愛 注
昨日はクラスワークで"愛情と友情の違い"について語り合った。
私は満足のできる議論ができず、その後自分の中で悶々と考えてた。
そんな中で搾り取った一つの自論が。
愛情と友情。もっている人が感じるあたたかいものはふたつとも同じ種類。
そんな中で何が違うか。
愛情は注げると言うことが出来るが、友情は注ぐとは言わない。友情は高め合っていかないと成立しない。
これが1番シンプルな私の最終結論になった。
ちょっと言ってる意味が分からないと思うので、細部まで語ってみようと思います。
愛情
愛情は相手の隙さえあれば1人でも注ぐことができる。それが世で言う片想いってもの。ただ、この1人で愛情を注ぐ行為は、注いでいる本人は隙がなくなるし、とても感情の振り幅が激しい。
しかも、愛情は温めてから注ぐらしい。
それ故に一方的に注ぐ愛情は注ぐ本人により
温度差が出来る。
自分のことに専念しながら愛情を注げる人。
何も考えれなくなる人。
等。
どれも懸命で素敵だ。
💖
そしてたまに、相手から愛情の注ぎ返しが来たんじゃないかと錯覚する時がある。それは、多分優しさ。愛とは違う。友情とも違う。いや違わないかもしれない。
優しさは、相手が
幸せになってほしい
という、あくまで他人前提の、注いでいく心の器を外部的にあっためる行動。
それを愛情を注ぎ返されたと錯覚していた事が分かった場合、心に近づかれた事が辛いという感情になる。
それは何故か。
どう頑張っても私の器に愛は注いでくれないんだとわかるから。
また、当たり前に、いや奇跡的に、この世には愛情を注ぎ合える人たちというのが存在する。
そういった人達には2人それぞれ、いや何人かはわからないがとにかくグループ間に価値観があり、器に無理なく愛を注ぐ人たち、常に溢れかえるように年中無休で注ぐ人たち…などたくさんいる。
これもやっぱりどれも素敵だ。
そんな相手が存在するこれを読んだそこの貴方。
どうか愛することに慣れないでください。
貴方の大切な人がふらっと何処かへ行っても知りませんよ。👋🏻🍃
友情
一方友情を注ぐという言い方は出来ない、友情。
自論でも主張しているが、2人ないし複数が存在し、全員であたたかいものの熱を上げていかなければならない。
だから、一緒に高め合っている仲間として感謝は忘れることはできない。
言えるようになろうね、なりたいねという自分への戒め。
繋がりあえたら慣れることを忘れるな、これはやっぱり共通項の注意事項なのかもネ。🤔
あとは、友情は手軽に手に入るものであるが故に、難しいということ。
こういう"若いのに"的なことはあまり言いたくない(私自身若いだろ)
が
今の若い世代はあまりにも、軽く友情というものを考えすぎてる。
それ故に皆んなで一体となっていた筈だった友情に
自らの優越感だの欲が出て、平気で
言葉で叩く。
伝わりかたが心配だが、
こういうのは是非本質的に嫌いな人にやってほしいし、やるんだったら堂々としてて欲しい。隠さないでくれ、自分の都合で。だったらやるな。
というのが私の本音だ。
最後
色々話が脱線しすぎた気もしないでもないけど、私の想いは吐けました。
それぞれの想い、大切に抱きしめなきゃね。🫥💥
気持ちが引き締まったような。
やっぱりこんだけ長々語っても結局はこの歌詞にたどり着くよね。
貴方も幸せを見つけられますように、
気付けますように、大事に出来ますように。
祈。
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