『不適切にもほどがある』キヨシの心の叫びと、大河ドラマ『光る君へ』吉高と柄本佑のラブシーン、いろいろ考えながら、スカパーで昔のテレビドラマを見たという話。Facebook投稿から転載。
年齢とともにバカになりつつあるということを昨日、呟いたのですが、「バカになっちゃうよ」というふりをして不適切な投稿をこれから書きます。不適切な文章は読みたくない人はここで読むのをやめましょう。やめてください。読んでから怒らないでください。読んでから「不適切投稿」としてFacebook当局に通報したりしないでください。やめてくださいよ。本当にお願いします。純粋に知的興味から調べ物をした、という投稿ですから。R18ほどではないにしろ、R15くらいの感じの投稿です。っていう投稿ってやっぱり駄目なのかな。でも純文学小説とその感想投稿ならOKなはずだよな。それとどこが違うのかな。
ほんとうにね、なんで、こういうことを、どうしても書きたいのだろう。よくわからないけれど、大切なことなんだと思うから。
宮藤官九郎の話題のテレビドラマ『不適切にもほどがある』の中で、第一回、現代令和から1986年にタイムスリップした中学生,キヨシが、当時の地上波テレビ(11PMやトゥナイトなど深夜番組)で女性の「おっ〇い」(本投稿ではこの表現を使います。本当はちゃんと丸出しで書きたいのですが、なんらかのFacebookアルゴリズムで不適切投稿として制限がかかることを怖れての措置です。)が見られることに感動して、令和に戻らず昭和に残る(それと、主人公の娘・高校生、純子に恋をしたからでもあるのですが)というシーンがあります。令和に戻るタイムマシンのバスから飛び降りて昭和に残るときに、母親、社会学者・吉田羊の「なんで、こんな粗暴で差別的でセンスのない大人ばっかりと、昭和のどこがいいの」という問いに対してキヨシは手をばたばたさせて訴えます。「テレビでおっ〇いが見れるじゃないか。テレビでおっ〇いが見たいんだ。地上波でおっ〇いが見たいんだ。」という名セリフ名シーンが生まれたわけです。
で、これを見ていて、いったい、いつ頃まで、地上波テレビでおっ〇いは見られたのかなあ。と思って、ここのところ、ずっと考えていたのですが。
私は中学生くらいから、親や姉妹に隠れて(なんといってもテレビは居間に一台あるだけで。狭い公務員官舎では、居間からたいして距離のない短い廊下や襖を隔てたところに親や姉が寝ているわけで、いや父親はたいていその時間にはまだ帰宅していなくて、母親と妹がすぐ隣室で寝ていて姉は自室で勉強していて、そして父親がいつ帰宅するかもしれないという緊迫した時間帯に、スイッチをつけるとビーンっという謎の震動、音がするブラウン管テレビをこっそりつけて、「11PM」や「トゥナイト」や「独占(はじめ男の)大人の時間」を見ることに挑戦していた中学生だったわけで、なので、令和中学生キヨシの心の叫びに、心から共感というか郷愁というか感動してしまったわけです。泣いてしまいました。
あれって昭和50年代前半だったはず。
地上波でおっ〇い、いつまで見られたのかなあ。
と考えていたわけです。
で、たまたま昨日、夜中に暇をもてあまし、スカパーのチャンネルをザッピングしていたところ、
TBS2チャンネルという、昔のTBSテレビドラマ(当然制作当時は地上波でオンエアされていた)を延々と流しているチャンネルで、風間杜夫主演の『にせドンファン』というドラマをやっていたのです。吉行淳之介原作で大映テレビ制作の二時間ドラマ。1986年の作品。おお、まさに『不適切にもほどがある』でタイムスリップした昭和61年の作品です。
キャストは風間杜夫、原日出子、三原じゅん子、城源寺くるみ、黒田福美、水島裕子、吉田忍、樋口しげり、小山明子、高橋悦史、吉行和子、名古屋章という豪華さなわけですが、「水島裕子」でピンと来た方はご明察、そう、おっ〇いどころか、かなり露骨なベッドシーンだらけ、おっ〇いありあり、のドラマだったんです。大学教授にしてプレーボーイの風間杜夫がやたらといろんな女性とベッドシーンを展開しまくる不適切ドラマでした。
今や国会議員、三原じゅん子と風間杜夫さんのベッドシーンもたくさんありしたが、おっ〇いはなしです。そうなんですね。ベッドシーンありでも、おっ〇いあり女優さんとおっ〇いなし女優さんという「枠」が存在していたわけです。二時間ドラマでこれだけ豪華なキャストなので、おそらく21時から23時の枠でのオンエアだったはずで、この時代、23時以降の深夜バラエティ、「11pm」や「トゥナイト」や「独占大人の時間」以外でも、21~23時ドラマでもおっ〇いありベッドシーンありだったということが、まず、分かりました。
しかしこのころ昭和61年は、私は電通入社二年目箕面独身寮一人暮らしだったし、毎日残業だったのか、いや、車を買ったばかりで(中古のHONDA CR-Xだった)早く帰宅できた日は一人で箕面の山をドライブしまくっていたかで、この時間帯のテレビドラマなんかは見ていなかったなあ。
話は戻って。この風間杜夫ドラマをずっと真剣に見ていたわけではなく、さらにザッピングをうろうろ続けながら、ときどきおっ〇い出ていないかと思ってTBS2に戻る、ということをしていたわけですが、いくつか隣のチャンネル、テレ朝チャンネル2という、これまたテレビ朝日の昔のドラマを延々流しているチャンネルがありまして、ここで『特命係長 只野仁 シーズン2 第6回』というのをやっていたのです。じゃーん。そう、高橋克典の代表作。当時オンエアは23時台以降の深夜ドラマだったと思います。2005年の作品です。すでに平成17年か、平成も半ばを過ぎた頃。これは「おっ〇いありドラマ」として有名です。永井大が弟分、梅宮辰夫が上司、三浦理恵子と櫻井淳子、というのがレギュラーキャスト。僕が見た回はメインゲストが川上麻衣子。川上麻衣子が銀座クラブの女で、高橋克典とベッドシーンたくさんありです。大変濃厚なベッドシーン描写ですが、おっ〇いはなし。あれ、この時代はベッドシーンはありでも、もうおっ〇いNGになっていたのかな、と思ったら、なんか唐突に別の女優さんの別のシーンでおっ〇いが出てきました。あったあった。このドラマ、有名女優さんも大胆ベッドシーンありでしたが、おっ〇いは別枠女優さんが担っていた、という構図が分かります。
そうか、2005年、平成に入っても、ありだったんだな
ということで、いったい地上波ではいつまでおっ〇いがOKだったのかをググって調べてみました。
「日本の地上波テレビからおっ〇いはどのように消えたのかストーリー by hylom 2017年06月13日 19時07分エロいかどうかで決めるのは非合理的 部門より」
という記事が出て来て、(原題ではそのまま〇ではなく、丸出しでした。)さらにその中で
「昨今では地上テレビ放送における「制限」が厳しくなっていると言われているが、テレビ雑誌「テレビブロス」の編集者である木下拓海氏が、地上波から「乳首」がいつ消えたのかを調査・考察している(BLOGOS「おっ〇いかく戦えり 地上波最後のおっ〇いを探せ」)
というところに行きつきました。(これも原題は丸出し。)
その記事によると、
やはりお色気ドラマではこの「特命係長 只野仁」の、2012年1月7日のテレビ朝日「特命係長 只野仁 ファイナル 第二夜」だったということでした。いわゆるお色気バラエティ番組としては「2012年9月12日TVOテレビ大阪「ガチパラ」で、「地上波の限界に挑戦する!?」田原総一朗が監督をつとめた「こちら温泉DVD制作会社」で麻美ゆまのポロリが放映されたが、これが日本の地上波のお色気番組での最後となった」そうです。
2012年が最後だったのですね。私が49歳ですね。なるほど。物心ついてから「地上波でおっ〇い」を追い続けた私の地上波おっ〇いテレビライフは2012年49歳にして終焉を迎えたようであります。
その後も、医療番組と、普段から胸を出しているアフリカや太平洋などの部族をドキュメンタリーなどで扱うとき、それと欧州のヌーディストビーチをどう扱うかなどで、基準が揺れているというのが、2017年に書かれたこの記事の内容でした。
こうして考えても、スケベ―シーンという問題と、おっ〇い、その中でも先端部位を出すか出さないかというのが、それぞれ独立した問題として存在することが分かります。その意味するところを、つらつら考えるわけです。
NHK大河ドラマ、日曜夜8時のお茶の間で、吉高由里子と柄本佑のとてもスケベ―なキスシーンやベッドシーンって平安時代にベッドは無い、まぐわい表現シーンはオーケーなわけです。でもおっ〇いはなし。
しかし、打毬(平安ポロ)の後の男優イケメンたちお着換えシーンでは、男優さん胸、先端部位丸出しは全然オーケーなわけです。なぜ男性の場合、胸先端部位丸出しは全然オーケーで女性のその部位はNGなんだろうって、よく考えると、なんでなのかよくわからなくなってきます。だって、あの若いイケメン男優たちお着換えシーンを性的に消費している女性視聴者(いや、男性視聴者もいるのだろう、ですね。多様性の時代なので)もいるわけでしょう。それはOKなわけでしょう。なんかそこのところ、釈然としないですよね。男女どっちもOKか、どっちもNGにしないと、不平等じゃね、という気もしてくるわけです。この点についてはフェミニズムとか性的多様性とかの議論の中できちんとした議論と結論がきっと出ているのだろうとは思いますが。
さらに胸先端部分の、男女扱い差問題を突き詰めて考察していくと、さらにものすごく不適切な、でもずっと考えている疑問、アンケート調査したい疑問があるのですが、ええと、もうやめておきます、不適切にもほどがあるから。