見出し画像

71日間地球ひとまわり(17)スペイン、徒歩で聖地巡礼(後編8~10日)

徒歩巡礼開始してから8日目。
ソブラード(Sobrado)の町の出て次に向かったのがアルスーア(Aruzua)。
アルスーアで私が歩いてきた「北の道」と
サンティアゴ巡礼で最も巡礼者の多い「フランスの道」が合流する。

したがって巡礼者向けのアルベルゲ(簡易宿泊施設)もこれまでに歩いてきた町よりも数多く点在する。
巡礼者の数が増えると思い、前日に私営のアルベルゲの予約を念のため済ませておいた。
日曜の朝、ホテルで朝食。
飲み物と軽食そしてデザートが充実。
(軽食の写真は無し)
食事を終えてから、リンゴを1個貰ってから宿を出発。

町を抜けて、巡礼路を進む。
ソブラードの町のシンボルが大聖堂が見えたので、立ち止まり別れを告げた。


カミーノ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)まで残り約60キロ。

町を抜けて歩いていると畑が見えてきた。
畑を見ながら粛々と歩き続ける。

途中、バス停のようなものがあった。
椅子があるので座って水分を補給する。
道が分岐していると、写真のように道標が立ち方向を示す。
ありがたい。

この日は日曜日。
いつものごとく10キロぐらい歩いたところでトイレ休憩をしたいと思うのだが、店が開いていない。
曇り空だったこともあり、途中通過した小さな町は町自体が眠っているかのようだ。

町を抜けて自動車沿いに歩いていると、路肩にリュックサックを背負った人がたまっている店がある。
近づいてみるとバルのようだ。
中に入ると、ちょうど席が空いていた。
カウンターでコーヒーを注文し、席に着く。
カウンターにはおしゃれなビールサーバーがあった。

ひと息ついて、コーヒーを飲みながら周りを眺めていると先客と目が合った。挨拶をして少し話をすると、彼らはグループらしく、カミーノまで歩いていくそうな。
この辺りからだとカミーノまで50キロ。しかも日帰りらしい。
通常、巡礼者の移動距離は20~30キロ程度。
地元の方で身軽であると言えども片道50キロはなかなかの距離。
しかも参加者の大半は50代以上。元気だな。

コーヒーを飲みえ終えトイレを借りると、まさかのオリエンタルスタイル。
アジアや中近東だと珍しくないが、まさかスペインでこのスタイルを見るとは。
いつも思うのだが、このトイレはどちら向きに座ってよいのか迷う。
トイレを終えて、店を出る時に店員に尋ねた。
「ドアの方を向いて(壁を背にして)、座るのよ」とのこと。
「げげ、日本だと壁に向いて(ドアを背にして)座るよ」と話した。
すると、店の方々のネタにされた。
これも国際交流なのだろうか。

余談になるが、タイプのトイレで壁に向かわない理由は、この後旅を続けるうちによくく分かった。その話はまた改めて。

バルを後にしてひたすら歩く、ある小さな町を通り過ぎている時のことだった。
小さな教会の前に人が集まっていた。
日曜なので礼拝のようだ。
小さな教会の中にお邪魔した。

教会を出てから歩き続けると、道路わきに家が増えてきて、町に近づいた。
この日の目的地、アルスーアの町である。
観光案内所の前で宿泊先の場所を確認し、町の地図をもらった。
実は宿泊先は観光案内所と目と鼻の先だった。
宿に到着しチェックインを済ませる。
この日の宿は開放的な感じ。
到着が早かったので好きな場所を選べる。
窓際もいいが、荷物の起きやすい壁際下段のベッドを選んだ。

アルベルゲのキッチン兼リビング
アルベルゲの部屋

荷物を置いてから、雨が降り出す前に町に食事に出かけた。
食事ができそうな店が数件空いていた。
迷った末にバルに入り、トルティージャ(スペイン風オムレツ)とワインを注文。
丸いパンは、トルティージャについてきた。
小さな四角いものは、お菓子でなくてミートパイ。
店で焼いたものを配ってくれる。

食事を終えてから、町を歩いた。

ちょうどシエスタから目覚め、町の中心広場にある教会の扉が開いたところだった。
夕方に礼拝があり、その準備をしていた。
中にお邪魔する。

少し町を歩いてから、宿に戻った。
昼ごはんが遅めの時間で思ったよりヘビーだったので晩御飯はパス。
早めに眠りについた。

翌朝、前日スーパーが閉まっていたので朝食を調達できず。
休憩方々、途中のバルで朝食を食べようと思い、早めに宿を出発。
町の中心の広場を通り抜けて、町の出口に向かい歩みを進める。

この日の目的地はオ・ピノ(O・Pino)
20キロちょっとなので、もう少し先の町まで歩く人もいる。
しかしここで30キロ歩くのは辛いので、オピノで宿泊することにした。

大きな道路を抜けて歩き続けると集落に入る。
昨日宿泊したアルスーア辺りから、これまでより町に近づいたのだろうか。
集落間の距離が短くなり、牧草地帯や畑の数がめっきり減ったように感じた。
そして巡礼者の数が増えてきた。
これまで30キロ歩いていて10人ぐらいにしか会わない日がほとんどだった。
だからすれ違う人たちにも、挨拶をできる余裕があった。
しかし、アルスーアを過ぎたあたりから、頻繁に人に会い、それどころではなくなってくる。

しかし、人の数が多いと何かのきっかけで一緒に歩くこともある。
この日は、ドイツ人女性とフランス人男性の巡礼者に声をかけられた。
ドイツ人女性曰く、巡礼路では各国の人と出会う。
その国々の挨拶を教えてもらっているとのこと。
私も日本語の挨拶を教えた。
すると彼女は私たちの少し後ろを歩いているアジア系の男性にも声をかけた。韓国人の方だった。
韓国人も挨拶を教えていた。
その後、歩き方のペースが異なるのでドイツ人女性たちに別れを告げてから、しばらく韓国人男性と歩いた。
ちょうど私が巡礼をしていたころは日本以上に韓国はコロナ政策が厳しい時期だった。
彼曰く、マドリード空港でPCRを受けてからじゃないと帰国できないとのこと。日本もそうだったが、不便だなと思った。
その後、韓国人とも別れを告げてマイペースで歩き続けた。

ある集落を通っているとビール瓶が大量に並ぶ店がある。
バル&レストランのようだ。
早い時間だけれど、若い人たちが座りビールを飲んでいた。
ビールを飲んでも歩き続けられるのがすごいと思う。

通りすがりの男性がスマホを預かり、写真を写してくれた。
満面の笑顔だが、ビールを飲んだ後ではない。

そしてしばらく歩くと、今日の宿のある町オピノに到着。
宿泊先のアルベルゲがあくのが13時。
私が到着したのは12時半。
宿の近くにはバルもないので、フロントの前で受付があくのを待った。
そして13時になった。
受付を済ませてから部屋に入る。
今回の宿は規模は小さいモノの部屋は2つに分かれている。
早く到着したので、使い勝手の良い場所のベッドを陣取り荷物を置く。

この日は結局途中にバルを見つけることができなかったので、朝ごはんは食べられずじまい。
さすがにお腹がすいたので、食事ができそうな店を探す。
しかし店がない。1軒見つけたものの30ユーロと高すぎる。
しばらく歩いてると小さなレストランがあった。
値段が16ユーロ(2000円弱)とやや高めだけれど仕方がない。
こちらで食事をとる。

サラダと肉料理にデザート、そして水ORワイン付き。
ワインを選び、サラダを選択。
サラダのボリュームがすごい。
そしておいしい。
ちょっと高めだけれど、これだと納得である。

この日は、レストランでテレビ番組撮影中の方々と一緒になる。
聞くところによると、韓国人の撮影チームでスペイン人、日本人がメンバーにいるそうな。
日本人のカメラスタッフの女性に声をかけられる。
この時点で旅を初めて3週間が過ぎた。
アメリカ、アイルランド、スペインと立ち寄ったが、この日旅先で初めて日本人にあった。
撮影チームはスペインの聖地巡礼を撮影しているらしく、私もインタビューを受けた。
久々に日本語を話したな。

デザートにビールはないが、コーヒーとビールが同じ値段だったのでビールを注文する。
余談になるが、このデザートのチーズケーキがおいしかった。

宿に戻り、翌日の朝ご飯を買いたいので店の場所を聞いた。
店は数キロ離れた町にあるそうな。
ここ数日、それまで毎日20度程度だった気温も30度を超え、しかも日差しがきつい。
歩いていくのは厳しいなと思っていたら、宿のオーナーが1時間後に買い物に行くので一緒にスーパーのある町まで連れて行ってもらった。
そして水と夜の軽食と翌朝のパンとフルーツを調達。
宿に戻った。
いよいよ、翌日はサンティアゴの町に入る。
早めに寝ようとリビングを通り過ぎている時のことだった。
「巡礼証明書発行の予約」と話しているのが聞こえてきた。
「なにそれ!!」
気になったので立ち止まり、話している人に尋ねた。
「ネットで予約しておいた方が、当日スムースみたいよ」とのこと。
私も登録しようとするがうまくできない。
いろんな方に尋ねてやっている時に、南米からの巡礼者が押してくれた。
「宿には日本人が泊っているから彼女たちに尋ねるとよい」
そう言って彼女の泊まっているベッドに案内してくれた。
まさか、ここでも日本人に合うとは!!
サンティアゴ・デ・コンポステーラの町の大学に留学している女子大生だった。
彼女たちに尋ねて登録を無事終えることができた。
お礼を告げてから、部屋に戻った。

翌日は、サンティアゴ・デ・コンポステーラの町に到着予定。
巡礼証明発行窓口が込み合う前、早朝に出発をもくろんで眠りについた。

そして翌朝、目覚ましが鳴る。
時間は4時半。
さすがに外はまだ暗い。
あと18キロで最終目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラ。
そんな時間だけれど、出発する人たちは何人かいた。
荷物を整え、軽く朝ご飯を食べて出発。
小さな町の夜道は、街路灯がついているので思った以上に歩きやすい。

しかし道を渡り森に入ると真っ暗になる。

誰か来ないかなと歩るく速度を落とすと、女性が一人通りかかった。
スマホを取り出して足元を照らしながら一緒に歩く。
一緒に歩くのはいいが、非常に早口でしゃべってくる。
何を話しているのかわからない。気まずい雰囲気。

しかし、暗い道を一人で歩くのは嫌だなあと思ながら歩いていた。
少し歩くと、宿のあるエリアにたどり着いた。
急ににぎやかになる。
学生の団体が宿から出てきたところだった。
引率者はヘッドライトをつけている。
「よかった、このグループと一緒に歩くと足元が照らされるぞ」渡りに船である。
しばらく歩くと、空が少しずつ明るくなってきた。

ひたすら歩き続けると、モンテゴザの町を通過。
目的地まであと数キロだな。

町の中にある小さな教会に立ち寄り、クレデンシャル(巡礼手帳)にスタンプをもらい歩き続ける。

10キロ歩いたところでカフェがあったので小休止。
この調子だと昼前にはサンティアゴのカテドラルにたどり着けそうだな。

カフェを出てから歩き続けると、だんたんと町に入ってきた。
看板がいたるところに出ているので看板と前を歩く巡礼者たちを見ながらカテドラルを目指した。

町の中を通り抜けて、大聖堂前の広場を目指す。
ようやく到着する。

カテドラルの前で、数日前に一緒になったメキシコ人女性と再会。
彼女は一足先について、巡礼証明をもらったとのことだった。
再会と到着の喜びを告げてから、彼女と別れて巡礼事務所を目指した。

巡礼事務所に到着。
時間は午前11時前。
数年前にポルトガルの道を歩いて、この時間帯に到着したときは長蛇の列だった。
しかし、今回はこの程度。
後ろに並ぶ。

入り口のところで、予約済画面を見せると、そのまま並び続けるようにと言われた。予約していない場合は、入り口前にQRコードがあるので登録するようにと指示を受けていた。

10分と待たずに窓口に案内された。
巡礼証明(無料)と距離証明(有料)の発行を依頼。
距離証明とは出発地と距離を記載いてくれる。
私の場合、ビルバオ出発だから距離にして600キロ。
実際歩いたのはリバデオだから200キロ程度。
しかし距離証明はビルバオからの距離だった。

証明書を受け取り、窓口で支払う。
その時に必要に応じて、筒を買うことができる。
2022年は聖年らしく、筒の色が例年と違うみたい。
この先旅を続けるのと、筒の値段はさほど高くないので筒も購入。
代金を支払い、証明書などを受け取った。

杖と一緒に持っているのはマグノリアの花。
途中通りかかったモンテゴーザの町で、すれ違った町のオジサマにあいさつをした時にもらったのである。
だから、花を片手に、杖を片手にサンティアゴコンポ・デ・ステーラの町に到着したのである。

記念撮影を済ませてから、巡礼事務所を後にして再びカテドラル(大聖堂)のある広場に向かった。

宿に一度荷物を預けてから出直そうかと思ったが、宿まで1キロ近くある。
しかも実はサンティアゴの町は、アップダウンが激しい。
かさばるけれどひとまず荷物を持ってから、大聖堂に入ろうとした。
大きな荷物の持ち込みはNG。
近くの店で預けてから(有料、2ユーロ)、順番に並びカテドラルに入った。
中に入ると、祭壇を取り囲むように多くの人が席に座る。
時計を見ると12時前。
「なんかあるんだろうな」
私も柱近くで場所を見つけて、立っていた。
12時になると、パイプオルガンの音が流れ、聖職者が聖堂内に入ってきた。
正午のミサが始まった。
ミサが終わり聖職者が離籍すると、スタッフの方々が中央に集まった。
「これはもしかして・・・」

「ボタフメイロ」である。
祭壇前の香炉を取り囲む。
この香炉につながる縄を数人がかりで引っ張り、讃美歌が流れる間に左右に揺らすのである。


よいタイミングでボフタイメイロを見ることができた。
ボフタイメイロが終わってから、カテドラル内を見学。

預けていた荷物を引き取り宿に向かった。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの宿は前回同様にセミナリオン。
神学校の寮である。
宿を目指した。
数年前に来たので覚えているつもりが、宿までの道のりに案外手間取った。

これにて、サンティアゴ巡礼終了。
徒歩で歩いたのは下記の地図の黄色の枠内。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?