世界50か国を旅した旅人Takae
2022年6月~8月の間に、71日かけて地球を一周したときの話を掲載しております。 訪れた国は11か国。 途中スペインの聖地巡礼にも挑戦。 10日かけて徒歩で聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着。 その時の旅の記録を掲載。
旅で訪れた日本各地の写真を掲載
アジア各国を旅行した時の写真を掲載
北米および中南米を旅行した時の写真を掲載
欧州各国を旅行した時の写真を掲載
はじめまして、旅人のTakaeです。 これまでアメブロ、フェイスブックで旅の写真と記録をアップしてきました。 これからはアメブロ、フェイスブックと並行してnotoでも記録を綴っていきます。 今までに日本全国47都道府県と世界50カ国を旅行しました。 基本的にはひとり旅です。 訪れた国の中には、「それはどこにあるの?」「初めて聞いた国名だ」と言われる国もたくさんあります。 noteでは、そんな世界のハザマでのトホホなこと、おっかなビックリな体験や、舞い踊るようなうれし
昨年地球ひとまわりしている間に訪れた、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォ。この町を訪れるのは14年ぶり。 町の復興状態に驚いたが何よりも、サラエヴォ市庁舎に驚いた。 というのもこの建物は、もともとは国立図書館だった建物。 しかし90年代の内戦時に爆撃を受けて蔵書はもちろんのこと建物も壊滅的なダメージを受けた。 2008年に訪れた時は、爆撃を受けたままの見るも無残な姿だった。 それが、元の建物の形を復元するように再建され、今は市庁舎として使われている。 入場料を支払うと中
14年前の夏のはじめにサラエヴォを訪れた。 今回と同じく、モスタルからバスに乗ってのサラエヴォ入りだった。 到着したのは鉄道駅に隣接したバスターミナル。 前回訪れた時は、バスターミナル近くにある観光案内所で宿泊先をあっせんしてもらった。 そしてよくわからぬままに、紹介された部屋のある旧市街に向かうトラムに乗った。 今回はネットで宿を予約。場所は前回と同じく旧市街。 しかし部屋貸し(いわゆるairBみたいな感じ)じゃなくて、ホステル。 トラムに乗るために大通りに向かった。 鉄
久しく間があいてしまったが、ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行記の続きを書く。 クロアチアの首都ザグレブから、ボスニア・ヘルツェゴビナ北部の都市バニャルカにバスで移動した。 距離にして120キロ程度。 国境を越えて川を渡ると、そこはもうボスニア・ヘルツェゴビナだった。 バニャルカのある地域は、スルプスカ共和国と呼ばれるセルビア人主体の共和国。 今回向かうモスタルは、ボスニア・ヘルツェゴビナの南部にある。 モスタルはボシャニックと呼ばれるムスリム、クロアチア系、セルビア系の宗教が異
スロベニアの首都リュブリャーナから列車で入国したクロアチア。 翌朝、クロアチアの首都ザグレブからボスニア・ヘルツェゴビナに向かった。 今回はバスに乗っての国境越え。 目的地は、バニャ・ルカ。 ザグレブからの距離は120キロ。 バスでボスニア・ヘルツェゴビナに入国するのは今回が初めて。ドキドキである。 クロアチアの出国手続きはスムースに終えた。 他の乗客が出国手続きが終わるのを待つ間に、無性にトイレに行きたくなった。 バスの運転手の申し出ると、国境警備員に声をかけて話をつけて
スロベニアの首都、リュブリャーナのバスターミナルから徒歩15分の場所にあるホステル。 15年近く前にスロベニアに旅行した時に一度泊まったことがある。 今回リュブリャーナに予定よりも長居したのは、こちらのホステルに泊まりたかったからである。 それはなぜか。 実はこちらのホステルは、100年近く前のハプスブルグ時代の監獄だった建物をホステルにリノベーションした建物である。 といっても部屋が監獄チックなわけではない。 リノベーションの段階で、アーティストたちが参画し、部屋ごとに家具
スロベニアの北西部にあるブレッド湖。 スロベニアだけでなくてドイツやオーストリアなど中欧からも観光客が訪れるスロベニア屈指の観光地。 アルプスの南部にあたるユリアンアルプス山脈に位置する。 首都リュブリャーナから約50キロ離れており、路線バスが1時間に何本か運行されている。 実はこのブレッド湖を訪れたのは今回で3度目。 過去2回はいずれも雨が降ったり、曇ったりだった。 今回こそは晴れたブレッド湖が見てみたい!! その思いが通じたのか、天気に恵まれた。 天気が良かったので、こ
スロベニアを代表するビールの銘柄、「Union(ウニオンと読むそうな」。 私の大好きな銘柄である。 このUnionの醸造所見学ができるらしいと宿泊先のスタッフの方から聞いた。 ネットで見つけたものの予約ができない。 翌朝、サイトに接続すると予約ができた。 なんで しかし午前中の回(11時)は予約不可。 仕方がないので午後の初回(13時半)からを予約した。 しかし13時半からだと午後がほぼつぶれてしまう。 醸造所は宿から3キロ離れた場所にある。 ダメもとで現地に出かけた。
クロアチアからバスで国境越えをしてスロベニアの首都リュブリャーナに移動した。 所要時間は出入国審査の時間を加えても2時間ちょっとだった。 バスターミナルに到着後、宿に向かい荷物を置いてから町歩き。 合間に情報収集にいそしんだ。 当初は予定していなかったスロベニアへの寄り道。 しかしスロベニアに行くことを決めたら、がぜん行きたい場所が再燃した。 それはポストイナ鍾乳洞である。 振り返ればこの71日の旅で3番目に行きたかった場所だった。 高校生だった私が偶然手に取った本が、スロ
クロアチアの首都ザグレブで3泊滞在した後に向かったのはスロベニアの首都リュブリャナ。距離にして120キロ程度。 さほど離れている感じはしない。 かつては同じユーゴスラビア連邦の国だったのだから。 公共交通機関を使っての移動は、①バス、②列車がある。 便が多いのはバス。ただし値段は鉄道の方が安い。 クロアチアの宿泊先で 「スロベニアに行く場合、バスと列車のどちらを使うのがよいか?」と尋ねた。 だれもが同じように答えた。 「そりゃバスだよ。時間が正確だし、便数も多いから」 列車に
スペインのバルセロナを出発後、目指したのはアドリア海の東にあるクロアチアの首都バルセロ案。アドリア海を挟んでイタリアの東側にある。 かつては旧ユーゴスラビア連邦共和国のひとつであった。 飛行機で2時間程度である。 クロアチアに行ったのはこれで3度目。 なのでザグレブの市内観光は以前にしたことがある。 じゃあ、世界遺産に指定されたドゥブロブニーク等アドリア海沿岸の都市を目指すのか? と言われると、訪れた時期は夏のハイシーズン時期。 EUの中で物価が安い地域と言えども、円安のこ
スペイン巡礼を終えて、次の国に向かうために向かったのはバルセロナ。 バルセロナと言えば、ガウディーのサグラダファミリア。 偶然なのか、予約した宿がサグラダファミリアから2キロ弱の場所にある。 サグラダファミリアの予約サイトを見ると、ちょうど朝9時半のチケットが購入可能だった。 数日前で、午前中の早い時間(9時開始だから、朝3コース目)に空きがあるのは、コロナ禍ならではなのだろうか。 6年前にバルセロナに行った時は行き当たりばったりで到着したのは16時前。 さすがに当日チケ
スペイン西北部にある聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼を終えてから飛行機で移動。 目的地はバルセロナ。移動時間は2時間弱だった。 昼過ぎにバルセロナ空港に到着。 町の中心部カタルーニャ広場に向かった。 この日の宿が、カタルーニャ広場近くにあったからだ。 宿にチェックインを済ませてから、昼ごはんを食べようと町に出た。 店を探しながら歩いていると、ある建造物が目に留まった。 凱旋門(バルセロナ凱旋門)である。 バルセロナにも凱旋門があるんだなと驚く。 19世紀の万博の
10年ほど前に大阪の岸和田の町に行く機会があった。 岸和田と言えば「だんじり」が有名だけれど、訪れたのは「だんじり」が終わった時期だった。 ちょうど、岸和田の町歩きが開催されたからである。 岸和田駅前に集合。 最初に目指したのは駅前通り商店街。 このアーケード街の一角に、あるのがこちらの店。 デザイナーのコシノ三姉妹の生家があったところ。 当時の雰囲気の店を再現している。 今回は中に入らずに前を通り過ぎるのみ。 商店街を抜けて次に目指したのは、とあるお寺。 今回の町歩き
徒歩巡礼開始して10日目に最終目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラ(カミーノ)に到着した。 出発したビルバオからだと約660キロ。 歩き始めたリバデオからだと200キロ弱。 単純計算すると1日20キロ歩いた。 もっとペースを上げることもできたけれど、この後旅を続けるのでこれでよかったかな。 カミーノには10時半ごろに到着。 まずは、巡礼証明書を発行してもらうために事務所のある建物に向かった。 広場から少し歩いたところにある。 5年前に一度行ったことがあるのに、すっかり場所
徒歩巡礼開始してから8日目。 ソブラード(Sobrado)の町の出て次に向かったのがアルスーア(Aruzua)。 アルスーアで私が歩いてきた「北の道」と サンティアゴ巡礼で最も巡礼者の多い「フランスの道」が合流する。 したがって巡礼者向けのアルベルゲ(簡易宿泊施設)もこれまでに歩いてきた町よりも数多く点在する。 巡礼者の数が増えると思い、前日に私営のアルベルゲの予約を念のため済ませておいた。 日曜の朝、ホテルで朝食。 飲み物と軽食そしてデザートが充実。 (軽食の写真は無し)