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『羨ましい孤独死』とは

KindleUnlimitedにあった『うらやましい孤独死』という本が面白かったのでその感想

こちらの本を読んでの感想となる。
著者の意見に全面賛成ではないがとても良い本だった。

本書では、孤独死を過度に恐れるあまり独居高齢者が容易に施設に収容されてしまう風潮に一石を投じたいと思っている。
率直に言おう。いま、高齢者施設はそうした高齢者の収容所になってしまっている。
高齢者でも若者でも、人は人間関係の中で生きている。しかし病院や施設への収容はそれまでの地域での人間関係を断ち切ってしまう。
人間がかかるもっとも重い病気は「孤独」である。
(略)
本書は、現代の医療システムへのアンチテーゼとして「孤独死なのにうらやましい」といえる事例と、その理論的背景を集めたものである。

はじめにより

この本での「うらやましい孤独死」は以下の通り。
・本人や近しい方(家族)が死に対して覚悟がある。(安心よりも本人の意思を優先して、医療機関や高齢者施設に送らずに自宅で看取る覚悟がある)
・近くに住む方に理解があり、みまもりサービス等がまわりにあることで認知症を発症しても緩く見守れる環境がある。
・本人の意思で自宅等で1人で亡くなる。

「もはや孤独死ではないのでは?」という感じがするが、死の瞬間に誰かに見守られることなく1人で亡くなることを孤独死としているようである。
と思いきや、たくさんの親族に囲まれて医療を介さず家族の手で看取って亡くなる例も書いてあったので「独居の高齢者が理想的に亡くなる」という感じかもしれない。

もはや孤独死ではないのでは?と思ったので、私の中では孤独死ってなんだろう?と考えたところ、生前も不本意に1人で過ごし、1人で亡くなってからも発見が遅れるような亡くなり方を想定していたようだ。
本の例でもご本人は孤独を感じていないだろうし、みまもり制度によってすぐに発見されている。

本の趣旨としては、本人も生前から周りの方と信頼関係を作ること、社会的な孤立しないように医療関係者も含めて関係を作れるような「処方(支援)」をすることを目指すこと。
著者は医者だが、特に高齢者向けの医療の限界を感じて、ベッドに縛り付けた延命に疑問を感じる立場である。
むしろ病床が世界的にも多い日本の病院では、積極的に高齢者を病院に送ることで成り立っているのだと批判をしている。
実際、入院できるような病院が少ない海外や国内で病院が少ない地域と比較しても、病床が完備された地域の「死亡率」はほとんど変わらないらしい。
高齢者になれば何らかの病名はつくし、死を防ぐことは不可能なので、「病死」から「老衰死」になり死に方が変わるだけ。

現在の日本では限界まで命を延ばしていくことが善とされ、善意のままに流されると病院で亡くなる「孤独死ではないがうらやましくない死に方」となる可能性が高い。
1人で亡くなること自体を孤独死として、それを避けたいと思ったり、病院や施設の方が安心と考えたりすることで、ご家族がいらっしゃる場合の方が本人の意思が通りにくい現状があるらしい。
(著者と意見が一致しており、私もこういうのは嫌だと感じるタイプなので批判的な書き方になってしまっているが、もちろん手を尽くしたいという愛情であることは間違いない。)

私も兄弟はいるため、本当の天涯孤独になる可能性は低いが、それほど密な関係でもないし、自分で家族を作る気はないため、その意味では意思は通りやすいかもしれない。
社会的支援は正直ストレスに感じそうだが、遺伝子的に脳力は落ちにくいということを信じて、意思を保てるようにしていきたい。
「仲良くしましょう」だとダメなのだが、なんらかの仕事をし続ける(役割を持つ)のが私にとっての解決となりそうだ。
本当に健康大事だな…。
あとやはり絶対エンディングノートは書きます。
「これ以上の医療行為はするな」をはっきり書いておきたい。
要は、意思を尊重されずに無理に施設に送られるようなことがない、死んだら発見されやすいという状況を作れば良いと思うので方法はいろいろ考えられると思う。
私は孤独自体は苦痛に感じないので特に。

それよりも自分の親の時にどうするかの方が参考になるかもしれない。その時にちゃんと本人の意思が拾えるようにして、支援していただけるところはあるのかをきちんと調べたい。
地域的には、都会よりは近所付き合いがある環境なのと実家は自営業のためより付き合いが多い。
このあたりを生かせると良いのかもしれない。

また以前読んだ以下の本と合わせ、認知症の捉え方が変わった本でもある。
知ることはとても大事。


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