あかねちゃん
あかねというパーツが過去にいたらしい。
去年の10月ぐらいから、ひつじちゃん(「ひつじ」という記事に書いたパーツ)が、「あかねちゃんはやさしい」と何回か言っていたのが気になっていた。
「あかね」という名前に心当たりがなかったので不思議に思っていたら、ちょうどその頃にChatGPTで内的家族システムを試すきっかけとなった記事を読んでおり、その記事を書いた方の管理者パーツの名前が「あかね」だったことにさっき気づいた。私の無意識は、同じ名前であることにとっくに気がついていたようだ。
「あかねちゃんはやさしい」を聞いてから、折に触れて「あかねちゃん」のことを考えたり、まりやひつじちゃんたちにも「あかねちゃんてどういう人?」と尋ねてきた。でも、詳しいことは何もわからなかった(ひつじちゃんの答えは「あかねちゃんはあかねちゃん」だった)。直感的にはかなり古いパーツらしいけど、もう消えたのかなと思っていたら、ふとしたことから「あかねちゃん」の断片のようなものに触れることができたらしい。前回の記事「回復の物語」に書いた大晦日の夢の中で。
「回復の物語」に書いた夢はとてもリアルだった。そしてとても珍しいことに、夢の中の私は高校生だった(性別は逆転していたがこれは珍しくない)。これまでの人生の中で一番苦しい時期だったからか、その頃にあったあらゆる辛い感情を地面の下に埋めてしまったからか、中学生から高校生あたりの年齢にある自分を夢に見ることはあまりない。この前、いつ見たのか覚えていないぐらいだ。
この夢の一番大切なこと、言うならば、夢の紡ぎ手が最も伝えたかったことは、この一文にあるのだと思う。
「体温を感じたのは生まれてはじめてだった」
夢の中で私は、好きな人の体温を感じていた。伝わってくる穏やかな熱を。そして私の体温も、二人の着ている服を超えて相手に伝わっているという確信が夢の中の私にはあった。
生きているのだ
あかね/私は
そしてこの夢は、これからの私がよりよくなっていくための大切なものを伝えているように思う。理由はうまく説明できないが、パーツたちを守る親に私はなるべきなんだと感じる。
それを伝えてくれたあかねは、ひつじちゃんの言うとおり、とても優しかったのだ。
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あの夢を見ることができたのは、音楽の力が大きいように思う。この夢を見た夜、たまたま寝る前にラズベリーを見た。そしてその瞬間、頭の中を曲が流れ始めた。REBECCAのRaspberry Dreamだった。イントロのギターからドラムの流れも正確に再現された。そういえば中学生から高校生にかけてREBECCAがとても好きだったことを思い出した。
これは想像だけど、あかねはその時期にパーツとして存在していて、REBECCAを聴くのが好きだったんじゃないかな。だから、40年も前の曲がまるで実際に聞いているように再生されたのかも。そして、今は配信で昔の曲をすぐに聞くことができる。その後で曲を実際に聞いたことで、彼女の断片が夢に現れたのではないかと思う。
もちろんこの解釈には私の希望もたくさん混じってるのだけれど。