小説 『キラー・フレーズン・ヨーグルト』(14)
【前の話】
夕日が赤く空を染め始める中、パーク内を歩いていた。アトラクションから出てくる子どもが横を走り抜けていく。
ハルさんが持つ大きなショップバッグからは、ぬいぐるみと合体した帽子が顔を出していた。その頭を軽く小突く。
「これはさすがにいらなくないすか」
すねた顔をした。
「なんで、そう思うわけ?」
「だって、間違いなくかぶらないでしょ、こんなの」
「花を買った人に、そんなの食べないでしょ、って訊く?」
そう言い放ってハルさんは通路の脇にある屋台のワゴンに吸い込まれるように歩いていった。大きくもない体のどこにそんなに甘いものが入っていくのだろう。
アイスを両手に持って戻ってきて、わたしに無言で差し出す。一つはコーンに入ったソフトクリーム、もう一つは棒に刺さったアイスだった。わたしはソフトクリームをとった。
「人は2つの選択肢を差し出されると、どっちか選ばないといけない気になるんだって」
「また、サマなんとかって博士の言葉ですか」
「いや。これは常識」
「知りませんよ。そんな常識。
それより、さっきの答えってなんですか?」
「答え?」
「発酵と腐敗の違い、ってのです」
アイスを口に入れながら「ああ」とつぶやいた。
「人間にとって有益かどうか、それだけ」
「へえ」
彼のいうことにしては、素直に興味深かった。
「微生物はきっと思ってるだろうな。俺たちの尊い労働を勝手に格付けするな、って」
「そうやって、自分の過去を正当化してるんですか?」
笑って言ったつもりだったけど、ハルさんは真顔で「あれは正当化できるようなもんじゃない」と言った。
そんなまじめに返されるとは思ってなくて、なんだかバツが悪くて、何か話題を探した。
「生物兵器でも作ってる人なんですか? そのなんとか博士って」
「ちがうよ。サマリンガ博士は心理学者だ。ちなみに、納豆は食べれないらしい」
「え、実在するんですか」
ハルさんは呆れたように言った。
「当たり前じゃないか」
「どこで会ったんですか?」
「会ったことはないなあ」
夕日と重なるところに高い塔があって、その外壁に沿ってアトラクションがのぼっていくのが見えた。
「師匠が手を下した人の記事を切り抜く、それがまだ幼い頃の俺の役目で」
ハルさんは、残っているアイスを丸ごと口に入れた。口から棒を抜き出して、アイスを口の中で転がしている。
「その記事をスクラップし終えたら、新聞は捨ててよかったから、よく暇つぶしに読んでたんだ。そこに人生相談コーナーがあって、時々、博士が答えるんだ」
「そんなすてきな回答だったんですか?」
「いーや、すっごくくだらないの。質問も、回答も。
しかも、博士は明らかに質問者を見下してんだ。
こんな質問を高尚な新聞に送ってくるなって感じで」
「ダメでしょ、そんな人生相談」
「まあ、それでもさ、俺にはまぶしく見えたんだよね」
アトラクションは頂上に到達してそこから一気に下降し、悲鳴とも歓声とも取れる大きな声が響く。
「質問者も回答者も、日々こんなささやかなことで悩んだり、人を小馬鹿にしたりしてるのかあって」
その時、この人はどんな環境にいたんだろう、とわたしは思い浮かべる。遠い海外の、ひどく薄暗いところかもしれない。わたしの想像力ではそれくらいが限界だった。
「まあ、でも今はわかるよ。ささやかはささやかなりにつらいんだなって。
腹が痛いって泣きそうになってる人も、紛争地にいる人からしたら何を言ってんだって感じだろうけどさ、当の本人はマジで死にそうに苦しいわけじゃん」
わたしはただ無言でうなずいた。
「だから、ちひろっちの殺したいって気持ちもわかるよ」
突然、わたしの話になったのでびっくりした。
ここにいる間、そのことは頭からすっかり消え去っていたのだ。
「引いた、って言ってたじゃないですか」
「あのときは俺もちょっとすねてたから。結局、俺に求められるのは殺しかよ、って」
私はごまかすように曖昧に笑っておいた。
「でも、そんな俺の思いも、ちひろっちからしたら、どうでもいいことじゃん。
だから、同じだよね。
わかる。ちひろっちが、死んでほしいと思うほどそいつを憎むのも」
鼻の奥にツンっと酸味が広がる。
「残念ながら、俺は殺しを引き受けることはできないけどさ」
唐突に嗚咽がこみ上げてきた。
慌てて抑える。
「殺してほしい、その気持ち自体は間違っちゃないと思うんだ」
そして気づく。
わたしがほしかったもの。たったこれだけだったんだ。
分かるさ、
ただ、それだけの言葉。
アイスのコーンを口に投げ込む。かみ砕くと、冷たい甘みが、じゅわっと口に広がっていった。
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