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育った環境は、自分の人生を狂わす

はじめから強烈なタイトルだな、
と思うかもしれない。

まずは私のストーリーのはじまりから。

自分の人生はラッキーでもあり、
アンラッキーでもある。

それは、自分より理想的な今を過ごしている人を目にしたり、
平日の朝、テレビで殺人事件や誘拐なんかのニュースを目にすると感じること。

自分はラッキー。

そう思うことで、
より自己満足を得ていた気もする。

私の家族は退屈するほど普通の過程。

大事に育ててもらったのに、
もちろん批判的なことを言うなんて
バチが当たると言われるかもしれない。

でも本音で話さなければ、
私の人生はいつまでも影に隠れたまま。

退屈な家族は退屈であることは覆せない。

父は、サラリーマンとして、大手の会社でコツコツと
働いてきた、一家の大黒柱。

母は、24歳の頃に父と結婚し、現在もずっと専業主婦として家族のお世話をしている。

周りの家族はアウトドアな一家が
多かったのに、うちはかなりのインドア派。

一年に一度は祖母の家を訪れることが
我が家の伝統で、ついでに近くの観光地を
訪れるのがお決まり。

もちろん、私が小学生くらいまでは、
ディズニーランドに連れて行ってくれた
こともあったが、基本的に混雑を嫌うのがうちの父。

その気持ちはわからないでもないので、
特に責める気持ちもない。

父も母も旅行は疲れるし、
お金もかかるから(ほとんどが前者だろう)
行きたがらない。

小さいころから、
なぜかわからないが、
聞き分けの良かった私。

人の困る姿をみると、
すぐに察しする能力があるようで、
友達だろうが家族であろうが、
気まづい話は避ける傾向にあった。

そんな私の性格は
あまり人生を良い方向に持って
行かなかったように感じる。

「人の困る姿を見たくない」
そんな思いが私を人に合わせる
達人にさせたのかもしれない。

小さい時は、任天堂やPlayStation
などのゲーム機に夢中だった父の
背中を見ながら、一緒になってゲームしたり、
週末は必ずビデオレンタル屋さんに行って、
新作やまだ見たことのない洋画のDVDを
数本借りて二人で見ていた。

そういう意味では、
私は父との方が仲が良かったと思う。

私が父に似た部分の一つが、
「他人に関心を持つのが難しい」ということ。

友達や家族、会社の仲間のことに対して、
もっと興味を持って、ノリツッコミしたい、
と考えることはあっても、大抵の場合はそう振る舞う
ことが正しいからそうしている。

そんな自分が嫌いでしようがない。

母とは可もなく不可もなく、
仲は良かったと思うが、
感情の起伏が激しかったので、
戸惑うことも多かった。

もちろん、当時は意識もしていなかった。

そんな性格だから、
嫌なことがあっても相談できず、
母に対して怒りたい時さえも、
ずっと我慢してきた。

おそらく母も祖母にそうして
育ったと察する。

仲良しの友達はいつもいて、
困ったことはなかったが、
その輪から一歩でれば、顔は広くない、
むしろ人とのコミュニケーションを
取るのが苦痛だった。

その性格から脱皮することも
できずに大人になり、今に至る。

#エッセイ #環境 #子供の頃
写真 unsplush.com

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