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三谷幸喜の名作が教えてくれる。商業クリエイターに必要なもの。


先週末、三谷幸喜の「ラヂオの時間」「みんなのいえ」を立て続けにみた。
やっぱりいつ見ても最高の2本だと思う。オールタイムベストってやつですかね。

いずれの作品も、ラジオ番組を作る人々、いえをつくる人々、「ものづくり」に携わるクリエイターたちが主役のハートフルコメディ作品だ。

両作品のざっくりあらすじをお伝えすると…

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ラヂオの時間…舞台はラジオ局。その晩、生放送のラジオドラマオンエアーのために、役者をはじめ脚本家やプロデューサー、ディレクターがスタジオに集結していた。無事にリハーサルを終えたものの、本番直前になって突然ベテラン女優の千本のっこが、自分の役名や設定に対して文句をつけだした。プロデューサーの牛島は、千本のっこの機嫌を損ねまいと脚本家のみやこに本の書き直しを求める。なんとか名前と舞台を変えて走り出した生放送だったが、次第に後付けの設定では整合性が合わない部分が続出しはじめる。なんとか物語を成立させるために、脚本は何度も書き直されるのだが…。

みんなのいえ…ある夫婦のいえが建つまでの物語。放送作家の夫とその妻は、新居を建てるにあたって、設計は妻の旧友で建築家の柳沢に、施工は妻の父で大工の長次郎に依頼することに決める。柳沢は空間デザイナーとしては数々の実績を残してきているが、家の設計は初めて。対する長次郎は何十年も家づくりに携わってきたベテラン棟梁。モダンでシンプルなデザインにこだわる柳沢と、家は頑丈なのが一番!がモットーの長次郎は、設計の段階から激しく対立する。しかし、あることをきっかけに、柳沢のこだわりの根底に「古き良きものを大切にする」思想があることを知った長次郎は、次第に柳沢に心を開いていき、二人の距離は徐々に縮まっていく。
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どちらの物語も、クリエイターたちがものづくりへ注ぐこだわりや情熱を描くと共に、そこにはビジネスとして妥協せざるをえない葛藤や苦悩もあることを、しっかりと描いている。

ラヂオの時間では、ベテラン女優のご機嫌取りのため、スポンサーの商品を貶めないため…いわゆる「おとなの事情」で、新人脚本家の大切なデビュー作がどんどん書き換えられていく。
みんなのいえでは、自分が作りたいデザインの家があっても、それを形にしてくれる大工が納得しないと形にすることはできない。

アーティストではなく、職人であるからには、一緒に作品を作るチームの輪を大切にしたり、納期を守ったり…そういうことすべてをバランスよくする必要がある。なんて窮屈だろう…。でもそれが現実なのだ。
だけど、この2つの物語は、そんなものづくりの現場の苦しみや葛藤を描きつつも、その過程で新たに生まれたものが、人を感動させることもあるし、偶然の産物もひとつのクリエイティブなのだということを教えてくれる。

ラヂオの時間では、最後の最後までプロデューサーの言いなりだったディレクターが、新人脚本家の唯一のこだわりである「運命の二人は結ばれる」という結末だけは死守しようと奔走することで、感動のラストを迎える。作中リスナーの一人として登場するトラック運転手は、このエンディングに胸を打たれ、放送終了後ラジオ局まで駆けつけて製作陣へ感謝の思いを伝える。

みんなのいえでは、自分の理想通りのものを傲慢に作り続けてきた若いデザイナーが、強情なベテラン大工との仕事を通して、最初に自分が描いた通りの「いえ」でなかったとしても、妥協しながらもみんなで作りあげた「いえ」も、愛おしい作品だということを学ぶ。

制約の中でものを作る、ビジネスとしてものを作ること、それに慣れ過ぎてしまうと、ラヂオの時間のプロデューサーやディレクターのように、人が情熱をかけて作った脚本になんのリスペクトも示せなくなったり、自分が作ったものにも誇りを持てなくなったりする。

かといって、みんなのいえの設計士のように、アーティスト面して、自分の感性だけを信じて独走していては、自分の中にあるもの以上のものは生まれないし、チームで何かを成し遂げる喜びを知らない寂しい人間になってしまう。

バランスみたいなものを重視する考え方では、一握りのスーパークリエイターにはなれないかもしれない。
けど、そもそもそんなズバ抜けた才能に恵まれているわけではない、ごくごく普通の商業クリエイターの端くれの私としては、いいものを作り続けるために、アーティスト思考と職人思考はバランスよく持っていたいと、この作品を見るたびに思う。

商業クリエイターのあるべき姿、もつべき思考を教えてくれる、三谷幸喜のこの2作品が私はいつも大好きだ。

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