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人生を振り返ろうと思う#3~若い頃の部活や習い事って必要なのだろうか~

皆さんお疲れ様です。カンフル剤です。
頑張って二日連続の投稿をいま書いていますってキーボードをたたいた後に、

『本当に昨日書いたよな。。。』

って不安になって昨日のブログを確認したら一昨日でした。
一日一日がすごい勢いで過ぎていきます。
小学生の時はあんなにランドセルを背負っている時間が永遠に感じたのに
中学生もそれなりに長かったのに・・・
※カンフル剤は、小学校高学年から中学校はいじめられる側でしたので
特に長く感じたのかも・・・?
高校は割と早く感じ、大学も爆速で終わり、社会人は光速で過ぎ去っていってます。
最初のブログで書いたように1/3世紀が終わっていることが恐ろしいです。

一年が終わるのが昔と比べて早く感じるのは人生が100年とした場合に、
例えば5歳の一年は1/5だからゆっくりに感じ、
30歳の一年は1/30だから5歳の時よりかは相対的に一年の長さが短くなるかららしい。
的なことをブラッシュアップライフで言ってましたね。なんとなく気になったので調べたらジェネーの法則(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87)というらしいです。気になった方は見てみてください。ちなみに自分はまだ見てないです笑

まあ今日はタイトルの通り若い頃の運動というか部活が必要なのだろうかということを書いてみようかなって思います。
小学校のときに皆がやってた習い事
中学校のときになんか半ば強制のようにやらされた部活
この9年間くらいの話をしようと思います。

小学校!

満を持して小学校入学
体格にへ恵まれており、割と大きいカンフル剤は背の順でもかなり後ろに並んでいました。サッカーをまず初めます。
先に行っときますが今後様々な習い事が私に降りかかりますが、私自身やりたいって言ったというよりかは私の両親がやらせてました。
この辺はいまでも両親と揉めますが、

あんたがやりたいっていうからやらせた

当時俺がやりたいっていったのかもしれんが限度があるやろ

と平行線の会話になるのでもうしないことにしました。

話は戻りサッカーを小学校一年くらいから始めます。
この後の習い事は何年生に何を始めたかはちょっと記憶が定かじゃないから省きます。
サッカー土、日曜4時間ずつ
スイミングスクール平日放課後二日間2時間ずつ
ピアノ平日一日1時間?
バスケットボール土、日4時間ずつ
日能研平日三日間4時間くらい、たまに土日もあり
ピアノとサッカーと日能研は家帰ってからも復習がありピアノにヘッドセット刺して夜中弾かされてましたね。。。

ぶっちゃけ日能研とピアノは時間が定かじゃないけれどこんな感じの生活を送っていたんです。神童でもつくるのかと。。。もっと頑張ってる小学生はいたのかもしれないが小学校一年から急にこんなに始めてもね無理ですよと・・・やるなら幼稚園から英語のラジオでもながしっぱの環境でも作っとけよと。

暇だった時間が土日のサッカーおわってからのバスケまでの時間と
平日一日だけなんもない日があるのみでした。
そんな生活が長く続くこともなくすべてやめることになりました。
当時の四年生の私がぶっ壊れて「全部やめる」と言い号泣し家で暴れまわりすべてやめました。
つらい記憶だったのか、そのやめたあたりの記憶があまりありません。
両親からしたら長男として生まれた自分に

「やりたいことは何でもやらせたてあげたかったし、中高一貫に行かせたかった」

んだとおもう。
いい両親だし恵まれた家庭で生まれたと思うが、最初の育成は失敗したと思う。当時のクソガキの私にもいろいろ問題はあったんだろうなとは思いますがね。。。

すべて辞めた後の小学校5年生

いじめが始まりました。
今まで習い事やりまくり、頭もそれなりによかった、やくざの息子の子供と殴り合いして大目玉くらったりもしたり、とにかく破天荒なやつだった。
そんなやつが急に習い事すべて辞めてメンタルブレイクしておとなしくなったら急にいじめられるようになったんですね。
でもきっとそれは急じゃなくて、自分がいじめをしてた認識はないながら誰かを傷つけてはいたんだろうなとは思う。
それのはねっかえりが起こったんですね。
当時いじめられたことは母親にも父親にも悟られないようにしていたんです。
それが気づいてたのか気づかれてなかったかはいまだにわからない。
そんな中気づいてた大人が一人だけいたんですね担任のY先生。
そのY先生はいじめられてる僕に対していってきた言葉は


いままでいじめてたかもしれないんだろう?それなら仕方ないじゃないか。自分で蒔いた種は自分で収穫をするしかない。


これが当時五年生のいじめられてる子にかけたY先生の言葉です。
今だと問題になりそうですが当時は子供ですしね

たしかにそりゃそうだ


と納得してカンフル剤は今に至るまで『自分で蒔いた種は自分で回収する』を教訓として生きてます。ちなみにY 先生は六年生も担任でいてくれて、そして自分が卒業した年に確か定年を迎えたはず。そんなおじいちゃん先生でした。

そんなこんなで二年間のいじめられランドセル生活を乗り切って中学校へ行きますが、小学校から中学校なんて見知った顔たくさんいますからね笑
そのままいじめられ生活は継続ですよ。中学校はバレー部に入りましたが幽霊部員になり終わりましたね・・・


ここらでタイトルへ

まあこんな感じの小学校中学校を過ごした僕がいうから説得力は皆無なのですが、そもそも小・中学校のときにシャカリキになってやった運動部に費やした時間って無駄じゃねえのかなって思ったりしてたんですよね。
だってどうせ普通の小学生らがすこしの時間を部活動や習い事に片手間で行って大成するんかと。。。そんな時間をそこに費やすならまだ勉強するか英語とかの言語を学ぶべきじゃないんかと。
ガチで金と時間を最大限投資するのは別としてね。

今になって思うんですよね。
実際いまのぼくは、泳げてサッカーが見るのが好きなただの社会人です。
この泳げるも金づちじゃないくらいだし、サッカーも久しくボール蹴ってないしワールドカップだけめっちゃ盛り上がるミーハーですと。
あの時間せめて英語に極振りしてたらなにかいまの人生変わったのかななんて思ったりするんですよね。

ただ、学生の頃のその習い事(運動)のそれらすべてが一流選手になるのが目的でやらせていたのはないという点もありますよね。
運動目的や競争心を高める目的や人間関係の構築や、協力して成し遂げた時の達成感などの社会で生きていくために必要な鎧いを纏うためっていう理由があるのでしょうが、それならそれを学校で組み込んどけよと。
それを月謝払ってやらないといけないなら、そもそも月謝払う余裕がない家庭は鎧を纏わずに社会の荒波へ放り投げられるんじゃないかって思うんです。


僕が振り返るに、

サッカーで一緒に協力して一点をもぎ取ることの大切さや
水泳でできない泳ぎ方をマスターするなり、泳げるようになるっていうことだったり
ピアノのおかげか音痴ではない
日能研はほうりなげたがとりあえず勉強して大学もでて、社会人で一人暮らしをして生きている


ぶっちゃけねそれらは学校とか放課後でどうにでもなるんじゃないのって。
最悪音痴でも泳げなくても生きていくうえで困らないしね。
ただ競争心を高めるのはいまの学校生活じゃおそらく身につかないだろうっておもう。相対評価ではなく絶対評価にかわり、テストの結果は貼りだされたりせず誰かと競うということが体育祭か受験くらいじゃないのかと。
そんなメンタルのまま訪れる高校受験、いままで他人と競うということをろくに経験しないまま直面する完全な受験競争に負けたあとの人生ってどうなるんだろうなって最近になって気づいたんですよね。
だから競争力だけは絶対に必要だと思うんだがその

負けたくない

って気持ちを養うタイミングが今の小学校や中学校には欠如している気がするんですよね。。。
それがない限りはやはり部活や習い事でそれを補わなければいけないのかなって思います。
むしろそこを学校で補えるならぶっちゃけ才能ない子になんて運動させずに、勉強させるほうが人生は幸せなんじゃないかとか思っちゃうんですよね。

凄く残酷で夢もない意見ですがね笑

結局何が言いたいかというと

子供に

負けず嫌い

をもっと叩き込むべきだろって思うんですね~。。。
まとまったかなまとまってないかなわからない、十年たったら別の見方ができるかもしれないけどいまの自分の答えはこんなところ。


今回紹介する映画はこちら
イコライザー
私の大好きな俳優のデンゼルワシントンがでてる映画ですね、
一作目二作目がいま出てて、三作目が今年配給予定ですね。
スーパーで働く優しいおじいちゃんのデンゼルワシントンが周りの友人達が危険にさらされたときに、おじいちゃんの裏の顔が露わに・・・
って映画です。渋いおじいちゃん見たいときにおすすめです。


それでは皆さんお大事に

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