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一年前の今は何をしていたっけ・・・CPVTの発覚。

気が付けばいつの間にか2024年になっていました。
月日が流れるのは早すぎて、自分で自分に追いつけない
毎日の出来事が自分の脳に記憶されない。
一気に秋めいてきた気候についていけず
出遅れた私の脳はいまだに夏用の麦茶パックを買おうとするし
身体は暑かったり寒かったりしで季節に合わない衣服をまとおうとする脳のの怠惰さのせいでミシミシと音を立てている。
長男は早速熱を出した。
私も時間の問題かな。
なんて思いながら、長男が小学校を休むことになり
必然的に私も仕事を休むので
コーヒー片手にこうやって書いている。

今年の2月にとんでもないことが発覚した。
5歳からずっと「小児てんかん」と診断され抗てんかん薬を飲み続けていた息子が、まさかの心臓病だった。
カテコラミン誘発性多型性心室頻拍(CPVT)という致死的不整脈だった。
息子は過去に40回以上発作を起こし、意識を失っている。
この病気でありながら、一度も息子の心臓は止まらなかった。
とんでもない生命力だと思う。
病院の先生には「彼は今まで奇跡を何度も起こし続けていたんです。本当に今生きていることが奇跡としか言いようがない」と顔を合わせるたびに言われた。
天下の東大病院の一室で「奇跡」という言葉を告げられる日が来るなんて誰が想像できようか。
そして同時に「今までてんかんの治療として診てくれていた先生をどうか責めないで下さい。この病気は本当に発見が難しいんです」とも言われた。
しかし、息子が5歳から処方されていた薬は心臓にとって悪いもので、病気を助長していたのだ。
責めないで下さいと言われても私の心は複雑だ。
てんかん専門の中でも指導医のいる病院を探して、名医を探して、たどり着いた病院だった。
でも。
そんな名医でも間違えてしまうほどの未知の病気なのだ。
仕方のないことだったのかもしれない。

とはいえ、こんな風に考えられるようになったのはここ最近の話で、
それまでは心の中で前の主治医を責めたり、自分を責めたり、感情がぐちゃぐちゃで涙の止まらない日が何度も何度もあった。何リットルの涙を流したのだろう。
そうやって、涙を流して、悲しんで、悔しんで、泣いて泣いて泣いて
やっと現実を、真実を、変えられない今を
時間をかけて認められるようになった。

息子は心臓病とわかりベータ遮断薬であるナディックを処方されてから今の一度も発作が起きていない。
5歳からずっと1か月に1度は発作があったのに。
ナディックは錠剤で直径7mm程度のものだ。
この粒のおかげで息子の心臓は正常に機能しているのだと思うとすごく不思議で少し怖かったりもする。
医学の進歩はすごい。医学者とはどれだけの人を救っているのだろう。

薬の処方に加えて、一番の治療は「運動の制限」だ。
頑張っていた空手は辞めることになった。
全ての運動というものが禁止された。
階段の昇降も禁止され、小学校ではエレベーターを使って移動することになった。施設設備の整っている学校で本当にラッキーだった。
男の子ではあるが、もともと運動がそこまで好きではなかったのは不幸中の幸い。
最初は休み時間に外で遊べないことを嘆いていたが、8歳ながらに事情を呑み込んで、我慢してくれている。
胸が痛くなるが、この病気と一生付き合っていかねばならない。
子供のうちから慣れていくしかない。
そして自宅から小学校まで、毎日の送迎をするよう主治医に言われた。
小学校からの要望は「教室の前まで」とのことだったので、私が毎日送り届けることになった。
そのお陰で私は息子のクラスの子、全員の顔と名前を把握している。
だいたいの性格もわかるし、誰と誰が一緒に帰っているのかも知っている。
こんな保護者はこの学校で私だけだろう。
毎朝、息子たち(弟がいる)と登校し、先生方に挨拶をし、自宅マンションの駐輪場へ向かう。
仕事は辞めないといけなくなるだろう・・・と思っていたが、上司の計らいで息子の小学校のお迎えまでの時間までという条件で仕事を続けられることになった。
曜日によって時間割は違うし、特別時程で早く帰る日も月に何度かある。
それも全て了承してくれた。
なんと素晴らしい職場だろう。
一生懸命働きます!!!!!!!という気持ちでいっぱい。
自転車で17分ほどで職場へ着く。
息子に何かあったとしても25分もあれば小学校へ行けると思う。
夏は汗だくなので、職場に着いたら全身着替えることもある。
パートタイムの仕事は程よい。情熱を注ぐ必要がない。
それを不満に思う時期もあった。
やりがいが無いと。
でも、これくらいで良いのだ。
私には他に情熱を燃やさなければいけないことがあるのだから。


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