信陽堂 丹治史彦さん、井上美佳さんのお話(2)
東京都文京区を拠点に活動される信陽堂は、「いとなみのそばにある本をつくります」という想いのもと、丹治史彦さんと井上美佳さんによって運営されています。
本づくりのきっかけとなったのは、藍染をほどこされた一枚の布。
からむしのいとなみを感じ、この布が辿ってきた物語に寄りそう存在としての「本」とは、どのような姿をした物なのか。
第2回では、装幀の方向性や布の扱いを中心に、抽象的なイメージから現実の物として形づくられていく過程についてお話をうかがっていきます。
ヘンテコリンな本を作ろうとしているんだな
装幀を担当されたグラフィックデザイナーの漆原悠一さんは、信陽堂さんからのご紹介と伺っています。
丹治 渡し舟のおふたりから今回の企画に寄せる思い、そもそもどんな本にしたいかを聞いたときに、ただ平面的なグラフィカルな美しさやかっこよさだけではない、「物」としての本の在り方を大事にしたいということがありました。それから何より「からむしの布を本に使いたい」という、最初からのいちばん大きな課題もありました。
それを一緒に解決していただける方は誰だろうと考えていたときに、今回が初めてのお仕事だったのですが、「漆原さんにお願いしてみたい」と思ったんですね。
彼の仕事自体は以前から拝見していて、とても美しい仕事をされる方だと思っていましたし、美しいだけでなくて本づくりに工夫というか企みというか、いろいろなことを込めて作られる方だと感じていました。渡し舟のおふたりにも賛同いただいて、装幀の相談に伺うことにしました。
装幀に関しては、布の扱い方に苦戦されたと伺っています。布を本に添わせるように包む現在の形は、どのように決まったのですか?
丹治 布の扱いについては、基本的に、渡し舟と私たちで相談しました。いろんなアイデアが出ました。たとえば5センチ四方ほどの小さな布をサンプルとして貼ってみるとか、クロス装という表紙の材として布を使うとか。でも、そのどれも、「今回のからむしの布はそういう使い方をすべきではないよね」となった。
それで、ためしに手元にあった布と本を使って、サンプルとして布を本に貼ってみたんです。完成形とは少し異なりますが、「裏表紙に帯状の布を貼りつけた状態で、本がクルッとからむしの布で巻かれている形はどうでしょう?」と、こちらから渡し舟に提案しました。おふたりも「この方法は面白そう」ということで、その案を携えて、まずは私と井上のふたりで漆原さんを訪ねました。そこで、「からむしの布を、本という存在の中に一緒にするということを考えたいので力を貸してほしい」と、企画の意図を伝えてサンプルを見ていただきました。
ただ、なんていうのかな。どういう製本上の構造にすれば成立するのか、果たしてこれがいちばん美しい形なのかというところまでは、自分たちでは検証できていなかった。なので、漆原さんには「そこから一緒に考えてもらえませんか」と、お願いしました。もちろんその段階でもっと違う形を発想されれば、そちらのほうにシフトするのもありだと思っていました。
本のサンプルをご覧になって、漆原さんはどんな反応をされましたか?
丹治 そんな本ってこれまで見たことがないので、サンプルを持っていった私たちも、それを見せられた漆原さんも、「ヘンテコリンな本を作ろうとしているんだな」ということは、共有できたと思います(笑)。
なるほど(笑)
丹治 漆原さんがどう感じられたかは、ぜひご本人にもお尋ねください。漆原さんがメンバーに加わってからは、ときに印刷所の人とも相談しながら具体的な本の形を考える工程に入りました。使用する紙はどういうものがよいか、布のあしらいは、表紙と本体のあいだに布を入れ込むように接着すればいいんじゃないかなどと、侃々諤々。
本の表紙の布のテクスチャーを活かしたデザインは、どのように決まったのですか。
丹治 それは、副産物なんですね。
副産物というのは?
丹治 本づくりが進んでいく中で渡し舟のおふたりから、「からむしの布を本に貼りつけるときに、もともと接着剤でもあった漆を使えないか」という相談がありました。「からむしも漆も、縄文時代から利用されてきたもの。何よりからむしの布は自然から生まれたものだし、本に貼りつけるにしても、可能であればケミカルな人工素材を用いないほうがふさわしい。それに、昭和村がある会津地方は漆器の産地でもあって、漆には地元とのゆかりもあるから、それを使って布を接着できたらいいよね」と。
そこで会津若松の漆の職人さんを訪ねて相談し、試してもらいました。漆を塗って紙に貼りつけた布を剥がしたところ、紙の上に漆がとても綺麗に残っていたんです。布のテクスチャーをそのまま留めるように浮き上がって。「あ、これは美しい。これを表紙に使いましょう!」と、その場で決まりました。最初から表紙に使おうと布の織り目を転写してもらったのではなくて、偶然発見したものだったので、その意味で副産物なのです。
布を漆で接着することは、実現されましたか。
丹治 残念ながらできませんでした。東京の製本の現場から作業中の本を会津の漆工房へ持って行き、また会津から東京へ運んでとなると、工程的にもかなり複雑になりますし。それに移動がかさむと物ってくたびれていくというか、汚れたり傷がついたりしてしまいます。いいアイデアだとは思いましたが、コスト的にも時間的にも、現実的じゃなかったということです。
でも、この表紙、素敵ですよね。
丹治 そうですね。とてもいい表紙になりましたよね、美しい。結果としては「漆で接着するのは失敗しました」という話ではありますが、失敗を無駄にしなかったというか、むしろこれで良かったと発想を変えて、表紙の素材に使いましょうということになりました(笑)。
本づくりにおいて、そういうことはよくあることですか。
丹治 そんなに頻繁ではないですよ。ただ、信陽堂の本はイレギュラーなことを実験することも多いので、その中で発見したり新しい方法を試してみることはありますし、なるべくいろんな実験をしてみたいと思っています。
渡し舟のおふたりから「信陽堂さんにとってこの本づくりは、とても面倒な仕事だったのではないか」と伺いました。面倒というのは大変というか、難しいというか。
丹治 たしかに本自体は特殊な形になりましたけれど、こういうことを考えるのはとても楽しいことなんです。本づくりに携わる者として、やったことがないことにチャレンジして知恵をしぼり、作家や現場の職人さんたちと形にしていくことは、とにかく面白い。だから、全然面倒とは思いませんでしたよ。
井上 大変なことがあったとしたら、そんな最中にコロナ禍が始まってしまって、私たちが昭和村に入ることもできないし、渡し舟のおふたりが東京に来ることもできなくなってしまったことですね。
本づくりのメンバーが揃って、いよいよというタイミングでのコロナ禍だったんですね。
丹治 そうなんです。ちょうど2020年の2月、雪の風景の撮影で村に滞在しているときに、旅客船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入ったというニュースについて、みんなで話題にしていたことを覚えています。渡し舟の舟木由貴子さんがお子さんに話していたのかな、「この船の中に二千人の人が乗ってるんだって。二千人といったら昭和村の人が丸々乗っているような船だよね」と。あらためてそう言われると大きな船だと思ったし、子どもたちもびっくりしていました。
では、その後のミーティングはほとんどオンラインに?
丹治 そうですね、漆原さんと私と印刷担当者は、直接会って打ち合わせをしたこともありましたが、渡し舟とはオンラインだけですね。
井上 リアルに会って、同じ物を一緒に見ながら相談したらすぐに決まるようなことも、サンプルも複数あるわけではないので事前に郵送して確認してもらってから、ようやくミーティングという流れで。その都度ものの移動に余計な時間もかかってしまいますし、まどろっこしいというか、zoom越しに進めるのは本当に大変でした。
会えない、集まれない、訪ねられないということは、ものづくりを進める上でこんなにも影響が大きいのかと思いました。今回は本の構造が複雑でしたし、なおさら。でも、そうした中で、展開図を作ったり、工夫を重ねたことは貴重な経験になったと思います。
(次回「(3)手作業でできる製本屋さんは、東京でも僅か 」へ続きます。)
聞き手:髙橋 美咲
表紙写真:木村 幸央
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