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世界の見え方

過去のエピソードを掘り返すのが思っていたよりもつらいです、みたいなことを書いたせいか、あなたへのおすすめで表示される記事がメンタルヘルス的なものばかりになってしまいました。noteのシステムは、ちゃんとチェックしてるんですね。畳みかけるように同じような記事ばかり紹介しなくてもいいとは思いますが。幸い、私には変に楽観的なところがあり、メンタルヘルスは全然大丈夫です。家庭の問題で一番酷い状況だった10代後半の頃も、なんとか無事に乗り切りました。

苦しみの物語

「メディアにおけるクィアストーリー: 私たちは苦しみの物語に焦点を当てすぎているのか?」という記事を読みました。

確かにそうかもしれません。苦しみの物語は人を惹きつけるため、人を呼び込む必要のあるメディアでは強調して取り上げられがちのように思います。

読んだ記事の本来の趣旨とは離れますが、今日は、femaleとandrogyneのマルチジェンダーであることのメリットについて書きたいと思います。ただし、あくまでも主観による相対的な話です。メリットには、ジェンダー以外の別の何かが絡んでいるのかもしれません。また、ある人にとってのメリットは、他の人にとってはそうではないかもしれません(これは、とても大事なことであるように思います)。

注釈1)androgyneという言葉には、着目点の違う複数の意味があるようです。私は、自らの内面であるジェンダーそのものについてandrogyneを使っています。生物学的な意味や、自らの表現の意味では使っていません。同じく、ノンバイナリーについても、自らの表現の意味では使用していません。私の使っているノンバイナリーには、ジェンダーがバイナリー(いわゆる女性と男性)に属していないこと以上の意味はありません。例えば、私は男性に見える服装をしていますが、仮に体が女性になったとしても同じ服装をするように思います(現実にはもう少し複雑ですが、基本的にはそうです)。自分を表現する方法は、ある意味、バイナリー的ともいえます。

世界がキラキラして見える

色彩豊かに見えると表現するのがいいのかもしれません。ほんのわずかな光のうつろぎや自然の変化を感じることができます。水面や草原をわたる風やその揺らぎを全身で感じることができます。植物や動物など生きるものの力と意思を感じることができます。車を運転すると、わずかな傾きや路面の変化をリアルタイムで感じることができます(車の運転は上手ですよ)。外界に対するセンサーの種類と数が、何故か生まれつきたくさんある感じです。小学生のころは公園の木に抱き着いて、その温かみを感じることが好きでした。同じ種類であっても優しい木とそうでもない木があったりして、優しい木を選んでいました。
それと同時に、その変化の理由や風の速度、水面と干渉する力などを想像して、全身に感じる感覚と頭で思う想像とがうまく整合することに喜びを感じていました。雲を作る水滴の一粒一粒が感じられるような気がしていました。高い空を飛ぶ鳥にだけ聞こえる風の静寂がすぐそばにある気がしました。これらの感覚は今でも失われていません。世界はとても美しいのです。

もっともセンサーの種類と数が多いことにはデメリットもあって、感じる情報が多いため疲労することがあります。例えば、大きなスーパーに行くと、同じような情報を出すものが一つの場所に大量にあるため、疲労を強く感じます。また、よく一部が壊れます。修復には休むことが必要です。

今、書きながら思い出しましたが、ナウシカみたいと言われたことが何回かあります。そう言った人は全て女性ですが、彼女たちがどういうつもりで言ったのかはわかりません。ところで、ナウシカのセンサーは壊れない気がします(人間ではないわけだし)。

音楽

音楽を全身で感じることができ、好きな音楽であれば、全身で快感を感じることもあります。性的なものとは少し異なりますが似ています。

音楽を聞いているときに、現実の歌に追従するように頭の中で歌っている声は女性の声です。歌で引き起こされる自分の感情もある意味女性的なものであるため、女性ボーカルの曲である方が感情の高揚は大きくなります。もっとも、自分の頭の中の声と和音となる声域の声であれば、男性ボーカルの曲であってもとても心地よく感じられます。見方を変えると、男性ボーカルの曲であっても、自分にとって心地よければ、男性と女性が和音を作りながら歌っているように感じられることになります。一番好きなタイプの曲は、女性ボーカルの曲で男性のバックコーラスが入っているものですね。すべてが合わさって、自分そのものが歌っている感じがします。

ただ、現実の自分の声は(低くはないですが)男性のものであるため、頭の中の声と自分の発声の声域がかみ合わずにうまく歌うことができません(才能のある人は上手に変換できるんでしょうが、才能はないですよねえ、やっぱり)。一方で、楽器や口笛であれば音域を合わすことができるので、歌うよりはスムーズです。

長くなりそうなので続きます。

注釈2)立命館アジア太平洋大学の記事を引用しましたが、最近はサポートする組織が大学にあるんですね。自分が大学生のとき(90年代)には全くなかったのですが、もしあったらどうしてたんだろうと思います。