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くまのはなし

引き続き、解離性障害の話です。話半分でお願いします。

解離性障害の話はまだまだ続きそうです。そろそろ、一連の記事をマガジン化してもいいかもしれない。

ところで、ちまちまと記事を書き続けているのは、もちろん自分自身の記録のためでもあるのですが、医師の知識不足などによって、解離性同一性障害のような判定しやすい(本当にそうなのか?)ものを除いて解離性障害が詐病扱いされたり、他の疾患と誤診されたりすることが普通にあると聞いたためです。経験を書いて公開しておくことで、いつか誰かの何かの役にたつかもしれない。しかし、解離性障害に限らず、多種多様でパターン化しにくい現象(要するに教科書に書くことが難しいような現象)がなかなか理解されないのはわかりますが、医者(専門家)ならきちんとして欲しいです。

くまのはなし

前から不思議に思っていることがあって、動物としてのクマとぬいぐるみのくまってなんであんなに印象が違うんでしょうか?オオカミとかとは雲泥の差。

くまのぬいぐるみはおしなべて可愛い。猫と同じく、目が正面を向いているからかもしれない。でも、現実には、パディントンみたいな可愛いクマはいません。種によるかもしれませんが、良く知られたクマは人を襲うぐらいのサイズと力があるはず。

ああ、でもそれはサイズの問題かも。パワーをもたらす丸みのある体型がスケールダウンすると可愛く思えるのかもしれないですね。元々、人間は丸いものを好むようにデザイン(設計)されていそうだし。

なぜ?

くまのぬいぐるみが心の中の部屋を開く鍵となったことは、以前に書きました。このことがかなり不思議で、どうして鍵となったかが全くわかりません。本当にわからない。

子どものときにくまのぬいぐるみは持っていなかったし、動物のクマにも特に心惹かれませんでした。一番好きだった動物はペンギン(これは今でも変わらない)。

そして、くまに限らず、ぬいぐるみに話かけるなんてこともなく、そもそもぬいぐるみに興味がありません。むしろ現物が好きで、動植物を問わず、現物に話かけていました。それはそれで変なのかも。公園には好きな樹とそうでもない樹があって、暖かく感じる好きな樹に抱きついてくっついている小学生というのもあまり普通には見かけないかもしれない。

18番や23番に訊ねてみてもよくわからないみたいだし、記憶/分析のペアに聞こうにも、6歳の自分を見つけたときから会えていない(彼らは表に近いところにはいないのかもしれない)。

すごく謎なわけです。

同じような体験した人に聞こうにも、そういう人はまず見つからなそうだし。

仮説

仮説を考えるのが好きなので考えてみました。

仮説1
くまのぬいぐるみが好きな子が私の中にいて、その子が喜んだことをきっかけに鍵が開いた。

仮説2
くまのぬいぐるみに限らず、非日常的なもの(トラウマから遠いもの)であれば良かった。非日常的なものは鍵になる可能性がある。

仮説3
臨床心理士によるカウンセリングの部屋でくまのぬいぐるみを見て思ったのは、8歳の頃の自分はとても汚かったということでした。本当に汚いんですか?と尋ねられたのですが、汚いということ以外は何も思い浮かばなかった。自分が汚いや醜いと思う感情は、虐待を受けた子どもがよく思うことらしいです。その汚いという感情をくまのぬいぐるみが代わりに思ってくれているように感じた、というのが仮説3。ちなみにそのぬいぐるみは男の子であるように感じました。


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と、ここまでは、水曜日の帰りの電車の中でラフに書き込んだ内容です。その日の帰宅後に意外なことがおきます。


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記憶/分析ペアと彼らの話

私の中には記憶/分析ペア(と私が勝手に名前をつけた)という男女のユニットがいるようです。二人は、グレーのイメージで同じ背の高さ。大切な記憶を司る役割を担っているようです(詳しくは知らない)。彼らは、私がリラックスしていて、かつ、彼らが必要だと思ったときにだけコンタクトがとれるようで、前回、6歳の自分が見つかったとき(朝の布団の中)以降は気配すら感じられませんでした。帰りの電車の中でくまのぬいぐるみのことを考えていて、帰宅後にお風呂に入ってほかほかの気分になったときに突然意識に浮かんできて、くまの意味について教えてくれました。前回とは違い、今回コンタクトしてきたのは男性の方でした。

彼らによると、くまのぬいぐるみが8歳の私とリンクしているのは確かであるようです。

汚い子の意味

8歳のときに引っ越したことがあります。引っ越した先では、家庭内の不和がさらに酷い状態になりました。また、国道沿いで大型車の通行が多く、当時の車両の排気ガスは今からは想像もできないほど汚れていたためか(70年代の日本の都市はかなり汚かったのです)、短い間に気管支炎に繰り返しかかってしまいました。

なったことがある人ならわかると思いますが、咳はリラックスしたり、夜になると出やすくなります(副交感神経が影響しているらしい)。また、気管支炎では、空咳が続いたりもします。夕ご飯の後に咳き込んでいると、イライラしていたらしい母親から、わざと咳をしている、病気の咳なら痰が絡むはずで空咳になるはずがない、と散々怒られることになってしまいました。とはいえ、咳が止まるはずもなく、どうしたらいいのかわからなくなってしまったのです。怒られるのは何日か続いたはずです。

このことをすっかり忘れていたのですが、記憶/分析ペアに指摘されて思い出しました。ただ、ひたすらやるせなくて悲しかったという事実は思い出したのですが、感情は思い出すことができません。

そして、その引っ越した先と小学校との間に中華料理屋(いわゆる町中華)があって、夏には学校の帰りに水筒を持っていくと水を入れてもらえたのです(ただし、その店の一家と知り合いの子と一緒に行ったときだけだったけど)。店の給水機の上には、くまのぬいぐるみがビニール袋に入ったまま置いてあって、それを眺めていたでしょう、と記憶/分析ペアが教えてくれました。さらに、咳で怒られたときの夕飯がその店の出前であったこと、カウンセリングを受けてからは、noteで町中華のトピックをよく見てたじゃないということも。


汚いと思っていたのは病気で寝ている自分でした。

想像もしなかった。


トリガー

おそらくは、8歳の頃に解離によって埋められた記憶がかなり重かったんだと思います。なので、その記憶とリンクしているくまのぬいぐるみを見たことが一連の出来事のトリガーになったようです。鍵というよりは、埋められたものが出てくる最後の一撃というか。

それ以前から、偶然、いろいろな出来事が続いていたのですよね。そこにくまの一撃は効いた。偶然の出来事については、また書こうと思います。


ところで、咳のせいで酷い目にあった後、どうなったのかを全く思い出せないんです。記憶/分析ペアも教えてくれませんでした。気管支炎はすぐには治らなかったはずなんですが、どうやって過ごしていたんでしょうか。