不老不死と戦争について。(『力の指輪』での、エルフについて考えると、よくわからなくなる件。)→から、人が死ぬ原因をできるだけもれなく考える、ということをやってみた。根本的なことを一から自分で考えてみるシリーズである。
トールキンの『指輪物語』は、もとの小説も、映画のシリーズも大好きで、その流れでこのAmazonプライムの新シリーズも見始めた。今、第六話まで来ている。
Facebookにちょっと感想を書いた。
で、この投稿では、すこし別のことを書く。
そう、戦争と死について、指輪物語の世界の「エルフ」について考えると、よく分からなくなってくる。
ギリシャ神話の神様もそうなのだが、指輪物語の世界のエルフ族というのも、基本的に不老不死である。老いないし、病気や老いでは死なない。戦争で死なない限り、何千年でも老いずに生きている。
ただし、事故や戦争では死ぬのである。
ギリシャ神話の世界では神様同士の争いで死ぬし。
不老不死というと、全く死なないとイメージしがちだが、エルフは、戦争では死ぬのである。ここから、いろいろと分からないことがたくさん出てくる。哲学的問いとして。
エルフたちは、指輪物語の世界では、西の海のかなたにある自分たちの故郷にとどまっていれば、永遠に死なずに生きられる。なのに、どうしたことか人間やドワーフやなんかがいる海の東側にある世界に出て行って、そこで国を作り、彼らの世界での「悪の存在」と何百年も何千年も戦争し続けている。そして、エルフの戦士たちは大量に死んでいくのである。
よく分からないでしょう。自分たちの故郷に閉じこもって生きていれば、死ぬこともないし、争いもないのに。何がしたくて、東の世界にノコノコ出てくるのだろう。。
なんで人間やドワーフのいる中つ国とか南方国とかに出て行っては、「悪」と戦争をするのだろう。死んじゃうかもしれないのに。
だってね、おとなしくしていれば死なないのだとすると、「死」の意味は、死すべき人間よりもずっと重くなるでしょう。
どうせ死ぬ運命の人間ならば、その死を、できるだけ意味のある死にしよう、という選択肢は考えると思う。故郷を守るための戦争で戦士として死のうとか。西郷隆盛みたいに「死に場所を求めて戦争」みたいなことだってあると思う。
片方の選択肢に「永遠の生」があって。しかも故郷の西方の世界では戦争もないわけで。それなのに戦争をするってどういうことなのだろう。
で、考えてみた。 正確には、エルフは何が原因なら死ぬけれど、何では死なないのだろう。小説を読んでも映画やテレビドラマを見ても判然としない。
「老いと病で死なない」と「殺人・戦争では死ぬ」の間がよく分からないのだ。災害ではどうなんだ。動物ではどうなんだ。自殺はあるのかな。大災害に巻き込まれたら死ぬのかな。
まず、人間のこととして、人間はどういうことで死ぬのかな。できるだけ思いつく限り、列挙してみよう。
人間はこの世界でも指輪物語の世界でも、老いて死ぬ。病で死ぬ。不慮の事故で死ぬ。交通事故とかでも死ぬし、天災、地震や洪水津波や台風やそういうことのたびに死ぬ人が出る。
事故ということでいうと、川や海でおぼれたり、山や谷から滑り落ちたりという事後で毎年死ぬ人が出る。
昔だったら、クマや狼やライオンや象に襲われると死ぬ。サメや毒蛇やサソリやという動物原因で死ぬ。
サソリや蛇の毒で噛まれて刺されて死ぬ、というのと、蚊によるマラリアだのデング熱だのというのは、どうなんだ。どこまでが動物原因の死で、どこからが病気の死なんだ。
そして、殺人という形で、人の行いによって死ぬ人が出る。突然現れる犯罪者のために不幸にして亡くなる人がいるし、集団的な暴力集団のために死ぬ人がいるし、そして戦争で死ぬ人がいる。殺人もいろいろなレイヤーがある。
それから、自殺というのがあるから、これは「自殺の原因」をひとつずつ解決していかないと自殺はなくならない。
さて、指輪物語の世界に戻ろう。
エルフと言うのは「不老不死」だけれど「不慮の事故」では死ぬし「殺人」では死ぬのかな。
動物原因では死ぬのだろうな。敵には狼みたいなやつとか、人間なのか怪物なのか区別のつかないトロルもいて、そういうのには殺されてしまうから。
「不慮の事故と殺人」合わせ技を起こす悪の帝国、勢力をこの世からなくすために戦争をして、その戦争のために死ぬことは厭わない、という存在なのかなエルフは。
死は悲しみ・不幸をもたらす大きな原因で、その他の不幸も程度がひどくなると死の原因になる。
つまり、死の原因をひとつひとつ撲滅していくことは、人間に訪れる様々な不幸の原因を潰していくことになる。
なんでこんなことを考えているかというと、人間は何をどう目指すべきなのかという、大きな人類全体としての目指していく方向について、ちゃんと理解したいなあ、と思ったわけだ。
人間はこういうことを目指して活動しているわけだ。
戦争が無い。暴力集団による殺人もない。突発的に現れる犯罪者による殺人もない。誘拐殺人とか、通り魔殺人とか、強盗殺人とか、そういうことがおきない。
天変地異で死んでしまう人もいない。地震津波台風洪水山崩れ、そういうことて死ぬ人がいない。
不慮の事故で死ぬ人がいない。交通事故も、山や海や川でのレジャー中の事故で死ぬ人がいない。
野生動物に殺される人もいない。食べられちゃったり、毒のある生き物に噛まれたり刺されたりして死ぬ人もいない。
野生動物や昆虫に媒介される病原体、最近やウイルス、伝染病で死ぬ人もいない。
そして、動物起源ではないその他の病気、生活習慣病とかガンとかで死ぬ人もいない。
飢えで、飢餓で死ぬ人もいない。食べ物があり、清潔な水がある。
最後に、老化老衰で死ぬ人もいない。
どうだ。人が死ぬ原因を網羅できたかな。
ここまでくると、人間の死と病と怪我の苦しみはなくなる。
いやまてまて。それでも人間を苦しめるめるものがあるのは、人間関係からくる苦しみだ。
いじめとか、虐待とか。これは「戦争や殺人」とつながっているな。そういう争いを、大きな規模・集団からいちばん小さな規模の集団、家族とか隣近所とか学校まで、全部でなくす。
どうだろう。これだけの不幸が全部解決しても、「漠然とした虚しさ」から自殺したくなる人は出てくるかもしれない。
漠然とした虚しさ。その他にも「よく分からない得体のしれない恐怖」とかもそうかな。そういうものは人を死に追いやる。こういうことの対策も必要か。孤独とかもそうかな、メンタルヘルスというものなのか。社会関係・人間関係に還元できるものとそうでもないものがあるよな。
どうだ。これだけの問題を全部解決すれば、人間は死なないのかな。
いやちょっと待て。空気とか水とか気温とか言う、生命が維持される基本的な環境が、「生存不可」になっちゃうと人間は生きていけないな。放射線にさらされないとか、有害な化学物質にさらされないとか。環境問題か。
どうだ。漏れはないか。
うん、考えがまとまってきたぞ。
人間が幸福になるには
①医学的にエルフのように不老不死になる。(老いで死なない、病気で死なない、老化しない。)
②不老不死でもエルフが不幸になる、死んじゃう原因を解決する。
この①と②が実現されることを目指して人類の自然科学も社会科学も人文学も進んでいる、ということに、いちおう置いてみる。
トールキンやギリシャ神話が「不老不死の神々やエルフでも戦争、争いで死ぬ」という世界観を設定するのは、人間の不幸の原因、人間社会の不幸の発生メカニズムを明らかにするためなんじゃないか、という気がしてくるわけだ。意識的にか無意識にかはわからないけれど。
で、人間社会というのは、不幸を最小にするように進化していくものだと考えると、人類の課題というか、「何を目指して生きていくか」の指針が見えてこないかなあ。
正しいかどうか自信はないが、今日、考えたこと、繰り返しになるがまとめておこう。人間の以下の要因による死、死にまで至らないまでも不幸をもたらす原因を、人間は撲滅する方向で進化するのである。
まとめ
②-1物理的肉体的損傷をもたらす死の原因の撲滅
a 生存条件の基本環境悪化=大気水質の汚染、地球温暖化やその逆、寒冷化など温度湿度が人類生存範囲で安定すること。
b 天変地異 地震台風津波洪水暴風竜巻
飢餓はとりあえずabから付随して起きると置いておこう。飢饉飢餓による死。
c 不慮の事故 交通事故や水難海難事故、高所からの滑落転落
②-2 物理的に身体損傷からの死をもたらす以外の、死の原因の排除
人間の社会的関係からの暴力・圧力
a 戦争
b国家権力による国民弾圧
c内戦、革命などの暴力
d 不法暴力集団による暴力
e 小社会集団(近隣・職場)でのいじめ、排除など
f家庭内での虐待、暴力など
自殺の原因の撲滅
a経済的困窮
b社会的孤立
に人間の諸活動はこれらを克服することを目的として発展してきた。