写真家・田村尚子さんのお話(1)
「いつか物を撮って欲しい」
まだ、田村尚子さんが昭和村を訪ねたこともなかった頃のこと。友人でもあった鞍田崇さんは田村さんに対して、そんなお話をされたそうです。
人物から背景を感じる写真の切り取り方に興味があったという当時のことを振り返ると、このときのやり取りが、からむしのいとなみに向きあうきっかけとなったのではないかと、田村さんは言います。その後、どういった経緯から福島県の山間部に位置する昭和村を訪れ、『からむしを績む』の制作に携わることになったのでしょうか。
「インタビュー|からむしを績む」第3弾では、写真家・田村尚子さんにご登場いただきます。本書の制作にあたって大切にされた「気配」とはどのようなものだったのか、そもそも昭和村のからむしを通して何を感じられたのか、写真家として自然と人のいとなみの接点をどこに見出されたのか、じっくりお話くださいました。それらを5回にわけてお伝えしていきます。
その先に「物」があるとは知らず
以前、鞍田さんから田村さんに「いつか物を撮ってほしい」とお話されたとうかがいました。
田村 2015年の3月と思います。当時、私はパリのシテ・デザール*1 に長期滞在中で、仕事でパリを訪れていた鞍田さんとピガール駅近くのカフェでお会いしました。拙著『ソローニュの森』*2 や初期の作品がキッカケで京都で話をして以来、久しぶりだったので、お互いの近況報告のなかでそういった話がありましたね。ただ、どんな物を撮ってほしいといった、具体的な話ではありませんでした。
でも思い返すと、このときのやり取りが、のちに私が昭和村のからむしのいとなみと向き合うことになる端緒だったと言えるかもしれません。
その年の夏に田村さんはパリから帰国して活動拠点を日本に戻されたのですよね。翌年から昭和村を訪ねるようになったきっかけをお教えください。
田村 2015年の夏に身内に不幸がありました。そのことがきっかけで徳島に戻り、家族のケアなどもあったので、しばらく地元に滞在していました。ときおり生前、祖母が趣味で作っていた菜園を復活させ、畑で野菜の世話をしたり、育っていく様子を記録したり、土に触れているうちに自然と心が落ち着く感じがしたことを覚えています。当時は、私自身にも大きな喪失感があったので、足元の暮らしに意識が向かうようになっていたのかもしれません。そうしたことを鞍田さんに話したところ、「思いっきり土臭い場所があるから、一度来てみたらどう?」と。どうしようもなく気落ちしている私のことを気遣って声をかけてくれました。
最初は少し気分を変えてみようかなという気持ちで、まさかその先に鞍田さんのいう「物」があるとは知らず(笑)。当時、鞍田さんは「ローカルスタンダード」という共同研究の一環で、学生さんをはじめ多様なジャンルで活動されている方たちとともに、昭和村を中心とするいくつかの地域でフィールドワークをされていました。私もそこに参加させてもらったことが、昭和村と接点を持ったきっかけです。
田村さんが初めて昭和村を訪ねた際には、私もご一緒していましたね。
田村 2016年1月末ですね。私は電車の乗り換えを失敗して、いきなり遅刻しましたね。村から一番近い会津田島駅でみなさんと合流して、渡し舟の(舟木)由貴子さんの旦那さんが運転するハイエースで昭和村へ向かう道中、隣に座った美咲さん(筆者)が、からむしのヒストリーやこれまでどういう環境のもとで営まれてきたものかを耳元で丁寧に教えてくれましたよね。雪深い土地柄ということもあり、からむしは元々、お米に代わる換金作物だったこともそのときに初めて知りました。
田村さんのそれまでの作品からは、演劇の世界や人の精神など内的なモチーフを対象に取り組まれている印象がありましたが、風土に根ざした暮らしやものづくりなどについても、当時から関心を持たれていたのでしょうか?
田村 私は18歳で地元を離れているのですが、海外でも生活を送ったあと、半年ほど徳島で過ごすなかで自分が生まれ育った土地のことをもっとよく知りたいと思いました。徳島にゆかりの深い麻の文化に興味を持って、古事記や麻と神社に関係する多くの本を読み進めていました。
麁服(あらたえ)という麻で織った反物があるのですが、毎年11月に行われる大嘗祭*3(だいじょうさい)では、絹織物とともに神座に置かれます。麁服は古くから阿波国(徳島県)の山奥にある三木家*4 によって手がけられてきたそうです。麻というものが古来からどのように神事と近いのか、土や植物がどれだけのエネルギーを秘めているのか、書籍や体験を通して初めて自分の生まれた土地と向かいあう時間を過ごしていた時期でもありました。
徳島県には、麻植(おえ)、大麻(おおあさ)など「麻」にちなんだ地名も多くありますね。
田村 そうですね。弟を案内人に、一緒に徳島県の山あいや海沿いをあちこち車で巡りながら、土地の歴史や土地に根ざした暮らしを独自に見つめていくうちに、風土的な物事への関心がひらかれていきました。そうした時期に偶然訪れることになった昭和村に対しても、大袈裟かもしれませんが、自然や古の営みのようなものとつながる感じがしたようにも思います。
2016年の夏、奥会津の三島町を経由して昭和村を再訪した道中がとりわけ印象深くて、よく覚えています。大蛇のように木に巻きついた山葡萄の蔓の野生的な姿にみんなで驚いたりしましたよね。そんな山道を経た先でひとつの集落にたどり着いて、初期のフィールドワークの一環としてですが、そこで住む方達の営みに触れさせていただきました。
徳島では太布*5 というのがあるということも、最初の年に渡し舟の(渡辺)悦子さんから教えてもらいました。昭和村を訪ねたあと、徳島で100歳近い祖母にからむしや太布の話をしたり、植物の種類の話を聞き、その織物についても何か思い出すように少し話してくれました。また、そのころ関わっていた文化財修復の壁や天井に麻やからむしが使用されていたのを実際に見たり、からむしのことがググッと近くなる時期でもありました。
((2)「しばらくはただ「見ていた」」へ続きます)
表紙写真:鞍田崇 シテ・デザ―ルを訪ねた際、田村さんの滞在するアトリエの壁にかかっていた作品(2015)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?