ボスニア・ヘルツェゴビナ、大使館へ駆け込んだ。
2008年夏のはじめ、ボスニア・ヘルツェゴビナでの出来事。
スロベニアからクロアチアを経由してボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにバスで移動。
モスタルで1泊過ごした翌日、バスに揺られて首都サラエボに向かった。
サラエボのバスターミナルに到着してから、ツーリストインフォメーションで宿を紹介してもらう。
紹介された宿があるのは旧市街。
サラエボ駅前にあるバスターミナルとは離れているので、バスに乗って旧市街に移動。
宿に到着してから、少し転寝する。
目覚めると時計は正午過ぎ。
食事を兼ねて町歩きに出掛けた。
サラエボの旧市街は、かつてオスマントルコの支配下にあった。
同じくオスマントルコの支配下にあった北マケドニアの旧市街と何となく雰囲気が似ている(私は北マケドニアに長く滞在していた)。
しかし大きな違いは、サラエボには内戦の爪痕は今も残るところだ。
訪れた2008年の時点では、かつて図書館だった建物は、爆撃を受けて痛々しい姿のまま残っていた。
(注意:2021年現在、修復は終わっているようだ)
当初、サラエボに何日か泊まってからセルビアに移動するつもりだった。
ルートとしてはサラエボに来る前に立ち寄ったモスタルに一度戻ってから、セルビア入りを考えていた。
しかし気になったことがある。
それはモスタルのバスターミナルで見た国際バスの時刻表だった。
外国の各都市に行くバスの時刻表はあったが、セルビアの首都ベオグラード行きの時刻は掲載されていなかった。
(元はユーゴスラビアと同じ国だったが、今は各々が独立して別の国に属するため)
ツーリストインフォメーションか旅行代理店で聞いてみてもよいのだが、
内戦の頃のことを鑑みるとデリケートなことに触れそうなので、控えた。
今ならネットで簡単に調べられるが、2008年当時は、近くにインターネットカフェがないと、その選択肢はなかった。
「まあ、モスタルに戻ってから考えようかな」
と思いながら、モスタルを出発しサラエボに向かったからだ。
それならばモスタルに戻らずに、サラエボからベオグラードに行く場合の情報が必要となる。
ベオグラードに向かうバスはあるが、かつての内戦の影響なのか、バス乗り場は特殊な場所にあるらしい。
(注意:現在はどうか不明。2008年の話です)
宿泊先の方に尋ねるのもひとつだが、私が泊っている宿は旧市街。
民族を尋ねていないが、オーナーの名前から推察するに、決してセルビア人ではないだろう。
そんな状況でセルビアに行きたいというのはいかがなものか、と躊躇した。
どうしようかなと考えながらサラエボの町中を歩いていた。
ちょうど目の前に在ボスニア日本大使館があった。
「こんな場合、どうするのがいいか相談してみよう」
大使館からすると迷惑かもしれないけれど。
わらをもすがる思いで、大使館のある建物の玄関を入る。
入口に立つ、警備の方に事情を説明し、大使館の中に入れてもらう。
中に入り、大使館の職員に尋ねてみた。
「セルビアのベオグラードに行きたい。ボスニアから出発するのがいいか、モスタルに戻るのがいいのか」
職員の方が親切な方だったのだろう。
邪険にされることなく話を聞いてアドバイスを下さった。
いわく、※注意:2008年の話です。現在の状況は不明
「①モスタル⇔ベオグラード(セルビア)のバスの運行の話は知らない。
②サラエボからセルビアのベオグラードにバスで向かう場合、バスターミナルがセルビア人居住区にある。
ただし大使館から離れた場所にあり、バスで移動する必要がある。
③飛行機でセルビア入りする方法もある。
料金はバスよりも高いが、空港にはタクシーで行くのがわかりやすい」
①はおすすめしない。
③が一番確実で安全なのではないかとのことだった。
至極オーソドックスな回答である。
確かに③を選ぶと、スムースに行くことができる。
自分では思いつかない選択肢だな。
大使館の職員の方に、お礼を述べてから大使館を後にした。
さて、上記のどの方法でセルビアに行こうかな。
しばし町歩きをしながら考えてみることにした。
※注意:冒頭の画像は、GoogleMapsからの引用。