藤井風くん『へでもねーよ』、YouTubeのコメント欄を読んでいて、素敵なコメントがあったので、紹介しつつ、思ったことを書きます。

YouTubeで、藤井風くんの『へでもねーよ』を聞きながら、コメント欄をずっと読んでいたら、あるコメントにつきあたって、急に涙が出てきた。そして、いろんなことが急に思い出された。という話を書きます。

そのコメント、引用すると (コメントご本人の許可、このnote書きあがって、読んでいただき、OKいただけました。ありがとうございます!)

:D
「なんだこのずっとポジティブに頑張ってきた人が周りのネガティブに不意の隙を突かれて一気に折れそうになったときに最強の友達が全部跳ね除けにきてくれたみたいな曲
最ッッッッッッッッッッッ高」


 風君は、デビューする前に、いろんな洋楽邦楽のカバーをしていて、洋楽カバーには自分で訳した歌詞も字幕でつけている。そう、なんか、この、:Dさんが書いている状況が思い浮かぶ歌を、風君は、カバーでも歌っていたな。一曲じゃなく。そう思って、浮かんだのが。次の二曲だ。

一曲は、椎名林檎さんの「ありあまる富」だ。歌詞をちょっと引用。

「もしも彼らが君の何かを盗んだとして それはくだらないものだよ 返して貰うまでもない筈 何故なら 価値は命に従って付いてる」

「もしも君が彼らの言葉に嘆いたとして それはつまらないことだよ なみだ流すまでもない筈 何故なら いつも言葉は嘘を孕んでいる」

彼らが君を傷つけようとしても、君は傷つくことはない。彼らに君を本当に傷つけることも、大切なことも盗むことはできない。と歌います。


もう一曲は、クリスティーナ・アギレラの「Beutiful」だ。(訳は藤井風くん)をちょっと引用。


「私は美しい、誰が何を言おうと

言葉じゃ、私を倒せない。

私は美しい、あらゆる意味において

他人の言葉なんかじゃ傷つかない」


 どちらの曲も、風君のカバーを聞くたびに、僕は泣きそうになる。いや、三回に一回は本当に泣いてしまう。誰かが君を傷つけようとしても、そんなものでは君は(僕は)傷つかない。なぜなら、君は(僕は)美しいから。君が持っているものは、美しくて強いものだから。誰にも奪えないし、他人の言葉は、それにかすり傷だった負わせることはできないんだよって。風君は歌う。誰かの、へなちょこな言葉なんかで、傷つくことは無い。

 藤井風君は、そういう状況、誰かの心無い言葉に、自分が、友達が傷けられそうになったとき、その相手に反撃攻撃するのではなく、「そんなつまらない言葉で、僕は、君は、傷つかないよ」「心の中にある美しいものは、他人のつまらない言葉なんかじゃ傷つけられないんだ」と、そうやって、生きてきたんじゃないかなあ。風君くらい才能にあふれ、容姿にも恵まれ、家族の愛にも包まれて生きていると、それは、妬み嫉みも誘発するだろう。美人ちゃんはそれだけで、誰かを傷つける。(庄司薫だな)、傷ついた誰かは、風君を傷つけるようなことも、ときには、言ったり、したりしたんじゃあないかなあ。

 言ってきた相手に、直接、反撃することも、本当に、「いじめ」「いじわる」「誹謗中傷」が横行するこの世の中では、ときには、必要な時もあるとは思う。でも、そういうときに「お前なんかに、私を傷つけることはできない」と、強く、心の中で思うこと。

 誰か友達が、そうやって心無い人に、いじめられたり傷つけられたりしているときに 「あんなやつらに、君のことを傷つけることはできないよ。なぜなら、君は、君が心の中にもっているものは美しいから」と、寄り添って、近づいて、言ってあげること。

 かっこいいな。そんなこと、できるかな。今までの人生で、そんなこと、あったかな。できたかな。もう六十年近く生きてきたおじいさんである僕は、自分の人生のいろんなシーンを思い出して、ちょっと、自分が恥ずかしくなったりする。

 「へでもねーよ」は、そういう素敵な歌詞が、「相手を全部蹴散らすような、強烈な、無敵感のある音楽」に乗っけて歌われるので、今までにない爽快感、今までにない風君、ていう感じで、とても新鮮なんだけど。でもね、音楽はすごく攻撃的なんだけど、歌詞の内容は「自分は傷つかない」という意味で無敵なのであって、殴り返しには行ってないところが、ああ、藤井風君だなと思いました。おしまい。

※歌詞引用は、いろいろ調べて、著作権上問題ないと思い書いています。条件は ①引用箇所を「」でくくるなど、他の部分と明確に区別し、②主従関係が、文章が主、引用歌詞が従であれば、問題なしということです。きっと心配してくださる方がいると思うので。もしそれでも問題あったら指摘ください。


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