信陽堂 丹治史彦さん、井上美佳さんのお話(1)
『からむしを績む』は、布から生まれた本。
ちょっと不思議なその成り立ちは実際どういういきさつだったのか、そもそもそこにはどんな思いが込められたのか。関係者へのインタビューを通じてひもといていきます。
* * *
ひとつのフレーズがずっと耳に残っていました。
「結果としては、とても〈からむし的〉だったのではないか」
それは、『からむしを績む』の制作に携わった方たちによるトークイベントで発せられたフレーズでした。ここで語られる〈からむし的〉とは、なんだろう? からむしの存在や昭和村のいとなみに魅了され、ときに困惑を覚えた者たち(ーーそれは何より私自身でもあるのですが)にとって、何かしら呼応するかたちで記憶や感覚に触れる表現のようにも感じて、あらためてそれを確かめたくもなりました。
このフレーズを発せられたのは、丹治史彦さん。井上美佳さんと一緒に、本や雑誌の編集・制作を行なう「信陽堂」を主宰され、『からむしを績む』の編集も担当されました。
シリーズ【インタビュー|からむしを績む】をスタートするにあたり、まずおふたりにお話をうかがうところから始めることにしました。制作期間中のエピソードとともに、先のフレーズに込められた意味や本づくりへの想いを聞かせていただきました(全5回の記事です)。
ほんとうに美しい物
最初に『からむしを績む』の企画者である「渡し舟」のおふたり、渡辺悦子さんと舟木由貴子さんとの出会いからお聞かせください。
丹治 おふたりと出会う背景に、まずは、テキストを担当された哲学者の鞍田崇さんとの接点がありました。鞍田さんとは、2014年に明治大学に着任されたタイミングで行われた公開講座 *1で初めてお会いしました。
鞍田さんからは、丹治さんが担当された木工デザイナー・三谷龍二さんの著書『遠くの町と手としごと』(アノニマ・スタジオ 2009)への共感から丹治さんたちが手がけるお仕事へ以前から関心を持たれていたと、伺っています。
丹治 もともと鞍田さんは京都を拠点に活動されていて、東京に移られる前に、「〈民藝〉のレッスン」というタイトルのトークイベント *2を行われたそうです。そこに三谷龍二さんや、やはり私たちが本を手がけたことがある「エフスタイル」 *3のふたりがゲストとして招かれていました。そういう企画を通じて、私たちのことも地域に根ざした手仕事のいとなみに興味や親和性がある編集者だと認識してくださっていたのだと思います。
だからなんでしょう。鞍田さんから、2016年に渡し舟が「編ム庫」*4さんでお話会とワークショップ *5を行うということでお誘いいただき、参加しました。
編ム庫さんでのワークショップへの参加が渡し舟との初対面だったのですか?
丹治 そうですね。「渡し舟」という人たちが活動していることは存じ上げていました。また、民映研 *6 の『からむしと麻』という映画(1988年)を観たこともありましたので、からむしという植物から繊維を採るということも知っていました。
井上 ただ、映画で観たことがあるという程度で、予備知識はほぼ持ち合わせていませんでした。ワークショップでは、渡し舟の渡辺悦子さんが、細く裂いた繊維を績むところを実演してくださいました。実際の物として「からむし」を見たのは、そのときが初めてでした。
本づくりのお話が持ちあがったのはいつごろだったのでしょう。
丹治 その後しばらく経ってからですね。2018年の秋口かな。鞍田さんが信陽堂に相談に来てくださったんです。「渡し舟のおふたりと一緒に、からむしの布を使って本を作りたいと考えているのだけど、本づくりのアドバイスをいただけないか」、と。そこで背景や計画をお聞きして、「まずは昭和村に行ってみましょう」ということになりました。村を訪ねたのは本格的に寒くなり始める直前くらい、2018年11月2日から3日の一泊の行程でした。
井上 紅葉が綺麗でした。
丹治 そう、そのときは鞍田さんと一緒に三人で、車で美しい森を抜けて行ったんだよね。
井上 村内にある渡し舟のアトリエに伺ったのですが、束ねられた「からむしの繊維」が壁際に掛けられていました。それがすごく美しくて、感動したことを覚えています。「からむしってこんなにも美しいものなんだ」、「これを作っているんだ」と実感したというか、とにかくそれがとても印象的で、ぐっと興味が湧きました。昭和村に行って初めて、からむしに触れたという気がします。
本に使う布を手がけられたおばあさんにもお会いになりましたか?
井上 お会いしたのは、また別の機会。たしか、雪が積もっていたから。
丹治 初めて村を訪ねた半年後、2019年3月に村を再訪しました。当時の写真をみるとまだ雪が残っているから、このときおばあさんにお会いしたのだと思います。
そうだったんですね。その後も何度か村に通われたのですか。
丹治 本づくりの打ち合わせもありましたが、季節ごとのからむしの作業も見ておきたかったですし。写真を担当いただいた田村尚子さんの撮影に合流することもありました。2019年8月には、からむし引きのタイミングで訪ね、そのあとは、同じ年の11月、翌20年1月とけっこう頻繁に行きました。2020年の2月には、雪の風景を撮影するために田村さんと、装幀デザインを担当いただいた漆原悠一さんと一緒に行っています。そういえば、映画『からむしのこえ』*7が完成したのはいつでしたか?
完成が2019年の秋、10月に千葉の国立歴史民俗博物館で公開されています。
丹治 なるほど。でしたら、2020年1月は、会津若松の福島県立博物館での上映会への参加も兼ねての訪問だったと思います。
信陽堂さんが本づくりに参加される以前に、田村さんが写真を、文章を鞍田さんが担当されることは決まっていたのですよね。
丹治 はい、決まっていましたね。
今回のように先方、しかも本づくりの経験がない方からの依頼で動き出した企画は、これまでにもあるのでしょうか。
丹治 そんなにたくさんではないけど、ゼロではありません。アーティストや作家の方と協同して本を作り上げるということはこれまでにもありましたので、初めての経験ではありませんでした。
私は信陽堂を立ち上げる以前、アノニマ・スタジオ *8という出版レーベルをやっていたのですが、その当時からいわゆる本づくりのプロではない人たちと本を作る経験を重ねてきました。逆にいうと、文章の書き手としてではなく、その人の活動に魅力を感じる方に「本を作りませんか」とお声がけをして、何ができるかを一緒に考えるところから本づくりを始めるのが我々のスタイルでもありました。ですから、渡し舟さんからの相談も、それほど驚くようなことではなかったし、途方に暮れるとかそういうことでもなかったです。
しかしそうは言っても、経験があるからすぐに本ができるということではまったくないんですね。一冊一冊、ひとつの企画ごとにゼロからスタートと言ってもいいくらい。フォーマットがあってそこに落とし込んでいけば本ができるということではなく、それぞれに合う形にカスタマイズしながら作っていく。なので、今回は今回で、やるべきことがたくさんあるなと感じていました。
((2)「ヘンテコリンな本を作ろうとしているんだな」へ続きます。)
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