お前は私の重荷を背負ってくれないのか
今日の朝
ビジョンをみました
ビジョンというのは
起きている時に見る夢みたいな
ものです
それはこう見えました
丘の上に私がいて
その先に光が見えて
そこに十字架にかけられた主が
おられたようでした
余りにも遠くで
詳しいところはよくわかりません
それで私が祈ると
声が聞こえてきました
…お前は背負ってくれないのか
私はどう答えていいのか
わからなかったのですが正直に
主の重荷を背負えるほど
私の信仰は深くありません
とそう答えました
すると
…私が何を望んでいるのか
わからないのか?
重荷を背負ってくれないのか?
また同じことを言ってきます
正直に
私は内容の内人間なので
あなたにつき従うことしかできません
とそう答えました
すると
…お前は背負うことはできるだ
お前は勘違いをしている
私は全てを背負ってくれ
といっているわけではない
私はお前が背負ってくれれば
それでいいのだ
弟子や兄弟が足りないからといって
攻めるのは愛がないことではないか
私がただ背負ってくれて
小さきもののようであっても
ひたすら頑張って背負ってくれれば
それでうれしいのだ
だから私の重荷を背負ってくれないか?
という声が聞こえてきました
私はそんな気持ちでおられたのかと
わからずにいた過去を嘆く一方
分かりました
ひたすらその意味を理解して
あなたの願いに添えるよう
また祈り続け続けます
といって今この文章を綴っています
主の重荷を背負う道は
毎日私達の前にあって
続いている主とともに
いくその丘を登るものなのでしょう
どこまでもいくために
まず主がおられる丘までいかないと
いけないのだとそう感じました