コアの話と, ちょっとデミロマンティックの話
世界の見え方2で、コアであるfemaleが無意識に表に出てきて冷や汗をかくことがある(あった)という話をしました。
コアは、驚いたときや人と話をしててとても楽しい気分になったときに突然表に出てくることがあります(ありました)。過去形なのは、社会的な体面(束縛)上、そうならないように注意しているからです。
実例
中学1年か2年生の頃(この時点ではまだ性別が混乱していません。成長のステップが変わってるのか、背だけは大きいものの、そもそも性別について良くわかっていませんでした)、休み時間になっても授業が続いている教室の外の廊下で何人かで待っていたところ、風が吹くか何かで教室の扉が突然開きました。そこでは、机に座った生徒が規則正しく並んで神妙に先生の話を聞いていたのですが、突然見えたその光景が予想外に面白くて、思わず変な声をあげて笑うとともに少しだけ飛び跳ねてしまいました。小さい子どもがやってるみたいな感じです。その直後、自分の中から突然出てきた明らかに普段の自分とは違うような感じがする行動にすごく驚きました。あまりに驚いたので、そのとき見えた教室の光景ごと未だに良く覚えています。今考えると、無意識にコアが表に出てきたように思います。後の別の実例と感覚がよく似ていました。
ところで、その場にいた田中君(学級委員長)に「何やってんだ。すぐ扉を閉めろよ」ととても不機嫌に怒鳴られたのですが、そこまで怒る必要がありましたか?田中君。扉は勝手に開いたんだし、無意識のリアクションだったし、先生は何も気にしてなかったぞ。君は一緒にウケるべきだったよ。
注釈1)成長のステップについて不思議に思っていることがあります。背の高さなんですが、中学校に入学するまではかなり大きく、特に幼稚園から小学校を卒業するまでは一番大きかったはずです。ところが、そのまま大きくなるのではなく、中学生の後半以降、あまり伸びなくなり、高校に入ってからどんどん身長が追い越されました。典型的な男性とはちょっと違う成長のステップであったように思えます。
違う実例
就職して最初に配属された職場の自席の後ろに同年代の女性がいました。挨拶して話をしているうちにとても盛り上がり、挨拶どころではない長い会話となってしまいました(今とは違い、90年代の職場なのでかなりのんびりしています)。話しているうちにいつのまにかコアが表に出てきていたのでしょうか、自席に戻る際に満面の笑顔で「じゃあまたね!」と言って手をぶんぶん振るということを無意識にやってしまいました。その人はにこにことして同じように手を振って返してくれましたが、直後、配属初日から何かとんでもなく間違ったことをしてしまった気がして驚愕する羽目に陥りました。幸い、その人は全く気にしなかったようで(だから話が盛り上がったのでしょうが)、おかしな噂が広がることはありませんでした。
ただ、挨拶したときは知らなかったのですが、その人は既にご結婚されており、しかも旦那さんが同じ会社にいたのです。初日からいきなり会話が盛り上がってたことについて誰かが旦那さんに話したんだと思います。しばらくして顔を合わせてからの旦那さんの私に対する態度がひたすらにずっと冷たく、うわーと思っていました。もっとも、その人の態度はずっと変わらなかったので、旦那さんはどうでも良かったのですが。それ以降は、コア的な行動が無意識に出てこないように注意してました。
注釈2)デミロマンティックの壁があるため、楽しく話をする以上の何かがあったわけでもありません。デミロマンティックは、とても良い素質だと思います。
注釈3)別の女性ですが、同じように楽しくしゃべっていたところ、その場にいた旦那さんがとても不快に思ったらしく、かなりピリピリした対応をされたことがあります。後でその女性に「あのときはうちの旦那が嫉妬して酷い対応してごめん」と謝られ、嫉妬されていたことに初めて気づきました。嫉妬の感情は人間の根源的な感情でもあるように思います。仮にノンバイナリーに対する世の中の理解が進んでコアを表に出すことが問題なくなったとしても、人の根源的な感情を無視することはできません。状況に応じて、表に出さないようにする注意が必要であるようにも思います。
別の実例
女性と喋っているとき、お酒に酔ったときにコアが表に出てきやすいようです。両方が重なるとなおさらです。最初の職場は女性が多かったこともあり、自分以外が全員女性の飲み会(お互いに仲の良い女性同士の飲み会に新人の自分が誘われるパターン)がよくありました。自分以外が女性であることは、8歳ぐらいまで女の子たちと遊んでいた経験からか、全く気になりませんでした。そして、多分コアが出てしまったんだと思うんですが(少し記憶が定かではありません)、膝枕で頭をなでてもらっているということが何度かありました・・・。女性同士が人によってはたまにやってるみたいな感じですね・・・。
注釈4)自分以外が全員女性の飲み会ですが、メンバーは誰でもいいわけではありません。合わない人との飲み会は、メンバーの性別を問わず苦痛です。また、男性同士の飲み会よりも楽しいです。男性同士の飲み会では、話題が合わず、話すことがありません。調子に乗って話す男性のただの聞き役になって楽しいわけがないですよね。
注釈5)膝枕で頭を撫でてもらったり髪をといてもらったりしたことですが、若いとはいえ、今から考えるとめちゃくちゃなことをしています。書いてて冷や汗が出てきました。今の時代では許容されないんじゃないかなと思います。ただ、性的な意味合いはお互いに全くないことは明らかだったことは強調しておきます。
注釈6)成長して家を出るまでの家庭環境が劣悪だったことによる愛着障害は、彼女たちのおかげでかなり解消したと思います。短い期間に成長の過程をもう一度正しく繰り返したというか。彼女たちには感謝してもしきれません。直接会うことはありませんが、20年以上たった今でも連絡はとっています。もしかしてコアは、自分の中に残る子どもの部分にも強くつながっているのかもしれません。
心配なこと
将来歳をとり、認知症になり、介護施設に入ったとして、コアが表に出てくるのではないかと少し心配です。冗談みたいですが、割と真剣に心配しています。そのときに、少しでも世の中の理解が進んでいるといいのですが、どうでしょうか。
言葉
これは本当に大事なことだと思うのですが、コアが表に出てきても、いわゆるオネエ言葉になるわけではありません。言葉遣いは普段と変わりません。典型の女性が日常でオネエ言葉を使っていないことからも明らかだと思います。あれはある種の演芸みたいなものだと思っています。
注釈7)もちろん、話す言葉の語尾が「だわ」や「なのよ」のような謎の語尾になるわけではありません。典型の女性(一部地域を除く)が日常でそう喋っていないことからも明らかだと思います。ところで、英語の歌詞を和訳するときに、歌手が女性だと語尾を「だわ」や「なのよ」のように訳する人がいますが、あれはなんなんでしょうか。全く理解できません。英語の歌詞はそうなってないし、実際、そういう風には歌ってないでしょう?
追記
こういう態度や言動を許容しない女性も多いです。そもそもそういうときはコアは表に出てきませんけれど。許容してくれる女性との割合は、経験上、半分半分というところだと思います。許容しない女性について、当時は性別にとらわれている人(相手の性別によって態度を変える人)だと思っていましたが、よくよく考えてみれば、自分が非典型なだけでした。
追記2
この記事には女性が何人か出てきますが、一人として恋愛感情や性的な感情を感じた人はいません。デミロマンティックとデミセクシャルの壁は、自分にとって堅牢です。しかし、この壁があったからこそ、コアが表に出ることができたような気もします。そして、デミロマンティックであっても彼女たちへの愛情は感じます。日本語で「愛」や「愛情」というとおかしな感じがしますが、英語圏の人は恋愛感情や性的な感情がなくても大切と思う人には"I love you"といいますよね。この感覚が近いのではないかと思っています。