tento 漆原悠一さんのお話(1)
たっぷりと陽射しを浴びて草木が生い茂る初夏のこと。
東京都心から少し離れた閑静な住宅街のなか、約90年にわたってその地に腰を据えて佇む一軒の日本家屋を訪ねました。グラフィックデザイナー、漆原悠一さんの仕事場です。
瓦屋根を載せた木造の門をくぐり抜けた先で、まず出迎えてくれたのは、まっすぐと背を伸ばして多くの実をつけた胡桃の木。丸みをおびた葉が穏やかな午後の光と風を浴びて気持ち良さそうにそよいでいる光景は、デザインという言葉から連想されるスタイリッシュなイメージはまるでなく、なんとも印象的でした。
「インタビュー|からむしを績む」では、これから数回にわたって、漆原悠一さんへのインタビューを通して、デザインという視点から本書の魅力を探っていきます。
きちんとした形で世の中に送り出したい
はじめに、『からむしを績む』に関わられることになったきっかけをお聞かせいただけますか。編集を担当された信陽堂さんと一緒にお仕事されるのは、今回が初めてだったそうですね。
漆原 はい。信陽堂の丹治史彦さんのことは、アノニマ・スタジオ *1を立ち上げられた方として編集部の方や他のお仕事をご一緒している方などからお名前を聞いていたので以前から知っていましたが、直接お会いするのは、『からむしを績む』が初めてでした。
2019年11月に、丹治さんからメールでご連絡をいただきました。いわゆる通常の本づくりとは少し違う動きになるかもしれませんが、という前置きとともに、奥会津の昭和村で手がけられている「からむし」という布づくりのいとなみのこと、このいとなみを「渡し舟」という人たちが本に残そうとされていること、すでに本づくりの大枠が決まっていて制作を進めていることなどが書かれていました。
信陽堂さんとの最初の打ち合わせの際に、からむしの布で本を包むという案にもとづいて、手持ちの布で試作したサンプルを持参されたと伺っています。
漆原 僕にお声がけいただいた段階で、信陽堂さんと渡し舟さんのあいだでは「こういう形が良いんじゃないか」と、本を布で包むイメージについて、すでに色々と検証がなされていました。本の構成も写真が半分、文章が半分という大まかな流れが決まった状態でのご依頼でした。
信陽堂さんへのインタビュー *2でも触れられていましたが、「デザインの観点から本づくりを考えたときに私たちは素人だから、現状は気にせずにどんどん提案をしてほしい」と、そういう話があったことも覚えています。その後、2019年12月に渡し舟の渡辺悦子さんと舟木由貴子さんが東京へ来られたタイミングで、あらためて信陽堂のおふたりと僕の5人で打ち合わせをしました。
そのときの印象や、どんなお話をされたか覚えていますか?
漆原 最初に昭和村でのからむしの取り組み全体の説明と、季節ごとの作業など、からむしにまつわるさまざまなお話をお聞きしました。
からむしについては知らないことばかりでしたが、企画者である渡し舟のおふたりが「これまで手間ひまかけて大事にして受け継いできたものを、きちんとした形で世の中に送り出したい」と思っていらっしゃることがご本人たちを通してよく伝わってきました。信陽堂さんを含めて、この本づくりに関係する皆さんが丁寧に物事を進めようとしている姿勢にとても共感することができたので、僕もこの企画に参加できればとあらためて思いました。
そのさいに、昭和村のからむしをテーマに撮影されたドキュメンタリー作品が明治大学で上映されるとお聞きしたので、僕も観に行きました。
映画「からむしのこえ」*3 ですね。2019年秋に完成し、千葉県の国立歴史民俗博物館を皮切りに各地で上映会が始まったころかと思います。
漆原 そうですね。打ち合わせのときにも話は聞いていたのですが、映像を通して、からむしや昭和村のいとなみを具体的に見ることができたのは、より理解を深めるためにも良い機会でした。
その後、実際に昭和村へ行かれたのは2020年2月でしたよね。初めての昭和村にどんな印象を持ちましたか?
漆原 最初に道の駅にある「からむし工芸博物館」を案内していただきました。向かいにある「織姫交流館」*4にも立ち寄ったのですが、ちょうど地機織り*5の講習会をされていて、作業の様子が印象に残っています。
渡し舟さんのアトリエでは、からむしの繊維が束になったもの *6 が室内に飾られているさまがとても神々しくて。『陰翳礼讃』の世界ではないですが、薄暗い室内でほのかな光を浴びて佇むその繊維からは神聖な雰囲気が感じられて、昭和村の暮らしのなかでごく自然に存在している貴重な繊維を見ることができたのは本当によかったです。
他にも村のさまざまな場所で、この土地特有の空気に触れることができました。実際に自分自身で体感したことは、本づくりを進めていくうえで迷ったときの指標にもなるので、数多くの体験や気づきを村で得られたことは、その後の作業にとっても大きかったと思います。
2月という季節柄、気持ちが内向きになるというか、出会ったものにグーっと入っていけそうですね。
漆原 たしかに、その時期を体感できたということも大きかったですね。雪囲いされていて、室内もあまり明るくなかったということもあり、からむしの繊維の白が際立って見えました。日本家屋ならではの影のあるところに飾られていたのですが、角度によってはキラッと輝いて見える。その光景がとても印象的でした。
渡し舟のおふたりは、「今年は雪が少ないねえ」と話していましたが、僕は雪のある環境に慣れていないので、これで少ないほうなんだ!?という驚きもありました。
村に着いた次の日、まだ夜明け前の暗闇を、人生で初めてカンジキを履いてヘッドライトをつけて、林のなかへ撮影に行きました。その体験がとても記憶に残っています。
自分の力ではどうしようもなく、大自然に囲まれた状況に身を晒して無力感を感じるというか。村の人々にとっては当たり前のことなんでしょうが、このような過酷な環境のなかでも昭和村のいとなみは変わらず続いていくのだな、ということが少しでも体感できて良かったです。慣れない雪道にまごついているうちにみんなに置いていかれそうになるし、身の危険を感じて実は大変だったんですけどね(笑)。
本の中に月明かりに照らされた雪の写真がありますよね。
漆原 そうですね。日の出までまだ1時間ぐらいあるなか、「船頭」がいなければたちまち迷ってしまいそうな、ヘッドライトで照らされた自分の足元しか見えない真っ暗な状況で、林のなかを歩き続けた先で撮影された写真です。
どなたかが案内してくれたのですか?
漆原 渡し舟の舟木さんの旦那さんです。彼を先頭に、写真を担当された田村尚子さん、信陽堂の丹治さん、それから僕という順で一列になって歩きました。
ちなみに、カンジキは沈まないものですか?
漆原 初めてで不安だったのですが、ぎゅっと強く縛ってから歩けば、大丈夫でした。
日の出前の雪の林をひたすら歩いた体験が、本の色合いや全体のトーンに反映されているのでしょうか?
漆原 そうかもしれないですね。ひたすら暗いなかを歩き続けたあと、日が少しずつ出てくると風景がガラッと変わりました。真っ暗闇で足元しか見えなかった状態から、今度は雪の白が朝日に照らされて目に飛び込んでくるようになりました。
その後「他の写真を撮りに行きましょう」と、山から移動した先は広々と開けた畑地でした。朝7時くらいかな。霜が草木に付着して、キラキラと反射している光景がとても眩しくて綺麗で、一泊だけの滞在だったのですが、密度が濃く充実した時間でした。
昭和村の資料などを見ていると、とにかく長くて厳しい冬について頻繁に言及されています。そして冬を経て、春を迎えたときの喜びも。そうした季節が移り変わっていくさまを本づくりにも活かせないかなと思って、それまで頭のなかでふんわりとしていたイメージが、実際に村を訪ねたことで「あ、この形でいいかも!」と、実感をともなって、なんとなく掴めたような気がしました。特に雪道での体験は、本に使用する紙を選ぶときにも、とても参考になりました。
((2)「静かに始まっていくほうが、昭和村らしい」へ続きます。)
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