小説 『キラー・フレーズン・ヨーグルト』(12)
【前の話】
3 キラー・パス
カーテンから入る明るい光で目が覚めた。慌てて枕元のスマホを見て、今日は土曜日だと、ほっとする。今日はあそこに行かなくていい。
せっかくの週末、一番に頭に浮かべるのがあいつの顔だなんて、最低だ。あわてて頭を振って思考から追い出す。
と同時に、「次は土曜でどう?」という文面を思い出す。
先日届いたLINEは、当然のように次回の予定を尋ねてきた。どうやら彼にとって、わたしはいまだにクライアントのようだ。
もう会う必要などない。元・殺し屋に人生相談するほどわたしもヒマじゃない。
とはいうものの、キャラカフェを台無しにしてしまったうえに、代金も出してもらった。相談したかどうかはさておき、相談料の七千円も払ってない。そして、あぶないところで助けてもらった。いくつも借りがあるのも事実だ。
それに、もしかしたら気が変わって依頼を請けてくれるかもしれない。本人が請けてくれなくても、かつての同僚とか後輩とかを紹介してくれる可能性もなくはない。
そして何より、今週末は何も予定がない。つまり、ヒマだ。
……わかっている。どれも、自分を納得させようとしているだけだ。認めよう。上司を死んでほしいほど憎んでいるなんて素直に話せるのはあの人しかいない。今のわたしは、元・殺し屋と話をするのが、適度な気分転換になっているんだ。
メイクを終えてクローゼットを開ける。そういえば、土曜日の昼間に男の人と待ち合わせるなんて久しぶりだ。
白いワンピースをハンガーから取った。わたしにしては結構な買い物だった一品だ。今年はまだ一度も袖を通していない。
ストレスで体型が変わってしまってないといいけど。鏡に向かって体に合わせてみながら、口角を上げてみる。まだ三十代には見えない、と思う。二十代であろうハルさんと並んでも違和感はないはず……
ワンピースをベッドに投げ捨てた。
バカバカしい。
クローゼットの奥からグレーのパーカーを抜き取った。
*
駅の改札は、子どもと親で賑わっていた。
人気キャラクターを多数抱える会社が運営するテーマパークの最寄り駅だと降りて初めて気づいた。
人混みの向こうで、ハルさんが手を振っていた。これまでの二回と違って、とてもカジュアルだった。水色のパーカーにゆったりめのデニム。そして、Tシャツのプリントは、当然のようにコボたま。服装が変わってもそこはブレないらしい。
わたしが着くと、大きな目がすばやく上下に動いた。
「へえ。白のワンピースとか、持ってるんだ」
「安かったんで衝動買いしちゃったんですよね」なるべくさらっと言う。「そういうハルさんも、今日は黒のジャケットじゃないんですね」
「サンリップ・ピュアーランドに黒はないっしょ」と言って大勢の流れに乗って歩き始めた。
「は?」
自分でも予期しないほど変な声が大きく出てしまった。近くを歩く子どもが驚いてこっちを見た。
「この駅に来て、ピュアーランドに行かないとかありえないっしょ」
「殺しの依頼どころか、もはや、人生相談ですらなくなってません?」
さくさく進んでいくので、仕方なく後についていく。
ピンク色に囲まれるパークの中に入るとすぐに、きぐるみたちに囲まれた。
「わたし、今の状況に、まだ納得いってないんですけど」
「せっかくチケットもらったのに、他に行きたがる人が見つからなくてさ」
「どう考えたら、私が行きたがる人にカウントできるんですか?」
「来てるじゃん」
「ピュアーランドに行くなんて聞いてませんから」
そんな言葉もパレードの音楽と子どもたちの大声にかき消される。
目の前を人気キャラクターたちのきぐるみやダンサーたちが列をなして進んでいく。ハルさんはキャッキャ言いながら、スマホで写真を撮り始めた。その後ろ姿はまるで女子だ。
「殺し屋は、ぜったい他人に背中を見せない、っていうのは漫画の中だけなんですかね」
「ん? なんか言った?」
「いいえ」
パレードの後尾に、コボたまのきぐるみが姿を見せた。実物を見るのは初めてだった。何をもってキャラクターの実物とするのかはわからないけど。
ハルさんは甲高い声を上げて振り向いた。
「行ってきていい?」
目を輝かせている顔を見てると、もはや保護者のような気分になってくる。「お好きにどうぞ」
わたしの言葉を号令にするかのように、ハルさんの体は即座に向きを変え、人混みの間をすばやく抜けていった。そして次の瞬間には、きぐるみに抱きついていた。まるで早回しの映像を見ているようだった。
コボたまは、急に出現した男にうろたえ、手に持っていた大きなスプーンを落とした。ファンタジーの世界にあるまじき狼狽ぶりだ。
わたしはため息をついた。
彼が一流の殺し屋だったことを疑うのはやめよう。素人のわたしにも彼が相当の腕前だったことは想像がつく。だからこそ、強く思う。
なんて能力の無駄遣いなんだろう。
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