飛べなかったのか?飛ばなかったのか?
お初お目にかかります、わたしです。
まとまりなくしゃべる人です。もし読んでいただけて興味があれば以後お見知りおきを。
年末年始は読書に限る。
米澤穂信さんの『いまさら翼といわれても』を読んだ。おもしろかった。
〈古典部〉シリーズの最新作なのでまあ興味がある人は読んでみてほしい。
今日はその本を読んで浮かんだ考えを適当にまとめたい気もする。
このnote の少数の読者の方々は人生における制限ってあっただろうか。
まあどんな小さなことでもよいとするなら、
「ゲームは30分まで」
「今月のおこづかいは」
とかはみんなあったと思う。
制限をちょっと大きいことにして考えたら、
「大学は近いとこにしなさい」
「国公立にしなさい」
とか言われている人もいるのかもしれない。
もっと大きいことを挙げるとすれば
「将来は家業を継ぎなさい」
とかだろうか。
まあそれを制限とするかは人それぞれなのかもしれないが。
人それぞれってすごく便利な言葉だよね。
あらゆる場面において使える、汎用性の高さNo. 1!って感じ。
話は逸れたが、私は比較的自由に生きてきた気がしている。
やりたいスポーツをして、行きたい高校・大学に進学して今は親元から離れて働いている。
こうして生活できていることを幸せに思っているし、生きてこられていることには本当に感謝しかない。
そういえば何かで見たか聞いたかしたのだが、バッタをバケツにいれて蓋をしない場合とした場合とを比較した実験があった気がする。
蓋をしなかったバッタの群は飛び出ていったのに対して、蓋をして時間をおいてからふたを開けたバッタの群はバケツの高さ以上に飛べなくなっていたのだ。
バッタの話は実はそこまで逸れていないので、勘のいい人なら次に続く言葉はもうわかるだろう。
「人も制限を設けられると飛べなくなるのではないか。」
「自由に生きていける方が幸せだ。」
もちろんそれはそれで正しくて、どう考えるかは人それぞれだ。ただ私がパッと思ったことはそんなことではない。
もっと自分のことを考えていた。
私はこれまで自分で自分に制限をかけていなかったか?
本当にその時のベストを選んでいたか?
誰にも気を使わず自分を貫いたか?
これに対する答えは個人的に出ているが詳しくは書かないことにする。
もちろんどちらが正解かなんてのはわからない。
今通っている人生しかわからないからね。
ただあのときわたしは、