写真家・田村尚子さんのお話(3)
昭和村との関わりを少しずつ深め、ファインダー越しに新たな視点を掴んでいかれた田村尚子さん。その眼差しが捉えたのは、村の様々ないとなみと自然との深いつながりでした。そのことは、『からむしを績む』に収められた写真たちにも反映されています。田村さんは、そのなかでもひときわ象徴的とも言うべき一枚があると言います。
第3回では、初めて一人で昭和村を訪ねられたときのこと、さらには、本づくりにあたって、どういう世界を写真を通して伝えようと思われたのかお話いただきました。
放棄されるのではなく、今も在るということ
渡し舟のおふたりから、「からむしの布を使った本をつくりたい」というファーストコンタクトがあったときのことは、覚えていますか?
田村 これまでの活動は、現地へ何度も足を運びながら自身の作品撮影を積んでいくスタンスで行ってきましたが、(渡辺)悦子さんと(舟木)由貴子さんから、私のそうした姿勢が自分たちのからむしへの姿勢に重なるということで声をかけていただきました。いろんな人が関わっている村だと思うのですが、そうしたなかで『柿』*1や『ソローニュの森』*2 を見て、私の仕事に共感してくださり、「ぜひ、尚ちゃんにお願いしたい」と言ってもらえたことがありがたかったですし、すごく嬉しかったです。
2017年は『柿』の制作が佳境で、2018年の夏、約2年ぶりに村を訪ねられたそうですね。
田村 そうですね。渡し舟のおふたりから本づくりの相談を受けた直後で、初めて一人で訪ねました。『柿』や『ソローニュの森』を参考に、装丁や方向性など、彼女たちと具体的にどんな本にしたいかとお話したように思います。
それからしばらくして、信陽堂さんが編集を担当されることになり本づくりのチームが具体化したころだったでしょうか、ふたたび村に滞在中のことでした。夜明け前に一人で野尻地区の山に登って撮影を試みたんです。まだ仄かに暗い山中をずっと登って行った先に綺麗な祠を見つけて、「これは!」と思って東側の方向を見てみるとちょうど朝陽が昇るところで、その光が祠を照らしていました。そこから正面に野尻地区の家々を見通せるようになっていて、「やっぱりいい場所に祠をつくっているんだな」と思いました。
そのときに撮った朝陽の写真は、『からむしを績む』にも収められています。通い始めたころからぼんやりと風土に関して興味がありましたが、あらためて新鮮な気持ちで色々な角度から村を眺めていくうちに、からむしを知るには今を知り、古くからここに在る風土を知ることで感じ、その場所とも友好関係を結べるのではないかと確信しました。
当初、からむしや昭和村に対して「こういう写真を撮りたい」など、田村さんが直感的に思い描いたものはありましたか?
田村 すでに多くのものを見せてもらっていたのですが、その時点で私なりに写真をまとめるとしたら、具体的な作業の手順は入れないでおこうと思いました。『柿』は、大工さんの姿や手元のカットも入れていますが、昭和村は、もう少し違う表現をしたほうが良いと感じました。からむしの本なんだけど、手順や工程ではなくて、もっと自然と植物が育っていく成長過程や季節ごとの自然のサイクルのようなもの。そちらが中心になればいいなと。それは当初からどこかで感じていたことかもしれません。
前回、撮る欲求が蓄えられるまでは、周辺を散策していたとお話しました。私は場所との関係には時間をかけて撮影することが多いのですが、とりわけ昭和村は、「このくらいの時間で、この量を吸収して」と急かす感じはなくて、時間をかけて感じたり受けとることを許容してくれる場所だと思いました。それだけの器を持っているというか。変にこの村のことを演出せずに撮るほうが良いだろうし、その上でこの土地が持っている魅力の引き出しを開けられたら、という思いもありました。ですから、随分歩きました。
神社や森のなかに佇む祠、その土地が持つ気配など、田村さんはとても広い視野で昭和村のいとなみを捉えられていたのですね。
田村 あのときに出会った人気のない小さな祠が朝陽を浴びる姿はとても清らかで、厳かな神事を見ているような、その場所に流れる「気」が綺麗でしたし、またあらためて、土地の厚みを気づかせてくれるものでした。からむしの切れ端を祀っていたり、それは自然と人のいとなみの接点のようなものであると私は思うのですが、古くから伝わるそうしたものが放棄されるのではなく、今も在るということが昭和村にとって非常に大事だと感じました。
書籍の紹介も兼ねて徳島で行った展覧会 *3 では、そのときに撮影した山から野尻地区を俯瞰している写真も展示しました。からむしの本をつくる上で、非常にわかりづらいけれど、昭和村全体を包む気配のような存在が欠かせないと思っていましたし、そうした要素を写真では伝えたかったのです。からむしにとって、人の手がかかって作業が進んでいくことはもちろん大事ですが、山から流れる清水をはじめ、そもそもそこにある素材や自然との関係性があって成り立っているいとなみだから。そちらを無視できないと感じていました。
『からむしを績む』にも、そうしたスタンスは反映されている気がします。実際、本書の写真パートでは、人の姿はまったく出てきませんよね。
田村 そうですね。でも、初めて昭和村を訪ねたときは、人を撮ったんですよ。からむしの世界に触れるための訪問でしたが、その入口となる渡し舟のおふたりにお会いすることが一番の目的でもありました。三日間の滞在で最終日でしょうか、中判カメラ *4 を持って雪のなかで、悦子さんと由貴子さんを撮影させてもらいました。あと、宿泊先の農家民宿「とまり木」を営む村のお母さん、皆川キヌイさんの写真も。なので、最初に撮ったのはあくまでも、人なんです。
((4)「光を通した美しさ」へ続きます)
聞き手、表紙写真:髙橋美咲
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