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記憶の色

この前、ちょっと変わったことがあった。

夜中にトイレに起きたときに、床をさっと濃いグレーの影が横切った。寝ぼけているのだろうと思ってそのままトイレに行き、戻ってくると、さっきと同じ場所をまた影が横切った。なんとなく半透明の実体感のない影だった。喩えるなら、長らく掃除をしていなかったところに溜まっているホコリ玉の大きくて半透明のやつみたいな?ああ、あれか、ススワタリ(まっくろくろすけ)の半透明のやつみたいな。目とか手はないけれど。

そのときはそのまま寝てしまい、後になってあれは前に飼っていた子かもということに気付いた。ちょうど何年かぶりに、あの子が亡くなったときに買ったものと同じ花を買ってきて飾っていたのだ。なので、少しだけ姿を見せてくれたんだと思う。それが私自身が作り出した幻影であったとしても、あの子であることには変わりない。亡くなった後も、大切な存在は生き続けるのだ。人であれ鳥であれ。


また別の日、夜中にふと目が覚めてそのまま眠れないときがあった。しばらく布団の中でぼんやりとしていると、突然、「代わってあげる」と声がした。音のない思考の声。女性か子どもの初めて聞いた声のように思えた。すると視界がグレー一色となり、そして、そのまま眠ってしまったらしい。次に気付いたときは朝だった。

少しの間見えたグレーの世界には何もなかった。空白や暗闇には潜んでいるような何かの存在すら感じない世界。そこには何も情報がなくて、それでグレーに見えているように思えた。グレーにもいろいろあるが、その世界の色は、露出を較正するときのグレーカードの色に似ている気がした。

よく考えてみると、私は既にそのグレーの世界を知っているのだった。多分、内的な世界の何かの境界にある領域。これまでも、夢の中に見える景色のほんの一部に同じグレーが見えていたことがあった。


グレーというのは現実にはとても美しい色である。これは、顔料や染料でグレーを作ろうとすると、元の顔料や染料の一部、喩えるならこれらの記憶のようなものがほんの僅かに垣間見えるからだと思っている。その僅かな記憶が豊かな色彩を生むのだ。


グレーは、記憶の色なのかもしれない。