tento 漆原悠一さんのお話(3)
漆原さんが本づくりのメンバーに加わり、からむしの布を纏った本が形作られていく過程は、感染症の影響が拡大していく渦中でもありました。
最初の緊急事態宣言があけてしばらく経った頃、一度しか昭和村を訪問することが叶わなかった漆原さんを気遣った編集者の丹治さんは、とある提案を渡し舟のおふたりにされたそうです。
第3回では、この本づくりを通して漆原さんが考えられたことや、いよいよ完成した本を手にして感じられたことについて、お伺いしていきます。
手の存在を確かめながら
デザインの作業を進めていくなかで、この本ならではと思われるエピソードはありましたか。
漆原 前回もお話ししたように、実際に昭和村に足を運んだことでこういう方向でいこうというイメージを抱くことはできましたが、具体的な形に落とし込んでいくまでにはしばらく時間がかかりました。まずは、布と本がうまく一体化できていないのをどうするかというところから、解決策を徐々に探っていくという感じでした。
そのような最中、デザインの方向性が固まりつつあった2020年6月頃だったかと思いますが、昭和村のアトリエで見たからむしの繊維の束 *1 を渡し舟のおふたりがこちらの事務所に送ってくれました。
百匁のからむしの束をですか?
漆原 そうです。信陽堂の丹治さんからのご提案で、コロナ禍もあって僕は一度しか昭和村に行くことができていないから、渡し舟さんの要望や提案の背景にあるものを体感する時間が足りていないんじゃないかと、少し心配に思われてのアドバイスだったそうです。「おふたりの考え方や体験を具体的に共有してもらえそうなものがあれば、それを漆原さんに送ってみてはどうでしょうか」と。その結果、あの大きな百匁の束が送られてきたというわけです(笑)。
渡し舟のおふたりのあいだで、本ができるまではからむしの繊維の束を僕に預かっておいてもらおうという話になったそうで。受け取ったときはさすがにビックリしましたが、このような貴重なものを身近に置かせてもらえる経験もなかなかないと思うので嬉しかったです。『からむしを績む』の制作期間中は、ずっと仕事場の机から見えるところに吊るしていました。
そうだったんですね。
漆原 ちなみに渡し舟さんから送っていただいた荷物のなかには、昭和村の雰囲気が感じられるものとして、百匁の束のほかに藍染のからむしの布生地も同封されていました。本に用いることになっていた一反の布に渡し舟さんが、「この機会に初めて鋏を入れた」ものでした。それまで使っていた代用の布とは明らかに違う存在感があって、気が引き締まりました。また、制作中はよく布生地を触ってその感触を確かめていました。
ふりかえってみると、当時はコロナ禍で直接のコミュニケーションがかなり制限されていた時期でもあって、関係者のあいだで行き違いがないようにと、丹治さんがとても気を配ってくださっていました。そのぶん、おそらくご苦労も多かったと思います。
制作では、当初のスケジュール通りに進まない場面もあったと伺っています。
漆原 そうですね。からむしの繊維の束が届くのと前後して、特装版の布の扱いに関することや表紙デザインの方向性、使用する紙など、本としての形は着々と決まっていきました。ただ、そこまで至った時点で全体の進行が一回止まって、10月頃に「再開しましょう」ということになりました。
コンテンツが予定どおりに集まらなかったそうですね。
漆原 そうですね。予定どおり集まらなかったことにはさまざまな要因があったのですが、こちらではどうしようもないことなので、そこは頭を切り替えて、進行が止まっている間はこれまでに決まった事柄をあらためて見直したり、よりよい本になるためにもっとできることはないかと考えを深める期間に充てていました。
テキストと並んで本書の柱となる写真については、配置など、どのように決められたのでしょうか?
漆原 写真の並びについては、最初に写真家の田村さんのご希望を大まかにお聞きして、オンラインで打ち合わせを重ねながら、写真の並び順の候補を2案作りました。「どっちもいいね」という感じではありましたが、最終的に季節の流れに即したほうが見ている側としても違和感がないし、何よりも ” 季節の流れ=からむしのいとなみ ”でもありますよね。自然のうつろいに対して淡々と応じていくところにも、昭和村ならではの雰囲気が感じ取れると思います。この本を手に取った人にそういったことが自然と伝わるようにすることが一番じゃないかと思って、決めていきました。
とりわけ季節の変化を意識する秋のはじまりのところがわかりやすいかもしれません。このページに至るまでは、ずっと季節を追って写真を配置しているのですが、秋に入る前の一区切りとしてページを空白にしています。秋の訪れにふさわしいのはどの写真かを議論したり、「ここからの写真は大事だね、順番をどうしようか」と、皆さんと話し合ったことも覚えています。
丹治さんからは、「この本づくり自体が、からむしらしい。からむし的だった」と伺いました *2。漆原さんが『からむしを績む』という本に対して何かそのようなこと、あるいは、ほかのお仕事と違う今回ならではと感じられたことはありましたか。
漆原 自分自身の仕事についていえば、とりわけ手を動かしたという点でしょうか。実際にいくつも試作を重ねながら、皆さんに見てもらってフィードバックをいただいて、「やっぱり何か違うなぁ」と思っては、また新たな試作を作り直したりと。PCに向かうだけではなく、自分の頭と手を動かし続けて、フィジカルに作っていこうと意識していました。
昭和村の ” からむしのいとなみ ” では、とにかく手を動かすじゃないですか。最初に渡し舟のおふたりからそのことをお聞きして、頭の片隅にずっと残っていました。その後、映画「からむしのこえ」を観たり、実際に村を訪ねたり、さらには、お借りした百匁の束を日々眺めながら作業するうちに、どこかで「手の存在」ということがキーワードのように意識されるようになっていたのかもしれません。
それに、鞍田崇さんから届いたテキストを読んでみて、妙に納得したんです。そこには、誰もが知っている名の知れた人は登場しないけれど、日々、手を動かして長い間脈々と受け継がれてきた村の伝統や一人一人の存在そのものが、とても丁寧に描かれていました。続いて送られてきた渡し舟さんによる編集後記も、そうした点の大事さやかけがえのなさを再認識させてくれるものでした。それぞれの文章を読みながら、自分も本づくりに携わる一員として、昭和村のからむしのいとなみに参加しているような気持ちになれたというか、そこで継がれてきた手の感覚を確かめながら作っていきたい、という思いがありました。
” からむしのいとなみ ”を物語る村の人々の「手の存在」が、漆原さんが感じられた「からむし的なもの」とも言えそうですね。渡し舟さんからお借りした百匁のからむしの束は、いつ返されたのですか?
漆原 本が出来てしばらく経ったあとです。事務所のなかで存在感を放っていたので、返したあとは少し寂しい気持ちになりました。
いよいよ完成して仕上がった本をご覧になって、どんなことを感じられましたか?
漆原 まずは、ほっとしました(笑)。最終的なデザインの方向性がかたまったあとは、制作途中の造本やページのサンプルを何度も確認していましたし、表紙の箔押し作業は工場まで立ち会いにも行ったので、大方の完成イメージはありました。でも、実際に出来上がった本を手にすると、試行錯誤の連続だった当初のことが思い出されて、「よくぞここまで」という感慨とともに、この本のデザイナーとしての役割を全うできた安堵感も湧いてきました。
渡し舟さんからは、村のおばあさんからからむしの布を預かったあと、その布を本に使おうと決めるまでに辿られた紆余曲折や、決めたあともなかなか具体化することができず、自分たちでずっと検討を重ねられていたことを聞いていました。そうした苦労に報いるに相応しいものが出来たのではないか、なんとか自分の役割は果たせたかなと、出来上がった本を見てそう感じました。
((4)「小さな声に耳を澄ませて」へ続きます。)
聞き手:髙橋 美咲
表紙写真:鞍田 崇
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