1987年 インド ラダックの旅 2 「旅人たち」
翌朝目を覚まし、初めて太陽の下でレーの街を見てその美しさに一瞬で心を奪われた。
私の泊まったゲストハウスはレーの街の中心から少し外れたところにあったのだが、その屋上からの眺めは本当に素晴らしかった。
砂漠の中のオアシスのように瑞々しい緑が広がっていて、その周りを巨大な岩山が囲んでいる。遥か遠くの方には雪山も見える。
標高3650mのレーは空気が薄いことに加え、非常に乾燥していた。そのためかなり遠くの景色までくっきりと見ることができた。空気遠近法の適用外の場所だ。空気のない月面で遠くにある巨大な山を、すぐ近くの小山のように錯覚してしまうように、月面ほどではないにしても下界では経験することができない視覚体験だ。この超現実主義の絵画のような、視覚認識の変容がこのチベットを特別な場所だと感じさせているのかもしれない。
乾燥して荒れた土地に広がる緑の街は、まるで宇宙空間に浮かぶ青い地球のようだった。すぐ外には人間が普通に生きていくことができない厳しい世界が広がっているだけに、人間の手で長年かけて築き上げられた緑の街がより愛おしく、尊く感じられた。
街の中は小川のような用水路が満遍なく広がっており、その水で主に、ニンジン、カリフラワー、キャベツ、玉ねぎなどを栽培している。フルーツで見かけたのはアプリコットくらいで、市場に並ぶバナナやマンゴーなどはカシミール地方や平地から運ばれてきたものだ。
動物は犬と羊しか見なかった。インド世界の至る所で暮らしている牛はここでは一度も見なかった。そのためかミルクがなく、チャイも粉末ミルクを使っていた。
食事はチベット・ネパールの伝統食、チョウメン(焼きそば)、トゥクパ(うどん)、モモ(餃子)や、ジャガイモを使ったラダック伝統料理など、インドのカレーに疲れた胃腸に優しい食事で嬉しかった。朝食は焼きたての手作りパンにアプリコットのジャム、オムレツもあった。どこで食べても、何を食べても美味しい。
レーの街の中心には、王宮が聳え立っていた。ラダックはインドに併合される前は1000年ほど続くラダック王国という独立した仏教王国であった。そのかつてのラダック王国の首都レーに建っているのがこのレー王宮だ。空は青色というより紺色だ。その紺色の空の下に堂々と建つ王宮は街のシンボルであった。
レー王宮を見たあと、すぐ隣に建つゴンパ(寺院)にも入ってみた。中ではちょうど巨大な仏像の塗り替え作業をしていた。作業を眺めていたら、お坊さんがバター茶をご馳走してくれ、少しだけ仏像に色を塗るのを手伝わせてくれた。
レーには1週間ほど滞在した。その間、バスでヘミスゴンパやティクセゴンパに足を伸ばしたりしたが、基本的にはレーの街をぶらぶら歩いて、のんびりと過ごしていた。
レーで旅行者が訪れる場所はそれほど多くない。滞在中に偶然何度も顔を合わせて挨拶などしているうちに、何人かの旅行者と知り合いになれた。
レーの街外れの小高い丘には日本寺が建っていた。日本寺は、日本山妙法寺が建立した寺で、ラダック以外にもインドに何ヶ所かある。このチベット文化圏のラダックに日本の寺がある、というのが珍しくて行ってみることにした。わざわざこの寺を訪れる酔狂な旅行者は日本人くらいだろう。
その日本寺に向かって丘を登っているときだ。上の方から「オハヨウゴザイマス」と元気な声で挨拶をされた。同じ宿に泊まっていて少し顔を知っていた香港の女の子たちだった。何度も顔を合わせていて、この日本寺というマイナーな場所で会った偶然をきっかけに、話しかけてきたのだ。その後一緒に寺を見て話をしてるうち、日本寺のある丘から降りる頃にはもう仲良くなっていた。
その香港の女の子たちが、面白い旅行者がいるから一緒に会いに行こう、と誘われて会ったのが、どこかの教授という小太りでやたら元気なアメリカ人のおじさんと、そのガールフレンドのすらっとしたきれいなオランダ人。アメリカ人のおじさんはとにかく好奇心旺盛でラダック人、旅行者関係なく、おもしろそうなことがあると、すぐに首を突っ込み、どんどん巻き込んで、自分の周りの人の輪をどんどん広げていった。本当にパワフルだった。そのおじさんと行動を共にしていると、自分がラダックの旅人の中心にいるような、変な錯覚をした。その日は、皆で一緒にランチしたり、お茶したりと、久しぶりの会話で楽しい時間を一緒に過ごすことができた。こういう偶然の出会いも旅の醍醐味の一つだ。
彼女たちはインド旅行中に私が初めて出会った香港人だった。その頃、インドで会うアジア人の個人旅行者というと95%以上が日本人で、本当に時々韓国人旅行者に会う程度だった。今現在、世界を席巻している大陸の中国人旅行者は一人もいなかった。その当時、海外旅行が制限されていたのかもしれないが、日本のようにある程度、経済が発展していないと、わざわざ真逆のインドにまで来ようなんて思わないのだろう。その頃のアジアの国々はまだまだ発展の途上だった。
滅多にいない香港人でしかも女性だ。仕事を辞めてインドを旅しているというから、なかなかの覚悟を持って旅しているに違いなかった。
そうやって旅行者と話をしていると、いろいろな情報が入ってくる。レーからシュリナガルまでバスを使わず、トラックをヒッチハイクして帰ることができる、という話を聞いたのもその時だ。レーで積荷を下ろしたトラックは荷台が空のままシュリナガルへ帰ることになる。その荷台に乗せてもらうのだ。もちろん幾らかの謝礼は必要だが、相場ではバス料金の半額以下らしい。狭いバスの座席ではなく、荷台に寝転がるのは快適そうだ。トラックの運転手も空の荷台に人を乗せて運ぶことで小遣いを手にでき、まさにwin winだった。
トラックで帰ろう。すぐに気持ちは決まった。
公共交通機関のバスではなく、トラックをヒッチハイクすることで、私はこの旅でまた何かしらの小さな自由を手にしたような気がしていた。
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