中年て面倒くさすぎる。これが中年クライシスか。中年になった私の今後
最近、自分のアクティブさへの衰えを感じる毎日なのですが、アクティブであろうとすると、体調を崩す、つまり体がついてこないという状況になっており、これも中年という一つの流れなのかなと思い、アクティブになれないというか別になる必要もないと思い、それを受け入れた生活をしていこうと思っています。この、ブログは自分の投資とか価値感とかを書いているブログですが、中年クライシスに陥る中、今回は今後の仕事との向き合い方や中期的(3年くらい)でこうなっていきたいという、なんとなくの内容を書きます。完全に誰の参考にもならない記事になります(まぁ、いつも通りか笑)
勝手に今、中年クライシスに陥っていると思っている私ですが、今日はこの3つを整理したいと思いませう。
今後の仕事について、の部分はライスワークの部分についての考え。サイドFireはそのライスワークとどう共存していくか。そして、アラフォーの自分に発生している体と心の変化(中年クライシスと勝手に思っている)をなんとなく書いていきます(3つ目の体と心の変化はぶっちゃけ整理できてません。色々似たようなコンテンツ見たけど、みんなバラバラ(且つふわふわしてる内容が多い)で、これだ!っていう一つの解答はない模様。なんとなく、みんなたくさんの因子に対して「確かに、それはあるかも」という感じなので、事象はめちゃ広い。
まず、やりたい仕事なんですが、「ぶっちゃけまだ自分の中で分かってない」のですが、一つは「子供に誇れる仕事をしていたい」というのは最近思っていることです。なんでもいいと思うんですが、「お父さんの仕事はこれだ」て子供に言える仕事がいいなと思ってます。
そうなった時に、今の仕事ではなさそう、というのはほぼ確定的な結論として出ています。今のお仕事は、マーケティング関連の無形商材の営業をしているのですが、
まぁ正直、「なくてもいいかな」って感じではあります。お仕事としては、お取引の相手が大きい会社ばかりなので、意義はあるっぽい感じは、一見するのですが、それがなくなったとしても特に何も変わらない、なかったらなかったで世の中はそんなに変わらない。なくなっても、良くも悪くもならない。まぁそんな感じです。普通に、子供に「お父さんの仕事はなに?そんなことやってないで、もっと誰かのためになることやりなよ」とか言われたら「ぐぬぬ・・・。まぁそうだよな」てな?。「お前たちのために、養うためにしょうがなくやってんだよ」って返せばいいのかもしれないけど、ダサすぎる。いや、家族のために一生懸命働いてるんだからダサくはないんだろうけど、その仕事でなくてもいい。家族を養えるだけの別の形であればなんでも良いわけで、もっといい父親としての時間の使い方や働き方や仕事はあると思う。
じゃあ、その仕事ってなんやねんとなった時に、やはり自分自身の「心」と「体」を考慮した仕事選びをしたいなと思っています。心理的な思いとしては、家族や友人との時間を増やしたいという思いがあります。今は仕事で忙殺されている感じではあるので。一方で、中年クライシスの一つかもしれませんが、友人との時間を過ごすという「優先度」がめちゃ落ちてます。30代前半までは、朝まで飲んだり、週7で飲みとか普通に自分からガンガン誘ってたのに。なんか、今それ「きついんですよね」。週5どころか、月1も友人とは会ってない。年1とか。それも自分から声を掛けなくなっている。でも、本当は「会って、くだらない話をしたい。みんなの近況もなんとなく知りたい」と思っているはずなのに、そこに踏み出せない。その30代前半(普通に34くらいまでやってたと思う)が基本は、自分が幹事で、飲み会やBBQやそういうことを何十人も誘ってやってたのに、今は全くそのやる気が起こっていない。仕事に忙殺されているからかと思っていたけど、それでいうと当時もかなり忙殺されていた。コロナ前後でも違うのだけど、もうコロナ後だけど、戻っていない。会社としても働き方改革の前、だったりもしてたから今より全然忙しかった。今は、単純にコミュニティがきつい感じ。昔の友達から久しぶりに誘われても「めんどいなぁ」と思ってしまう。前は、自分から誘いまくってたし、誘われたら絶対行ってたのに。行くのもめんどいし、もはや連絡するのもの結構めんどい。体力が落ちたからなのか、時間のゆとりがないからなのか。なんだかよくわからない。今、行っているのは、会社の飲み会や接待。これも全く行きたくないのだけど、仕事だから行っている。会社の飲み会だと、立場的に気を遣われるし、みんな年下ばっかで、結局こっちも気を遣っているから、結果疲れる。接待の方が、まだお客さんだから、仕事の延長線上の営業モードで行けるから、実は楽かもとか思ったり。ハードワークは、体力の衰えとかで、もちろんそうなんだけど、コミュニティやコミュニケーションがきついっていうのは、正直想定外の出来事ではあったかもしれない。いちお、「コミュニケーション」を強みとしてやってきたと勝手に思っているから。ただそれも、なんとなくバイタリティがあり、まだ上からも可愛がってもらえたり、下からもちょっと先輩っていう同年代枠でのコミュニケーションだったから、居心地が良かったのかもしれない。今は、その環境は作り出せない。中年は中年で群れば解決というとそうでもなくて、なんか中年は中年で癖があって、その癖は、もう治らなくて、その癖やパーソナリティによるズレが結局、気を遣う結果になる。そういう意味だと、昔からの友人の方がそのズレのハードルが低いが、みな子育てや仕事でズレが生じてきていて、たぶん自分と同じ感じな気がする。会ったら、一瞬で昔に戻るんだけど、そこにたどり着くまでが、割と果てしない。壁があるというか、遠くに合って手が届かない感じ。
3年を目途に、「心」と「体」が満足しない、今の仕事からは切り替えようと思っています。正直今の環境で3年持つのかは、分からない。これからの変数として、加齢による心身の影響、第2子誕生による負荷、おそらく3年以内の間は、今の仕事的にはポジション的にさらに忙しくなりそう。ということで、時間を取り戻す動きとは反対に、さらに負荷が増える見込み。そうなると、自分の心身のケアも必要。ただ、その忙しさやこの3年間で得られる経験は、ある程度自分を成長させてくれるだろうとは思っている。仕事面では、役職が1個あがって見る範囲が広がって、部下が増えて人のマネジメントが忙しくなる、レイヤーの高い人たちとの折衝が増える、社内の調整がさせられる、会食が増える。みたいな感じか。うーん、普通にきちぃ。嫌だな。私生活は、第二子が生まれる予定。子育てが単純に倍。きちぃ。ただし、幸せは倍どころではない。そう、子育てや子供といる時の幸せは、プライスレスで何にも変えられない。話を戻すと、このプライスレスな子供との時間を生み出すための【時間>労働収入】の動きに3年くらいかけてシフトしていきたいなぁと思っているわけです。
理想は、その3年間のシフトしていった先が、こうなっていたい。
ただ、その子供に誇りを持てる仕事ってなんやねんていうのがあるので、
もし、自分が子供なら、親への願いは
それは、お父さん、お母さんがしたい仕事をしてイキイキしていて欲しいなと、心優しい小さな私は思うわけです。子供ながらに、私がいることで、好きな仕事をしないという選択をしてほしくないわけです。
過去の私の経験として、脱サラした親父を、自分たちの生活を優先して応援しきれなかったことは後悔としてあるものの、親父の事業失敗(事業というかただのお店だったけど)で、結構ビンボーを味わった。そのせいで、我が兄弟はみんなかなり選択肢を狭まった思春期を過ごした。
生活を成り立たせる上での、生活資金がないと、「自由」が制限されてしまうので、今は、3年後の仕事はこう考えています。
今の仕事よりも、時間的な負荷が低い【社内配置転換】or 【転職】です。独立もしてみたいのですが、特別ビジネスとしてやりたいことが思いついていない状況です。
理想としては、【楽しい】という要素は入っていて欲しい。まぁ、ビジネスが絡むとお金の要素が入ってくるので、【楽しい】だけでなくつまらないこともたくさんあるのは百も承知ですが。なので、たとえ環境が変わったとしても、そこの中での楽しさは求めていきたいと思います。
親の事業失敗で高校大学と結構きつかったので、根底には子供に同じ思いをしてほしくないので、お金は大事です。ちなみに大学は、奨学金です。
この後、なんとなくのシミュレーションしますが、資産や配当金の目途をつけて、労働以外の収入を起点に、労働収入を考えていきます。
今、年収が600万円くらいで、「まぁ、なんとなく生活できてるな」という感じ。給料+配当で月40万円位の手取りが、大体今の感じとすると、基準を月40万円確保できていれば、「まぁ、なんとかなるな」という所感があります。今年は資産が1600万円程度で着地するかなと思っており、それをベースに考えると、毎年500万ずつ資産は増えていく見込み。いちお、追加投資や増配とかで配当金が増えていく想定(追加あまりできないし、こんな増えないかwでも、2024年は400万くらい増えたし、増えてくれると信じてるw)
3年後の2027年で配当金年間100万となるとすると、月8.3万円程度になり、労働収入+配当月8.3万円とすると、労働収入は500万円(月の手取り32万くらい)なので、月40万円は労働収入32万円+配当8.3万円で賄える形になります。なので2026年くらいから年収-100万を許容したお仕事に就く動きをしていければというのが、大枠の計画になります。
お金のシミュレーションや今後の働くということをたらたら書いてきましたが、全体的に【置いてる】なと思います。全然攻めてなくて置いている。その理由が、じわじわと自分の中で起きている変化です。時間が欲しいだのコミュニケティがきついだの体がきついだの書きましたが、【中年】によって引き起こされていることなんじゃないかと思います。
ざっくり、これがアラフォーの私に起こっている変化です。ざっくり、6個書きました。
①体調が基本的に悪い
悪いはちょっと言い過ぎか。体調が良い日が全然ないです。気分爽快な日は、肌間で月1とかそんな感じな気がする。二日酔いとかではなく単純にだるい。僕の場合だと、子供の夜泣きで睡眠が断続的になることや飲酒等で睡眠の質が低いことが大きな要因と思っているが、朝からバイタリティがある日は早々ない。そんな状況で平日は仕事、休日はワンオペか嫁が仕事でない日は家族サービスという感じで、【休息】という時間があまりない。それが蓄積されてく感じがある。常に過労な感じ。
②風邪や体調が治らない
①の蓄積でたまに、一気に熱が出たりする。先週も週末に39.7度のお熱が出た。嫁家族とディズニーランドに行く予定でしたが、当然行けず僕だけお留守番。ホテルも取っていたので僕だけキャンセル。今もまだ咳鼻水が出ているが、咳鼻水はもう1カ月ほど出ており、町医者で処方された薬を飲んでもなかなか治らない。少しずつ治ったり、また再発したりを繰り返している。まぁーとにかく、病気が治りにくく、バイタリティの低下につながっている。
③中年として気を遣われる
自分で言うのもあれだが、見た目もノリもたぶん同年代に比べると元気だと思う。職場の仲間がほぼ20代~30代前半というのもあると思うが。ただ、それでも、年々その距離感は空いてくる。特に毎年入ってくる新卒との距離感は広がるばかりだけど、この2、3年は【そういうもんだ】として受け止めている。前は、「コロナ世代は変わってるなぁ」「最近はみんな落ち着いているなぁ。草食系か」などと思っていたけど、おそらく本質的なところで行くと、【中年になり、若者との距離が離れている】というのがあるのだろう。見た目も、価値観も。いくら、中年おじさんが若くみせようとしても、若者からしたら中年。誰がなんと言おうと中年。断固中年。自分に当て込んでも、最近はすこぶる元気な50代40代や見た目も若い年上の人がたくさんいるが、僕にとってもその人たちは、年上で気を遣う存在なので、向こうが距離感を詰めてきても、「ちょっときついなぁ~」と思うのと同じなのだろう。逆に年相応に、署先輩方がおじさんおばさんでいてくれた方が、こちらとしても楽である。若者からすると、自分もそんな存在なのだ。だから、そのようなコミュニティにいると特にきつくなる。価値観も違うし年代も違うし共通点が少なすぎるのだ。
④上からも下からも中年として見られるようになる
③も少し含有するが、こちらは気を遣われるというよりも、「中年として扱われる」という感じだ。具体的には、人の中にはある一定の中年像があり、その中年像と比較された対応をされる。僕の場合だとアラフォーの対応をされる。例えば、朝出社した時に、朝の挨拶をしなかったとする。し続けなかったとする。出社して無言で席に座るみたいな。若手であれば上司や先輩から、「朝は挨拶しようよ!その方は、周りの人も●●君の印象がよくなるよ」というような指摘を貰える機会も多いだろうが、アラフォーおじさんの場合、「この人は挨拶をしない人だ」という風に、割と一方的に思われる。若手からすると、目上の人に指摘はしにくいし、上司的にも「ベテランにこんなレベルのことを指摘するのも、だるいなぁ」と思う。印象だけが悪くなり、評価も下がる。評価が下がるレベルだと、上司からのフィードバックもあるだろうが、中年になってくると人からの指摘を少しされたくらいだと、変わらない。それは、上の人も下の人もわかっているから、そういうレッテルを張られて、日々が過ぎていくケースが多いのではないか。このあたりは、若手のうちにどれだけ、指摘され自分の中で改善し「習慣化」できたかによる。そのあたりの経験値の量は大事だと思う。直近も、中途で入ってきて、別部署から私の部署に異動してきた20代後半の人がいるが、基本は営業としてこれまで、インバウンドやインサイドといった受けの部隊にいたため、アウトバウンドセールスが全くできないスキルの人がいるが、アポイントもしたことがないため、名刺の交換の仕方など、ほぼ「新卒」レベルの育成対応をしている。その人は社内ではベテランの職級だから、同レベルの人とある程度は同じレベルになっている必要があるが、だいぶ差が開いてしまっており、「このレベルのことも指摘するのかぁ」というのが積み重なっており、教育コストがかなりかかる形になっている。話を戻すと、中年の「こうあっているべき」という、人々の中のイメージがあるため、そこから逸脱してると「なんだこいつ?」って普通に思われるのである。それは、仕事の進め方はもちろんだが、「言葉遣い」「服装」「髪型」「会話の話題」など、その人を形成するあらゆるものが該当する。大概が、大人になるではなく、子供っぽいというギャップの方が発生する。会話の話題で言う例えばだが、私の周りでも「マッチングアプリで出会った人とヤった」とか「セフレが3人いて~いちお彼女もいるけど~」みたいな会話をされると結構きつい。「キモいなぁ」と思ってしまう。そいつらは、独身だから、別に問題はないので、やめろとかそういうのはあんまり言わないんだけど、「この年代で、話題がこれはこれは結構きついなぁ」と思ってしまう。僕の返答も「いやー、うらやましいわー」「まじか?その子かわいいの?」とか適当に全く感情もなく棒読みのチャットAIばりの返答をしてしまう。独身時代の会話なので、大学生とか20代(30代前半?くらいまで)の会話という感じ。いつまでそれやるんだろう。この会話きついなぁ。こいつきついなぁってなる。これが、「言葉遣い」「服装」「髪型」などいろいろなところで発生する。中年は、中年じゃないとなんか変なのである。
⑤誰からも指摘されなくなる
下の世代からは当然指摘がしづらいし、上からも指摘がされなくなる。「注意されているうちが幸せ」というが、まさにそうで、中年のおじさんは、「基本的なところ」は注意や指摘がされない人になっていないと、周りから見たら「こいつ、この年の癖にこんなこともわからないのか」となる。今の、若者は上司から「怒られない」「指摘をされない」で育っている。指摘をされても優しく指摘される程度。それは●●ハラがはびこる中で、より「指摘をされないことでの、基礎力の成長」が阻害されている。そんな、若者が量産されて、中年になった時に、「こいつ、この年の癖にこんなこともわからないのか」という人が量産されていることになる。その時には世の中は、それが普通になっているのか。きっとそんなことはあまりなく、資本主義社会では、その基礎力の格差がより広がっていくだけだろうな、と思っている。実際、私の会社でも、基本的なことができないなぁという人が増えたなと思う一方で、しっかりとできている人もいる。もちろん、しっかりできる人が評価されるし、昇進昇格もしていく。このしっかりできる人の特徴は、セルフマネジメントができる、まわりのぬるい環境ではなく、自分自身でセルフパワハラを行いセルフマネジメントを行う。上司からしても、そういう人物には「こいつはいけるな」という形で、より負荷の高い要望や指摘を行うようになり、成長できる環境になっていく。これからは、会社や社会が自分を成長できる環境を用意してくれないなら、自分で作るしかない。環境が一番大事。でも、その環境は自分で作るしかない。自分で目標を立てて、自分で覚悟を決めて、自分で進んでいく、そんな奴に回りもサポートしてくれる。ある意味企業においても個人の力が重要になってくる。会社側に期待していても、その期待に応えにくい社会環境になってしまっているのだ。だから、こそ自分で追い込んだ人が成長して買っていく。これまでも、実際は上に行く人はそうだったのだけど、それがより顕著になる。中年においては、もうそれの最先端で誰も助けてくれないから、自分でやるしかない。でも、そんなバイタリティはないから、おじさんの段階での基礎力、つまり若いうちにどれだけ頑張って基礎力が身につけられているかが重要になる。中年になると基礎力をつける元気がもうない。今の自分も新しいことをやる元気もなかなっているし、新しいことの興味もかなり薄まっている。自己啓発本も実用書も全然読まなくなった。興味がわかないのもあるが、以前ならば「読まなければ」というのがあったが、今はあまりない。おそらく一定自分の基礎力を作る本は読み実践して身についているので、大体の本がこういう感じのことが書いてあるだろうという感じで、あまりかたをかんじられていない。本を読んで新しいことを始めることもほぼないだろうし、解決しなければいけない課題も解決できない(解決する元気がない)と思っている。だってもう、中年だし変えるのが面臭い。それを習慣化するのもめんどい。大体が、課題解決の方法を提示して、アクションして、それを習慣化するということになるが、新しい自分にかわるのがめんどい。今の自分はもう、皆から指摘され修正した自分だから、「●●をやった方がいい」と言われて、「確かにやった方がいいんだけど」と思っても、やっぱりほとんどのことは変わらない。そこも自分次第で、セルフマネジメントできるかになるだろうが、そのセルフマネジメント力もやはり、若いころよりはガバナンスが効かないのです。
⑥成長や尖ったものをうっすら嫌悪してしまう
これは、大抵の自己啓発本もそうだし、NewsPicsとかPivotとかも入ってくる。なんというか、意識高い系みたいなのが、とがりすぎていて受け入れなくなってきている。以前は、嫌悪していたマスメディアの方が抵抗がなくなってきている。普通に時間があれば新聞とか読みたい。身に着ける服装とかも、色合いとかも普通に無地の紺黒茶色とかの方が落ちつく。派手な色は、恥ずかしさがある。目立ちたくない。中年なんだしスポットライトを浴びたくない。こんな醜い自分なを取り上げないで欲しい。自分が中心にいて、何かを求められる環境がきつい。飲み会の挨拶もしたくない。誰も中年のことなんて求めていない。求められていないし、僕も求めていない。そんなスポットライトが当たっているようなまぶしい情報も舞台も求めていない。
それでも、やりたいことは過去の栄光に縛られている。本当は舞台に立ちたいはずなのに、そこに行く事で起こる問題を解決する元気がない。楽をしていこうとしている。昔ならその問題も起こらず、舞台に立てていた。今はその問題が解決する元気がない。楽して、昔のように簡単に舞台に立ちたい。本当は舞台には立ちたいけど、面倒なことはやりたくない。面倒なことはやらないと舞台に立てないのに、面倒なことはやりたくない。でも本音では舞台には立ちたい。過去の記憶と感覚、つまり成功体験があるから、なんとなく肌感でいけるという感覚も残ってしまっており、あきらめることもなかなかできない。なんと面倒くさい生き物なのだ中年は。今がこうだから、さらに年を取ると、中年のときにやっとけばよかったと思うんだろうけど。あぁ、めんどくさい。めんどくさい。大学生の時に数百人の中の中心にいた時がピークでそこに戻りたいとい、過去の自分に憧れてさえいる。完全に過去にすがっている。ダサい。それでも今の家族がいる環境も幸せで捨てられない。全部取りがしたい。なんてわがままなんだ中年。若いうちはなんも考えず目の前のことに全力投球していたが、年を取るって、老いていくって、元気に任せて全部取りができていた昔と違い、全部取りができないから、バランスが必要になってくる。バランスとか別に考えてなく、無意識ではあるが、そのバランスを取って毎日が過ぎていくそんな感覚。
なんとなく、直近はこの中年に入った自分が感じていることを、なんとなく整理していくことをやっていこうと思う。たぶん、自分がバランスをとって崩れないように、バランスを取るために定期的な言語化が必要なんだと思う。このバランスが崩れると、多分鬱病とかになる気がしてる。感情がいろんなところに飛んでいくのでチェックしながら言語化を定期的にしていかないと、崩れてしまう。だるすぎる。だるすぎるぞ中年。
ようわからんけど、一旦ビール飲もう。週末だし。子供寝たし。今週も疲れた。今週も1週間お疲れ様でした。