目で聴く音楽「網膜ボカロ」
皆さん、こんにちは。
視力です。
突然ですが、皆さんは音楽を何で聴いていますか?
イヤホン、スピーカー、スマホ、パソコン、ラジカセ、CD、MDプレーヤー、レコード、Spotify、Apple Music、ライブハウス、コンサート会場、野外フェス、などなど
様々な機器や環境で音楽を楽しんでいると思います。
しかし、これらは全て
耳で聴いている音楽です。
もうひとつ質問です。
皆さんの好きなボカロ曲はなんですか?
神っぽいな、酔いどれ知らず、ラヴィ、ロウワー、KING、キュートなカノジョ、グッバイ宣言、ヴァンパイア、フォニィ、カゲロウデイズ、Just Be Friends、マトリョシカ、メルト、千本桜、Flyway、アスノヨゾラ哨戒班、シャルル、などなど
上げればキリがありません。
そして、それらは
VOCALOIDやUTAUなどの音声合成技術、ソフトウェアによって生み出されている作品です。
音楽は聴覚器官である鼓膜を刺激し空気振動を脳に届ける事で快楽物質を発生させ、VOCALOIDは実際の歌手の歌声の音声素片をつなぎ合わせる事で美しい音色を奏でています。鑑賞者は耳を有し、作曲者はVOCALOIDを有し、それらのツールを通さなければボカロ曲は堪能出来ません。
いや、本当にそうでしょうか?
この世の中には、
耳がなくても楽しめるボカロが存在しています。
それは、鼓膜を経由しない音楽
「網膜ボカロ」
目で聴いて楽しむボカロ曲 という新しい音楽表現の形です。
網膜ボカロとは?
百聞は一見にしかず ということわざがこんなにも文字通りな事もないですが、 まずはこちらをご覧下さい。
しんなりPによるモカロ曲「網音モマの純真」です。
繊細なピアノの音色と、透明感のあるアンサンブルが耳に残ります。
まだ複雑な想いを抱えながらも距離を取ろうとするリリックは、センチメンタルな世界観を作り出していますよね。
虚げで泡のようなメロディが胸を締め付ける、ソウルフルなポップチューンです。
…と、このように
視覚のみに頼って、ボカロ曲の一枚絵のサムネイルから逆説的に音を想起させる、これが「網膜ボカロ」です。
つまりは、この画像で表現されているボカロ曲は存在しないのですが、さも存在しているかのようなビジュアルを作成する事で我々のボカロに対する潜在意識的な共同幻想を条件反射として誘発させ、鼓膜を通さず、網膜を通してメロディを届ける営み、それが「網膜ボカロ」。
こちらは人生P作曲の「EYES」。
印象的なサウンドをフィーチャーした浮遊感のあるイントロに耳に残りますよね。
刹那的で叙情的なリリックは、絶望や孤独を経験した事がある方であればご自身とどこか重ねてしまうのではないでしょうか。
涙しているようにも聴こえるメロディが心に刺さる、切ないポップチューンです。
んぷとらP「ウニョリズム」
緻密な疾走感のあるビートが爽快なナンバーです。
飄々とした態度の中に燃える熱い闘志が時として自己否定のループを引き起こし陥ってしまう気持ちの乱高下は、多くの方の共感を誘うのではないでしょうか。
普遍的な問いかけが核になるメッセージと清涼感のあるメロディのコントラストが癖になる、耳と心に残るロックチューンです。
ぷらりねP「幕間ディスコティック」
エレクトロポップの魅力が詰まった作品です。
アーティスティックで不可思議なエレクトリックチューン、クールなビートと幼げなあどけない歌声が絡み合い、聴く人の心を掴んで離しません。
頭の中を空っぽにして音楽に身を委ねたいなら、この曲がぴったりかも。
皆さんも網膜に音が響いてきたのではないでしょうか?
網膜ボカロ誕生の経緯
そもそも、網膜ボカロはどのようにして生まれたのでしょうか?
それを話すにはまず現代4コマの説明から始めなければいけません。
「現代4コマ」とは「現代アート」+「4コマ漫画」の融合を成したネットミーム芸術運動です。4コマ漫画でありながらストーリーやキャラクターの必要性を廃しその枠外も表現に含めた追求を行なっています。概念創作者のいとととさんによって生み出されました。
その現代4コマから2022年に上記の作品が生まれます。
ベートーヴェンの4コマと記された「運命を思い付いた瞬間」です。
この作品は現代4コマというジャンルを一躍有名にさせたと同時に、網膜音楽の誕生のきっかけを作った作品とも言えます。ジャジャジャジャーンというあの音色と共にベートヴェン作曲構想曲第5番運命の冒頭がコマの縮尺で表されそれが網膜を通して想起されます。
現代4コマという概念の浸透とともに実際に音楽表現を用いて四構成を表現するスタイルをサウンドアート4コマと呼ばれるようになりました。
その流れの中で創設者であるいとととさんが「運命を思い付いた瞬間」を聴覚表現を用いないサウンドアートとして逆輸入的に再定義したのが網膜音楽という言葉です。
視覚から音楽を想起させるミーム作品が多数生まれる中、
その派生から網膜ボカロが生まれたのです。
これが網膜ボカロのムーブメントを生んでいきます。
この現象により網膜ボカロシーンの土壌が耕され始めました。
作品が次々と生み落とされて、目にした者の網膜の数だけメロディが奏でられている飽和状態です。
たくさんのモカロ曲が今日もまた誰かの水晶体に響き渡っています。
これが網膜ボカロ誕生の経緯です。
サウンドアート4コマから着想を得てただなんて、目から鱗ですね。
網膜ボカロに似た表現
最後に、こういった音楽表現は過去存在しなかったのか?
筆者が個人的に似てると思うものを上げていこうと思います。
まずは美術方面から
20世紀のスイスの画家、パウルクレーは音楽を絵画で表現する事を試みていていました。色、形、線、それらによって音を絵で表せるとの理論を持って作品が描かれていました。
演奏を伴わない音楽表現としてはジョン・ケージの「4分33秒」を思い出した方も少なくないと思います。
実際にはこの曲は無音の空間で僅かに聞こえる物音を純粋音楽として堪能するという意図がありますが、それもまた作品の中に個々人の感覚器官を組み込んで作品とする網膜ボカロ的なコンセプチュアルアート性が立脚しているのを感じられます。
また、こちらはボカロシーンに実際に存在する音楽ですが、視覚表現が聴覚的感知を誘発させるタイプの作品として、フロクロさんの作る音楽も実は似たような領域での遊戯の可能性があると感じています。有名な「ただ選択があった」の動画ですが、こちらの作品の音声を抜き取って映像だけ見させられたら、私達の網膜にはあのメロディが流れてしまう事は免れないのではないでしょうか?
網膜ボカロの虚実性に着目してゆくと、存在しない音楽とその歌手を想起させ共有する面白さとして伊集院光がかつて深夜ラジオで生み出した「芳賀ゆい」という架空アイドルも並べられると思います。存在しない芳賀ゆいというアイドルをパーソナリティとリスナーの共犯関係で創り出すその一連の盛り上がりは、九本さんが生み出したモカロキャラ網音モマをすぐさま取り入れサムネ化させたモカロP達の愉快犯性と綺麗に重なっています。
これらの既存の表現と比較してみるのも面白いですね。上記の作品たちとモカロが明確に違うのは「画像を音楽だと言いきってる」ところだと思います。網膜ボカロの音楽としての特異な点もより感じられますね。
まとめ
さて、いろいろ見てみましたが皆さん網膜ボカロについてわかりましたでしょうか?
モカロの現在から、誕生の経緯、過去の類似例など、ざっくり説明させていただきました。
網膜ボカロはまだ出来たばかりの音楽文化です。
モカロを実際目で聴いたり、自分で作ってみたり、参加して楽しんでこの新しい音楽表現を盛り上げていただけたらと、いちモカロファンとして願っております。
Twitterで「#網膜ボカロ」と検索するとたくさん出てきますのでぜひご覧下さいませ。
では、網膜ボカロがこれからどうなっていくのか皆さん温かく見守って下さいね。
以上、
網膜ライター 視力がお送りいたしました。