「伝えたい」がないと言葉にできない?
自分の中で「伝えることを諦めてしまう時」が多いと感じていた。
それに対してとっても劣等感がある。
私には「伝えたい」と思う気持ちが圧倒的に少ないと思っていた。
伝えようとしても、興味のない相手に話す空気感に心が折れる。(相手はそんなつもりはないと思うのだけど、、、)
話がまとまってないと緊張しちゃって、なんとか話をしようとして言葉だけ早口出ててくる。そしてそんな自分が恥ずかしくて感情が一回死ぬ。
淡々と話すから相手に「あーほんと好きなんだね」というワクワク感もまったく伝わらず、どちらかというと変なふうに伝わってしまったかなと感じることもあって。
なんで、恥ずかしい思いをしてまで興味のない相手に伝えなきゃいけないのか腹落ちしない。自分が好きな世界は、自分が好きなんだからそれでいいじゃない?それに変なふうに伝わったとき、自分の好きも崩れる気がして。
だから、話せるようになりたい気持ちの反面、どこかで「わかってもらえないならいいや」と開き直りや諦めを感じて、「自分は伝えるのが下手な人」と自分で自分にレッテルをはっていた。
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さわらぎさんの新刊「言葉にする習慣」をゲットしてちょこちょこと書き込みをしながら読み進めている。
書籍を買う前にパラパラと目次を見た時に
というワンフレーズがパッと目に飛び込んできた。
自分の中でずっと腹落ちしなかった答えがそこにある気がして、ドキドキしながらその章を読んでみた。
伝え方の前に自分の中にあるものを把握する、ということが大事なのは理解している。けど、「自分が何を言いたいか=自分の思いや考え」を自分で把握していないから」伝えたいと言う意思がない、という言葉を読んでふと思った。
今まで私は「伝えたい気持ちがあるから言葉にする」ものだと思っていたんだなと。
でももしかしたら、「言葉にすることで伝えたい気持ちになる」こともあるのかもしれない。
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思い返してみると、私だって全く言葉にできてこなかったわけではなかったなぁと思った。
だいぶ昔の話にはなるけど、自分の所属するチームのキャッチコピーを考えていた時。自分の中で考えて考えて向き合った言葉があった。
その言葉の意味とその背後に込める想いと向き合って考えて考えて抜いて、「自分の言葉」が出てきた時、私は思わずみんなに伝えた。伝えたくなった。教えたくなった。
その言葉はもう15年も前になるけどいまだにその考えたキャッチコピーの背景にある150文字以上ある私の厳選した文章が、思い出せて伝えられるほど、自分の中で腹落ちして残っている言葉になっている。
そっか。「伝えたい気持ち」は言葉を紡ぐことで芽生えることもあるし、それでいいってことなんだよな。
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伝えたい気持ちは言葉を紡ぐことで芽生えることもある。
言葉を紡ぐためには「観察」をするところがスタートなんだと思う。
自分の中でここ数年ずーっと「言葉にできないのは、自分や周囲への観察が苦手だからなんだろうな。」と漠然と思っていろんな本を読み漁ってきていたけど、この本は綺麗に言語化してくれていてなんだかスーッと入ってきた。
今までで一番しっくりくる表現。
こんな言葉を自分で探せるようになりたいな。
どんどん先に進めることもできるかもだけど、今は第1章の「思いを言葉にする」を何度も何度も戻りながら読んでいく。
私はさわらぎさんの本が好き。
考え方や表現がフラットで、決して責められている気がせず、励まされる文章。そして一つ一つのシーンが想像できる言葉選びで自分の中で言葉にできていない漠然としたものを言葉にしたくなる。書くことが決まっていないのに、何か書きたいとPCを開いちゃうような。ゲームの攻略本を買ったあといそいそとゲーム機を起動しちゃう時のような。そんなワクワクした気持ちにさせられる。
だからとても好き。
他にも、
イラストレーター/さざなみさん
ゲーム実況者/牛沢さん
編集者でコルクの代表/佐渡島さん
batonsのライター/田中裕子さん
どの人もそれぞれ表現は違えど、みなさん共通して言えるのは自分の感情や人の感情の変化に敏感で、それを臆することなく繊細に表現していて、私の中の「気づいていない感情」を刺激してくれる人たち。
言葉遣いや表現、考え方、視点がとても好き。
ざっと思ったことを流し書き。
今日はとりあえずここら辺で。
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