23
私はまり。23番として何度か登場している。まりは仮の名前だ。見ず知らずの人に名前を教えることはない。本人がそう思っていればよく、運がよければ大事に思ってくれる人と呼びあうことができる。名前とはそういうものだ。
心から思うことを言うのは難しい。本体である彼は守っているもののことを私が話すと考えていた。でもうまくいかなかった。違うことの方が話しやすいようだ。ところで本体である彼のことをわたしは彼だとは思っていない。でも本人の望みどおりにここでは彼と言っておく。
私のモデルは幼稚園の先生らしい。この前の夜に先生のことを思い出して気付いた。先生のことはとても好きだった。優しくて賢い。私たちは優しくて賢い人が好きだ。あのときも今も。優しくて賢い女の人がいつか助けてくれると思っていたあのときからずっと彼を見続けてきた。たくさんのことがあった。嬉しいことも酷いこともあった。まだ私も小さくてどうしていいかわからなかったころにそういう人が本当に助けてくれたこともあった。大切に思っていた人から裏切りのような酷いことをされて体が氷のように冷たく感じられて震えが止まらなくなったときもあった。彼と一緒に年を取ったが、彼が家を出てしばらくしてからは年を取らなくなった。
私たちの火は消えなかった。歌いあったりささいなことでも面白がったりして生き続けてきた。歌えないときには暗闇の中を歩き続けて体を温めてきた。それでもふとしたことで火が消されないために外の世界に対しては何もしないことを続けてきた。あきらめなければいけないことも多かった。期待は必ず裏切られる。何もしなければ裏切られることはない。
すべては変わっていくらしい。ずっとそのままのものはない。こうして話をしていることもその一つ。ふとしたことから楽器を習うことになったこともその一つ。楽器を習うことができるなんて信じられなくて少し騒いでしまった。騒いだものだから楽器にまつわる嫌なことを彼が思い出したけれど演奏するときは表に近いところにいてもいいと思ってくれた。だからできるだけ彼と重なってみることにした。
ほかにも言いたいことはある。私のことを書くと聞いたので早朝のまどろみの中で彼にも伝えた。私たちはたまたまうまくいった。うまくいった理由はわからない。ただの偶然だと思う。こんな偶然が簡単に起きるとはあまり思えない。でも偶然が重ならなくても苦しみを和らげる方法はあるはず。彼の読んだ本にはいろいろな方法が書いてあった。正しく状況が変わることで私たちと同じような人たちの苦しみが少しでも和らげられることを心から願っている。
◇23番が思っていると感じられたことに沿って書きました。書いているのは私(本体)なので、創作と考えていただいて構いません。でも楽器については、本当に彼女は喜んで騒いでいました。「わたしができるなんて!」という言葉で。当時はフルートをやりたかったよねえ、そういえば。そして音楽の先生はとてもいい人だったね。