小説 『キラー・フレーズン・ヨーグルト』(10)
【前の話】
早口の外国語で大声で話す人たちが、路面店のテラス席から道路にはみ出して酒を飲んでいた。地面には食べカスが散らばっている。
周囲の客も通り過ぎる人たちも苦い顔をしていた。
見るからに柄の悪そうな集団だ。近づかないに越したことがなさそうだけど、狭い道なので、避けようにも限界がある。
遠慮がちに横を通り過ぎようとした瞬間、
一番外側にいる巨体の男が大笑いしてのけぞった。
バランスを崩し、わたしのほうに椅子ごと倒れてきた。
ぶつかる!
そう思った瞬間、男は斜め方向に吹っ飛んだ。
そして、道路へ顔から倒れ込んだ。
椅子をハルさんが蹴り飛ばしたのだ。
男は、顔についた石粒をはたきながら立ち上がった。焦点の定まらない目のまま、ブツブツつぶやいている。
何を言っているか分からないが、酒に酔っていること、怒っていることは明らかだった。
鬼の形相でこちらに歩いてくる。
ハルさんを上から睨みつけ、胸ぐらをつかんだ。まるでゴリラが小猿を捕まえたようだ。
「ちょっ、ちょっと待ってください! この人は、あなたがわたしにぶつかるのを防いでくれただけで……」
必死で説明したが、日本語は理解できていないようだ。
男は大量のツバとともに怒号を上げた。
ハルさんは顔色一つ変えず、自分の首元にある男の右腕に軽く手を置いた。
その瞬間、男は苦痛の表情を浮かべ、よろけのけ反って手を離した。
ハルさんは何事もなかったように歩き始めた。
わたしは慌ててその背中を追いかける。
「今、何をしたんですか?」
あんなことがあった直後なのに、横顔はさっきとなんら変わりがなかった。
「なんで、あの人、急に手を離したんですか?」
「暴力は良くないって、反省したんじゃない?」
後ろを振り返ると、大男は怯えた表情で立ち尽くしていた。
「菌っていう存在をどうとらえるかで人生は味わいが変わってくる」
横でハルさんが表情を変えずに言った。
「はい?」
「ああいう輩も、世の中に作用してバランスをとっている、ってこと」
「あの……決めゼリフのつもりかもしれませんけど、ぜんぜん意味がわかりません。
しかも、すごくダサいですよ」
「サマリンガ博士の言葉だよ。知らないの?
世界は発酵に似てるって」
「誰なんですか、それ」
帰りの電車の中、サマリンガ博士が気になって検索してみたけど、やっぱり、何も出てこない。どうせ適当なことを言ってただけだろう。調べた自分がバカだった。
スマホをポケットにつっこむと、紙の角に手が当たった。
名刺だ。取り出して見てみる。
中央には、「人生経験豊富な人生相談員 ハル」という文字と、LINEアカウントが記されていた。そして、横に小さな顔写真が載っていた。メガネをかけて、うさんくさく微笑むハルさん。
写真までダサいな、と軽く笑ってしまう。
窓にうつる自分の顔を見て、思った。
そういえば、この二か月、こんなふうに自然に笑ったことがなかったかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?