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子どもが喜んだ親が楽しかった絵本 その6 『カラスのジャック』 ディーター・シューベルト (著) 田村 隆一 (訳) 部屋の中、水浸し系絵本、なぜ、これに子供は惹かれるのか。水への恐怖とあこがれと。

カラスのジャック 大型本 – 1985/9/1
ディーター・シューベルト (著), Dieter Schubert (原著), 田村 隆一 (翻訳)

 長男Aくんに、小さい時に、よく読んであげた絵本。はじめの見開きにクレヨンのいたずら書きがあるくらいだから、Aくんはこの絵本が好きだったのだと思う。

 木の枝の巣に,カラスのこどもジャックは、パパとママ、二人の兄弟と暮らしている。そこから、人間の子ども、ジョンの部屋をいつものぞいている。ある日、居眠りをして、ジョンの家で自分たち家族が暮らしている夢を見る。

 洗面所で水をはねちらかして遊んでみる。朝ごはんの席で好き嫌いをしたり、コーヒーをひっくり返したりして、パパに叱られたジャックは、ジョンの部屋にお仕置きで閉じ込められる。

 アイロン台やシーツを引っ張り出して、ボートを作って、水道の水を出して部屋の中を海にして、ボートを浮かべる。

でも、へまをして、水の中に落ちてしまう。どうしよう、ぼく、泳げない。

と、パパとママがドアを開けて、助けてくれる。

パパとママが怒らなかったのはもっけのさいわい。
「あの子は ひとあし おそかったら おほれていたんだ」

そして、パパとママはごしごしタオルでふいて、ベッドに運んでくれる。

そこでまた寝て、ボートに乗ってふなのりになる夢を見る。

ママがほんもののカラスのえさを運んでくれたとき、目が覚める。
「ぼくらの巣こそせかいいち!」

で、おしまい。というお話なのだな。

 いたずらをして、パパやママに怒られて、お仕置きをされた部屋から抜け出して(本当は眠ってしまって)夢の中で冒険するけれど、でもピンチになるとパパもママも僕のことを心配してくれて、さいご、目が覚めると、ママとごはんの安心がいちばんだ、っていう、絵本の黄金パターンなのだが。

 この「夢の中の冒険」パターンに、船に乗る、海に漕ぎ出す、っていうのがある。『かいじゅうたちのいるところ』なんかもそうだが、それとはまた別に「家の中、部屋を海にしちゃう、海になっちゃう」というパターンがけっこうある。

 子供にとって、「水」というのは、何か、不思議なものなのだと思う。手を洗うときは冷たい。お風呂に入るときはあったかい。夏に、ビニールプールにはいって水をはねちらかすのは楽しいけれど、お風呂以外の家の中を水でぬらすのは、いけないこと。テーブルの上でも、コップの中の水やジュースをこぼすのはいけないこと。服が濡れるのは、気持ち悪いし、いけないこと。いいことといけないことが「水」については、いろいろある。

 その水が、ものすごくたくさんある「海」というのは、まだよくわからない、怖いような気がする。

 水や海に対して、人間が根源的に抱いているいろんな感情というのがあって、そういう「水」の魅力と恐怖に触れてくる絵本というのは、何か、よくわからない魅力が、子どもにはあるのだろうなあと思う。

 写真にある、もう一冊は、『ぼくのへやには うみがある』という、人間の子ども主人公の、同じようなお話。これはあんまり読んで聞かせなかったな。海がこわいと、初めの海の体験で思ってしまった子供が、貝殻を耳に当てて想像の中で、夢の中でへやのなかを海にしてしまって、うみにいってみようかなと思う、という話。水浸し絵本」の例として、並べてみただけです。

 ということで、ここからはもうすこし、子育て思い出について、あれこれ書いていこうかな。

 Aくんは、小さい時から言葉の能力が高い子で、母子手帳を見ると、1歳6か月の検診で「ことばをいくつくらい話しますか」の項目に「100語以上」と書いてある。というか、普通にわたしとも文章で会話をしていた。大人と話すみたいに話していたのだよな。(言語発達速度には六人子供がいても個人差が大きくて、三男なんかはすごく言葉が遅かった。でも二人とも学校に上がると国語の成績は同じくらいになり、大学進学時には同じ大学同じ学部に合格してるので、赤ちゃん段階の言葉の発達の早い遅いは、本当に病的な原因がないなら、心配することはない。)で、この1歳何か月かのAくん、食事中に、コップの水をテーブルの上にこぼすと、テーブルを指さして「こぼ、こぼ」って言うのだな。このときのA君の言語認識的には「こぼ」という状態+サ変動詞「する」が、こぼす、という言葉だとなっていたのだな。「こぼ」になってしまった「こぼ」をしてしまった、というわけで、「こぼ、こぼ」って、言っていたわけだ。

 カラスのジャックも食卓でコーヒーをこぼして、子供部屋に閉じ込められて、今度は部屋中水浸しにして。

 このころ、A君はベビースイミングにもういっていて、水に入るのは大好きな子だったのだなあ。A君はベビースイミングが大好きだったけれど、次男のFくんは、ちょいと苦手だった。すぐ寒くなっちゃうのだ。

 プールに入る、水につかるのも、子どもによって、好き嫌い、向き不向きがはっきりあるのだよな。妻は「皮下脂肪分厚い、胸郭も分厚い=肺活量大きい」つまりすごく水に浮きやすく、からだも水の中で冷えにくいタイプなので、この妻の体質体格が遺伝した子は、プールにつれていっても、海に連れて行っても、全く休まず、何時間でも水にぷかぷか浮いてニコニコしている、なんか、アシカやアザラシ的な、海生哺乳類みたいに水になじんでいたなあ。長男Aくんと三男と末っ子がそうだった。

 かなづちの私に体質が似た子は、皮下脂肪が薄く、胸郭が扁平で肺活量小さい、足に筋肉が多く、つまり、水の中に入ると、自然にしていても沈む、絶対に浮かない、しかもすぐにからだが冷えて寒くなって唇が紫色になる。次男と長女と五番目男子はこの体質。私のようなかなづちになると困ると思ってスイミングスクールに通わせたので、体質的に不利であっても100m個人メドレー、美しい形で泳げるようにはなったけれど。陸上のスポーツなら完璧に万能な五番目男子も「体質的に足が沈みやすいので、本格的に水泳をやるのは、ちょっと無理と思った」と言っている。

 絵本の話というより、子育ての話になるが、子ども人数が少ないと、つい、一人の子どもに、全部を要求期待しがち。長男次男くらいまでのときは、私もそうだった。自分ができたことは、子どもにもできてほしい、というかできて当然。その上に、自分ができなかったことは、子どもにはできるようになってほしい。つまりは、万能人間を期待してしまう。

 しかし、同じように私と妻の遺伝子を半分ずつ受けついていても、どの半分をどういう組み合わせで受け継ぐかは、子どもによって全然違う。美的センスが、素晴らしくある子とない子。音楽的才能が、素晴らしくある子とない子。一見、同じような体格体型に見えても、ボールを投げる肩の柔軟性が素晴らしくある子と、まったくない子。性格でも、格闘技をやって、(ふだんは人にやさしくても)競技中は躊躇なく攻撃的になれる子と、いかにスポーツとはいえ、人に対して攻撃的になれない子。もう、わが子なのに、全然、一人一人違う。

 五人目が生まれて以降くらいから(気づくの、だいぶ遅かった)、一人一人、持って生まれた能力適性も、性質も違うのだから、無茶な要求はしてはいけないな、と思うようになった。まあ、無茶苦茶な親で申し訳なかったと思うことばかりであるな。

 絵本も、子どもによって、好きになる絵本は全然違うので、世間でどんなにいい絵本と言われていても、子どもが気に入らなかったら、何度も読むことはないし、「こんな絵本、どこか面白いんだろう」と思っても、子どもが気に入ったら、それは何度でも読んであげるのが良いと思います。

 


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