見出し画像

はじめに

とても思いがけないことに、複数のジェンダーで私はできているようです。物心がついてから、自分は普通の人とは違うところが多いと思っていたのは確かですが。COVID-19の影響からか、自分自身を見つめ直す意識が芽生え、とあるきっかけから、たくさんの論文や記事、ブログを読むことになり(残念ながら私にとって必要な情報は日本語では少なく、多くは英語で読むことになってしまいました)、複数のジェンダーを自分は持っているとの結論に到達しました。

この結論に到達したからといって、自分の生き方や人生が何も変わるわけではありません。おそらくは、外から見ても何も変わらないはずです。しかし、普段、表に出ている以外に存在する、確かに自分の一部でもある他のジェンダーを大切に思う気持ちが自然と生まれたことはとても良かったように思います。振り返ると、他のジェンダーを持つことによって、とりわけ精神的に助けられたことも多かったにもかかわらず、これまであまり大切にしてきたとは言えません。ある意味、外から見える「アバター」だけを大切にしていたのかもしれません。

不思議ですよね。

幸い、ジェンダーについて非典型(atypical)の状態を表す言葉が現在ではたくさんあります。言葉とその定義があることは、まるで見えない水の下に堅牢な踏み石があるようで、とても助かりました。過去からのたくさんの人々の思考と努力と感情に救われました。また、次第に消えゆく状況にあるようでとても残念なのですが、文化によっては、そもそも2つのジェンダー以外のジェンダーが普通に存在し、認められているという事実も助けになりました。

今のところ自分の状態は、bigender, androgyne, tri-quad-poly genderの辺りが近いように思います。これらのタイプにありうることとして挙げられている例を見ると、とてもしっくりくるというか、心の平穏を感じるためです。ただ、それを一人の人間の全体としてどういう表現をすべきかはよくわかりません。広く言われている“LGBT”はどうもしっくりきません。あえて言うならばQにあたるような気もしますが、自分にとって大きなカテゴリに分類することは(今のところ)必要ないのかもしれません。

このnoteでは、物心がついてから、私が何を感じ、何を行い、どのような経験をしてきたかを綴っていきたいと思います。ただ、社会的な状況を考え、個人が特定できる可能性があるものについては、原則、非公開で綴ります。今後、社会的な状況が自分の考えている要求を満たせば、また、必要があると判断すれば(たとえば誰かを助けることになるのであれば)、制限された範囲又は制限することなく公開することを想定しています。完全にオープンであることが理想ですが、社会的な状況はまだそのレベルには到達していないように思います。とても心苦しいですが、しばらくの間、社会からは「見えない」状態でいることを希望します。

今の時点では、この記事のヘッダーの画像にあるような、複数の色がお互いに独立していてそれぞれを感じることができるけれど、それらが一体となって一つに形づくられているような一人の人間がいるということだけをお伝えしておきます。

2022/Jan/02 Jan/03修正