や、暫定政権への支援をあつくっ堪えてきました。」

「今年三月、カナダのハーパー首相はキエフを訪問しました。G8構成国首脳としては初めてのことでした。ウクライナの暫定政権ヤツィニエク首相と会談し、ロシアにウクライナから手を引くよう求めていくことで一致。暫定政権への全面的支持を表明しました。

ハーパー首相演説「ウクライナが独立国家であることを私たちはあらためて確認したい。ウクライナの平和な未来と自由のためカナダは支援を惜しまない。ウクライナに栄光あれ」

「実は、こうした一連の動きをおぜん立てしたのは、UCCの代表ポール・グロット氏でした。UCCが暫定政権樹立前から、カナダ市民から集めた金額は110万ドルに及びます。暫定政権支援の動きの背景には、西部ウクライナの独特の歴史がありました。」

グロット氏インタビュー「ウクライナはこれまで何度も『非ウクライナ化』を強いられてきました。ウクライナ人をロシア化したりポーランド化したりする企てです。私たちは自らの文化を守り、自らのことを誇りに思いたいだけなのです。世界のだれもが願うこの気持ちを20年間持ち続けてきました。しかしロシアが再び力をつけかつての帝国を復活させようとしているのです。」

ウクライナの17世紀半ばの地図。キエフ、ドニエプル川を境に「西はポーランドに、東はロシア帝国に支配されていました」、南部クリミアと沿岸は別の色に塗り分けられている。

「第一次大戦後、ソビエトが西部ウクライナ一部がソビエト領になる。その過程で、ソビエトが農民からのうち取り上げ、食料を奪ったため、多くの農民飢饉で餓死で多くの死者がでた。さらに第二次大戦の過程で、さらに西部のガリツィア地域を占領。激しい迫害が行われた。」

カナダエドモントンの映像

「今も迫害の記憶はが人々の脳裏に鮮明に刻まれています。14万人というカナダ最大のウクライナ人コミュニティを抱えるカナダエドモントン。ウクライナ系カナダ人が足しげく通うセントジョージ教会。この日、一年でいぢばん大切な復活肺の礼拝が行われていました。彼らが侵攻するのはギリシャカトリックです。ギリシャ正教徒カトリック両方の流れを汲むガリツィアの宗教です。自ら文化を守りそれを誇りにしてきたガリツィアの心の支えになってきました。」カナダの信者たちのインタビュー若い男性「教会で私たちはひとつになります。ウクライナとの絆を実感するのです。」母と娘「家ではウクライナ語を話します。私が学んできたしきたりを受け継いでほしいからです」

「今、カナダに暮らすウクライナ系住民は、ガリツィアなど東部ウクライナから移り住んだ人の子孫です。かつてソビエトに迫害された飢饉の記憶を持ち続けている人たちです。ウォルターブリタ―さんも第二次大戦の時の記憶を抱える移民の一人です。1941年、ナチスドイツがウクライナを占領。1943年から4年にかけ。当初劣勢だったソビエト軍は再びウクライナを占領。ガリツィアもソビエトの支配下に入ります。ポールさんの記憶はこのときのものです。「ロシア人たちは銃を突き付けて「牛をだせ」と言いました。「子どもにミルクが必要です」と泣いて訴える人を「バーン」と撃ち殺して牛を奪っていきました。」これに対し、ガリツィアの住民が立ち上がります。ウクライナ蜂起軍というゲリラ組織で、ソビエト軍を苦しめました。(抵抗軍の映像) ソビエト軍は勢いづく蜂起軍の力を削ごうと、それを支える住民のコミュニティを弱体化させようとします。このとき彼らの宗教を禁止します。こうした泥沼の戦闘と迫害の中、多くの住民がカナダへと移住しました。ウォルターさんは両親と妹と共に親戚のいたエドモントンに移り住みました。やかでウォルターさんは同郷のイレーヌさんと結婚しました。スターリン時代、ソビエト崩壊のとき、そして今回の政変でも、二人はウクライナがロシアの影響下におかれることを常に心配してきました。「スターリンが現れて問題が生じました。それは現在のウクライナの上記用にとてもよく似ていると思います。私は支援金集めに参加しています。もちろん私一人ではなく、私の属するグループのことですが一晩で10万7千ドルを集めてウクライナ軍に送りました。たった一晩で。」

司会「西がギリシャカトリック、東が正教、この宗教対立が今の政変、混乱の背景となっているということはあるんですか?}

山内(明治大学特任教授 宗教や民族問題に精通「宗教や文化が紛争の基盤、記憶につながさつていく要素です。ギリシャカトリックの人は、カトリックとのつながりからEUへの親和性というものがある。ただし、現代にはそれらが経済、政治と結びつきますから。しかし、魂が、西欧に引っ張られる、ロシアに引っ張られる、あるいはウクライナ独自の道を求める、そういうこと様々なことが。ナショナリズムという解釈をめぐっておきていると言えると思います。」

司会「石川さん、もうひとつ、ロシアとウクライナの間、旧ソビエトからロシアに代わったところとウクライナの間には歴史的に反発を説明してもらえますか」

石川「第二次大戦が始まった後に、当時、ポーランド領だったところをソビエト連邦が占領した。そのときはじめてガリツィアがソ連に組み込まれた。そこがロシアへの反発を強める。さらに複雑なのは、そこにナチスドイツが攻め込んだときに、ウクライナ民族主義者は、ナチスドイツに協力した。という歴史もあるんです。彼らにしてみれば、ソ連は占領者ですから、それに抵抗するために、ナチスに協力せざるを得なかった・。しかしそれはソ連から見ると、さらなる裏切りだと。という複雑な歴史を持っているんですね。今のプーチン政権は、第二次大戦の処理と言うのは、ものすごい正義の戦いである、今のロシアの愛国心の基盤にしようという立場からすると、ナチスの側に立ったウクライナ民族主義と言うのは、敵の中の敵になるわけですね。今、独立広場に行くと(マイダン革命部隊)に行くとバンデーラ主義(ナチスに協力したウクライナ民族解放運動の指導者)の赤と黒の旗があちこちに掲げられている。ソビエトのKGBにドイツで暗殺されたんですけれど、バンデーラは今のロシアでは、ナチスの協力者ですけれど、西部ウクライナでは民族独立の英雄、ということなんですね。」

山内「きみの英雄は、あなたの悪役という、どちらから見るかで全く違ってくるんですね」

司会「ウクライナ人もロシア人も、どちらももともとスラブ民族ですよね。それが今、戦うというのは。私から見るとよくわからないのですが、」

山内「ネーションというものをどう見るか、ということで違うんですね。スラブという意識が高まるときと。国民国家的というナショナリズムが高まれば「ウクライナ」「ロシア」「ベラルーシ」という狭いナショナリズムに焦点が当たる場合がある。そしてその場合「支配される民族のナショナリズム」と「支配する側のナショナリズム」は違うんだということ、抑圧する立場に立たざるを得ない側。抑圧される側は自分たちの自分たちの生存の権利を控えめにしか訴えられなかった。ナショナリズムといえども一つではない。」

石川「連邦崩壊後、今起きていることは、ウクライナのネーション・ピルディング(国民意識の形成)だと思うんですね。日本人は生まれた時から「日本人」という意識があるけれど、ウクライナ国民と言う意識が、今、血みどろになりながら作り上げている苦しい過程なんだと思うんですね。」

東郷「90から1991年、ゴルバチョフの改革が効力かなくなってきて、民族問題が起きて、緊張した雰囲気が出てきた。ソ連課長だった時、戦争が起きるかと慌てた。しかし、クーデターの結果、エリツィンがロシア連邦という緩い連携は残す。クリミアにいたゴルバチョフが出てくる。エリツィンが、ウクライナの独立を「どうぞどうぞ」と言った。かろうじて戦争が起きないですんだ。」

山内「もっと大きな歴史のパースペクティブでいうと、ロシア帝国が崩壊しソ連邦が多民族国家として再編成した。それがまたソ連という帝国がまた崩壊する。それは政治的なことで、民族、国民国家の問題、民族、宗教のことも含め、またでできているとみることができる。」

「愛国的な感情が広がっているといことを感じた。友人の1人が筋金入りの愛国者、反ロシア主義者になっていた。ホテルのロビーで待っていたら、戦闘帽を被った、戦闘ブーツをはいたそういう姿でやってきた。ホテルの人は、外国人の私とその愛国者が抱き合っているのを見て、みんなほっとしていた。つまり、キエフの人たちは愛国者の気分と同調して私たちの様子を見ていた。そういう愛国的気分が広がっていると感じた。民族主義というよりは、国を愛する、愛国心、という気持ちだと思う。」

山内「愛国心というのはもともと郷土の風景への愛郷土心、それは健全にはっきされれは問題は無いが、他者を排除する力によって愛国心が判断されるようになる。愛国心が他者との関係で他者を尊重するように機能するか」

クリミア問題。ロシア人にとってのクリミア。クリミアの歴史と民族構成からくる、現状の問題点

司会「では、次はロシアによって編入されたクリミアについてみていきましょう。クリミアについてみることでロシアの意志についても考えていきます」

VTRとナレーション。クリミアの街角に現れる黒ずくめの集団
「クリミア半島で所属部隊を示す腕章を外し正体を隠した謎の武装集団が現れたのは、暫定政権樹立直後の二月のことでした。」

様々なビルに侵入して制圧している集団の映像

「この一団はウクライナ軍の拠点を次々と包囲。圧倒的な軍事力を背景に軍人を追い出し施設を占拠をしていきました。」

ウクライナ軍大佐「我々にはどうすることもできない」

ウクライナ軍が手も足もでなかったという謎の武装集団。装備や訓練の熟練度からその正体はロシア軍と言われています。装甲車の車体にはこんな文字も。「ロシア軍への入隊はこの電話番号へ」

走り回る戦車の映像

「さらにロシア軍はウクライナとの国境付近でさかんに軍事演習を行いプレッシャーをかけ続けました。事実乗にロシアの影響下に置かれたクリミア。自治共和国議会は住民投票の実施を決定します。」

「ロシア系住民が過半数を占めるクリミアです」「クリミアの民族構成 ロシア58%  ウクライナ24%  クリミア・タタール12%」のテロップ

「ロシアへの編入か、ウクライナ残留かが問われることになったのです。そして3月16日の住民投票。実に96%という予想維持用の賛成票を獲得しロシア参入が選択されました。」

ロシア国旗を掲げて集まる大群衆。

クリミア自治共和国アクショノフ首相「我が家であるロシアに帰ろう」

しかし、この住民投票に対する反発の声も上がりました。古くからクリミアに住み、イスラムを信仰するクリミア・タタール人です。今回彼らは投費用をボイコットしました。青年へのインタビュー「誰にもクリミアを渡さない」

「住民投票の二日後、ロシアのプーチン大統領は、30分以上にわたる演説を行いました。クリミアのロシア編入を承認すると発表したのです。」

プーチン「クリミアとセバストポリは1954年にウクライなに移された。しかし固有の領土であることは揺るぎのない事実だ。」

「クリミアが戻ってくる。歓迎の拍手はいつまでも鳴りやむことはありませんでした。人々の目に涙がありました。」

ロシア人の式典会場の女性たちがみな涙を流している。

スタジオに戻って。司会。、「東郷さん、ロシアにとってクリミアは地政学的な重要性と共に、それとともに、この涙にみられるように、精神的な、心を揺さぶられるようなものがあるんですね」

東郷「1783年、エカテリーナ大帝のころにロシア領に組み込まれるんですね。ただそれより、クリミアについて覚えておかなきゃいけないのは、1853年から1856年のクリミア戦争。これがロシア人の、今のDNAの中で、民族の叙事詩なんでね。トルコ、イギリス、フランスの連合国と戦って、セバストポリと言う要塞軍港をめぐって攻防戦があって、戦って、初めは負けるわけですね。ロシア軍が負けて、そのときに例えばここにトルストイが従軍して、「クリミア戦記」と言うのを書いて、それが彼の文学デビューになり、たくさんの画家が行って、この戦争を書いて、このクリミアと言うのが大切なもので、中でもセバストポリが民族の叙事詩であり、そこが後にロシア黒海艦隊の海軍の母港になり、その記憶は去らないわけです。そうすると、あの先ほどの映像の涙は嘘ではない。そのクリミアを無血で取り戻したということで、プーチンに対するロシア人の評価は半端でないものがある、これが政治的事実だと思うんですね」

司会「しかしロシア支配の前からクリミアにはクリミア・タタールかがい住んでいたんですね」

井上「モンゴルの一部であるクリミア・ハン国と言う非常に強い国が15世紀にここを支配して、それからオスマントルコの保護国になって、それをロシアが奪って、ロシア領になったと。、」

画面はクリミアの歴史年表。15世紀クリミア・ハン国建国 18世紀後半ロシア帝国領に(露土戦争) 19世紀半ばクリミア戦争 1918年ソビエト領に 1954年ウクライナに移管

山内「タタール人たちにすれば露土戦争で露土戦争で国を失ったと。彼らにとっての懸念はスターリン体制化のような大ロシア主義、ウクライナ人以上の抑圧、スターリン時代のような、悪魔のような圧迫が繰り返さないか」

国際社会の対応・反応

司会「このロシアのクリミア編入に対して最も強く反対したのが欧米諸国です。続いては、ウクライナ情勢についての国際社会の対応を考えていきたいと思います。」

VTRはまず、国連安保理から。

「3月19日の国連安保理。その席上で、クリミアの住民投票の結果についてアメリカの代表はロシアを激しく非難。
パワー国連大使『住民投票を経てもクリミアの法的地位は変わらない。泥棒は財産を盗むことはできてもその所有権は認められない。』
ロシアの チュルキン大使『わが国に対する侮辱は許すことができない。』

オバマ大統領映像

「アメリカは自国内にあるプーチン側近の資産を凍結すると発表。アメリカの強硬姿勢にヨーロッパも追随しましたが、ロシアとの関係の深いヨーロッパ各国にとってはロシアへの経済制裁は苦しい決断でした。

欧州三首脳

フランスは、1600億円の軍艦をロシアに引き渡す契約をいまだ破棄していません。

ドイツは福島原発以降の脱原発ゼロ政策で、その代替燃料としてロシアからの天然ガスを当てています。

中でもイギリスは金融市場がロシアンマネーで支えられており、それを失うことは大きな痛手です。

各国こうした痛みを抱えながら、厳しい退路を取りました。

イギリス キャメロン首相 議会演説
「ロシアがこれ以上の行動を続けるならG8からの締め出しを考えるべきだ」

欧米首脳のなごやかな会議風景
「3月の核セキュリティサミット。欧米は7カ国で会議を開きました。実質的に、ロシアのG8締め出しです。そして今もロシアに対する強硬な姿勢を崩していません。」

スタジオに戻って
司会「まず山内さん、このクリミアを併合したロシアに対する欧米の厳しい姿勢をどう考えますか。非常に強い反発、危機感から来る厳しい反発を」

東郷「今、基本的に起きている、あるいは起きようとしていることは、第二次世界大戦後、良かれあしかれ、冷戦を経由担保してきた平和と秩序の枠組みが、領土や主権の一方的な変更によって崩れるということに対する危機感が根底にあるんだと思います。もっとさらに考えられるのは、東ウクライナ、あるいは西ウクライナの極端な人びと、このナショナリズム、この健全性を失い、危険な分裂性や侵略性を増すことによって、誰もが制御できないようなアンコントローラブルなところにいくことによって、分裂というものが、内戦状況に陥る。それが近隣諸国を巻き込む紛争から局地戦に発展していく、ということになりかねない。ということをいかにして止めていくか、と言うことに、欧米の危機感がある。ということだと思われます。」

東郷「私たちが考えるべき一番大切な意味は、ウクライナ、クリミアの持っている現時点における国際政治上の意味です。一部には冷戦の再興と言っていますが、25年前の冷戦終了時点と今とでといちばん違うのは、中国の台頭です。ウクライナ問題をG7でロシアを叩いた結果の、いちばん悪い結果は、ロシアを中国に押しやることです。このユーラシア大陸における本当の意味での中ロ同盟と言う、必ずしもロシアが望んでいないものに押しやるというのは最悪の選択だと思います。ヨーロッパとアメリカは、それに対して対峙しなきゃいけないけれど、日本も対峙しなきゃいけない。なぜかというと、西欧とアジアの間にあるふたつの国だから。ロシアと日本には共通性があるから。ピーター大帝以来の西欧化。明治維新以来の西欧化。それ以前のスラブ文明。日本は日本の文明。だから、G7の中で、日本は最もロシアと対話をし、中国におしやらないための役割を果たすべきだと思っている。期待されていると、果たせると思う。」

司会「では、ウクライナはどうすればいいと思いますか」

東郷「ある種の連邦制。ウクライナとしての統合性を保ちながら、東と西の違いがそれぞれ反映される。それがいちばんおさまりがいいと思うんですけけれど」

西谷「要するにこれはウクライナの人々自身の問題。東西の違いを克服してひとつの国としてのまとまりを作れなかった中で、今回も経済が行き詰まり、崩壊している。それを外国からの借金。経済再建にはやることは通貨の切り下げ、身の丈にあった経済と生活。急激にロシアと断絶したら恐慌にもなる。」

井上「ウクライナと言うのは異なる歴史と文化を持つ特色ある地域が集まった国がウクライナ。それがなぜ対立しなきゃいけないのか。それが一緒にひとつの国になる。たとえばドイツと言うのは19世紀にはまだひとつの統一した国はなかったわけです。カナダはケベック州と言うフランス語を公用語とするすごく大きくて強い地方を持ちつつ、ひとつの国としてまとまっている。ドイツもカナダも、強い地方があっても、ひとつの中央権力で国家としてまとまることになんの妨げにもならない。私は、ウクライナ人のためのウクライナと言う、狭い意味でのナショナリズムでなく、ロシア人も含む、ロシアのような大きいが故の強権的なスラブ国家に対し。ウクライナは、民主的で寛容な(ウクライナ人もロシア人も受け入れる)多様な民族が共存するスラブ国家という方向を示していけば、ウクライナには大きな可能性があると確信しています。」

司会「みなさん、有難うございました。」

2014年の番組は終了。

「その後ウクライナでは、EU・NATO加盟への道を明記する憲法改正を実施
2019年に就任したゼレンスキー大統領もその路線を踏襲した」

とテロップが入り

ここから、井上一洋論説委員と、道傳愛子さんがまとめのトークに。

道傳「改めて今、見ますと、この八年間でウクライナの人たちの国民としての意識の高まりが見て取れたように思うのですが」

井上「この八年間において、東部においてもウクライナの国民意識が強固になっていったことについて、プーチンは理解できていないと思うんですね。長い視点で見るとソビエト連邦が崩壊して去年の12月で30年になりますけれど、ウクライナなどのソビエトを構成した国は、帝国の一部からネーションステーツ(国民国家)への移行を進めた。ところがロシアだけは、ソビエト連邦の継承国で、ネーションステーツではなくて帝国というアイデンティティを保っています。ソビエト連邦の崩壊と言うのは、あれだけ巨大な帝国の崩壊でありながら、比較的平和裏に行われた。当時のロシア、エリツィン大統領とウクライナのクラフチェク大統領が、いろいろな不安不満はあるけれど、ソビエト時代の境界を国境としようと、英断をした。それから30年たって、そのとき避けた戦争が起きてしまった。帝国の継承国と、新たに生まれたネーションステートの戦争と言う意味では、帝国崩壊の最後のうめきと言えるかもしれません。またウクライナにとっては、ネーションビルディングを確立する戦いと言えるかもしれません。」

道傳「そうした複雑な国柄、土地柄がある中で、冷戦後のロシアと欧米の思惑がぶつかり舞台になって、今日につながる事態になったということでしょうか」

井上「私は、94年12月のある署名式の映像を最近改めて見てみました。ウクライナが核兵器を放棄したブダペスト覚書の署名式なんですが。ブダペスト覚書は、ウクライナが核兵器を放棄する見返りとして、アメリカ、ロシア、イギリス三カ国がウクライナに安全の保障を与えるという内容です。」

調印式映像が流れる。

井上「映像では主人公であるはずのウクライナの大統領の書名は素通り、アメリカのクリントン大統領とロシアのエリツィン大統領にだけフォーカスしていると。核兵器の放棄だけに焦点があたって、それと同等に大事なはずの、ウクライナの安全保障、ロシアも含めた安全保障の枠組みの構築ということを国際社会が忘れていた。取材をした私も含め、おろそかにしていたということを痛感いたしました。今回の戦争は、核兵器大国のアメリカとロシアの対立、代理戦争という側面もあります。アメリカのバイデン大統領は、プーチン大統領のことを「戦争犯罪人」と呼び、ウクライナへの軍事支援を増やしています。ただ直接の軍事衝突につながる飛行禁止区域の設定は慎重に避けています。一方、プーチン大統領は核戦力即応体制を高め、核の力を強調して、欧米の軍事支援をけん制しています。戦争が核戦争へエスカレーションするの危険性は、考えたくないことですが、たしかに存在すると言わざるを得ません。一方、ロシアとウクライナの停戦交渉も行われ、ロシアから見ればウクライナの軍事的中立化、ウクライナから見ればウクライナの安全の保障。そのふたつがすり合わせることができるかが焦点となりますウクライナでの人道的危機を何とか食い止め、戦争のエスカレーションを止めるためにも、平和への意志が今ほど求められるときはありません。」

番組文字起こし、おしまい。ここから僕の意見感想。2014年には放送可能、語ることができて、2022年の今の日本のテレビでは放送されない、語られない要素をチェックしていくと、いろいろと見えてくることがある。

最後の道傳さんと井上さんの対話で、現状についての良識的見解、としてはまったく正しいと思うので、そういう視点ではなく、「現在の日本テレビ放送、報道」との比較、何が当時は語られていたのに、今は語られないか、についての視点で「放送批評」゜隠れたプロパガンダという視点で分析していきたいと思います。僕はここのところずっとドイツZDFとイギリスBBCを比較して、どちらも西側の公共放送、NHKみたいな存在なわけですが、その扱うニュースや語り方を比較して、「ドイツ、EU中心国の立場」とイギリス「NATO中心国の立場」の違いを考察する、ということを分析してきた。

それと同じように、「2014年のドキュメンタリー」の中で、2022年には扱われない要素というのは何か、というのを抽出していきますね。

ポイント1  東部のロシア派の普通の人が「平和的な人」で、親ヨーロッパの側に「ヤクザのように乱暴な人がいる」という情報が、2014年の放送では普通に扱われているが、現在、そういう情報はメディアに一切、出ない。

東部の都市ドネツクではヤヌコヴィッチ大統領への支持を訴える集会が模様されていました。」ウクライナ国旗を掲げて静かに集まる人たち。
「この直後、インターネット上に、キエフで撮影されたある映像が流されました。この映像は、東部の人たちに、暫定政権への強い不信感を抱かせるものでした。プーチン大統領の演説を放送してた国営放送の会長が辞表を書くよう強要されています。暫定政権を支持するの議員による行動でした。」

ポイント2   ドネツク人民共和国は「ロシアの陰謀」ではなく「ロシア系住民・多数派」の希望から生まれたもので、現地行政も「やむなし」という態度だったこと。

私の取材では取材では、現地の警察は、占拠されたというよりも、人民共和国側に建物を引き渡したというのが実態に近い。つまり、正統な州政府や行政機関も、人民共和国を排除するのではなく、現地の協力とまでは言いませんが、共存している。」


ポイント3  マイダン革命や西部の愛国者に対する支援を、カナダが、革命以前から政権成立後まで継続的に行っていること

「EUへの加盟と大統領退陣を求めて行動したのは西部ウクライナの人々でした。ウクライナ民族主義を掲げる勢力も加わってヤヌコビッチ政権の打倒を果たしました。」カナダの映像「実は、この革命の大きな支えとなったのは、カナ-ダの人々でした。

ポイント4  その西部ガリツィアの愛国者が、やむを得ない事情とはいえ、過去、第二次大戦中にナチスと協力した歴史があるということ。

 さらに複雑なのは、そこにナチスドイツが攻め込んだときに、ウクライナ民族主義者は、ナチスドイツに協力した。という歴史もあるんです。彼らにしてみれば、ソ連は占領者ですから、それに抵抗するために、ナチスに協力せざるを得なかった・

ポイント5   マイダン革命でも、そのナチス協力者を起源に持つ集団が大きな役割を果たしたこと

今、独立広場に行くと(マイダン革命の舞台)に行くとバンデーラ主義(ナチスに協力したウクライナ民族解放運動の指導者)の赤と黒の旗があちこちに掲げられている。ソビエトのKGBにドイツで暗殺されたんですけれど、バンデーラは今のロシアではナチスの協力者ですけれど、西部ウクライナでは民族独立の英雄、ということなんですね。

ポイント6   クリミア侵攻はたしかにロシア軍の暗躍があったが、ロシア人、およびロシア系住民にとっては、クリミアは民族の叙事詩の根源のような土地であり、それを取り返したことはプーチンの評価を高めたのは事実であること。

「クリミアが戻ってくる。歓迎の拍手はいつまでも鳴りやむことはありませんでした。人々の目に涙がありました。」ロシア人の式典会場の女性たちがみな涙を流している。
 「このクリミアと言うのが大切なもので、中でもセバストポリが民族の叙事詩であり、そこが後にロシア黒海艦隊の海軍の母港になり、その記憶は去らないわけです。そうすると、あの先ほどの映像の涙は嘘ではない。そのクリミアを無血で取り戻したということで、プーチンに対するロシア人の評価は半端でないものがある、これが政治的事実だと思うんですね」


つまり、2014年の番組では、東部、西部、それぞれの地域に住んでいるそれぞれの市民住民には、歴史的にも、宗教的にも、欧州・ロシアそれぞれとの関係においても、地域ごとの差が大きかったこと。どちらか一方の勢力が政権を取り、国全体の方向が傾くと、それに反対の地域住民で不満がたまり、当初は平和的な反対運動でも、それが暴力的な反乱や独立運動にまでいきやすい、そういう特性を持った国であること。

 こうした国としての基本特性の中で、本来はだんだんと一つの国民意識に統合されていくというプロセスをたどるべきところ、その対立に「米ロ」「西側とロシア」という、ポスト冷戦時代の大国、国際政治がそれぞれを裏で支援し、煽りあったということ。

ロシア、プーチンが悪い、ということを言うために、東部のロシア系住民のことや、クリミアの住民の生活や気持ちについて、今回の戦争では、日本や西側メディアでは扱われることがほとんどない。

また、ゼレンスキー政権側を正義のヒーローにするために、政権を支える勢力の中に、かなり暴力的な愛国者の勢力が含まれている、ということも扱われない。

「東部地域のロシア系住民」は、別に侵略者として住んでいるのではなく、帝政ロシアの昔から、ずっとロシアとの結びつきの中で生活していて、たまたまロシアからソ連時代に国境的にウクライナ側に配置され、ソ連崩壊の時もその国境が維持された。その人たちに「ロシア語公用語から廃止」「ロシアとの経済的つながりを阻害」というような措置をされたら、独立運動が起きてもやむを得ないのでは、という視点は、今回の報道では論じられない。

アイルランドの独立運動でも、北アイルランドがイギリス側に残っているのは、イギリスがむやりやそうしたわけではなく、事実、住民に、国教会信者が多く、「イギリスの中で自治権さえあればいい」と考える人がたくさん住んでいたからなわけで、大国の隣の、中くらいの国の中に、そういう分裂があるのは、これはやむを得ないことだよね。住民感情からするとしぜんだよね、という視点が、全く抜け落ちて。「プーチンは悪」「ゼレンスキーは正義のヒーロー」みたいになる。そういう対立をあおる報道の中で、「語っては不都合な事実」は、報道から除外されていく。

 そういうことが、改めて確認された番組でした。

こういう番組を、NHKが今になって再放送をする。ということは、「そろそろ停戦に向けて、ウクライナとロシアが交渉を本気で進める」フェイズに戦争が移る可能性があり、単純な「正義と悪」ではなく、相互の事情と主張を冷静に論じる必要が、そろそろ出てくるだろう、という読みがあるのではないかと思う。






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