TV
電化製品の三種の神器とは、戦後日本において新時代の生活必需品だった。
1950年代後半は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3品目が三種の神器として喧伝され、1960年代半ばにはカラーテレビ ・クーラー ・自動車の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝された。
こういった文章を書くことで、筆者の年齢や性別を曖昧なものとする技術がある気がしているのでみんなもよければ使ってみてほしい。
話は逸れたが、テレビは新しい生活の象徴として技術の最先端のひとつであり、現代では非常に日常に馴染んだものである。
私は実家では朝御飯の時はだいたいNHKのニュースを見てた印象が強い。
厳格な家だとご飯の時はテレビ禁止とかあっただろうか。
さて、最近みんなのテレビに対するイメージってどんなだろう。今日はそこについて少し話したい気もする。
わたしの個人的な意見を言わせてもらうと、テレビの求心力は明らかに低下していると思う。いわゆるオワコンに近づいてるってやつだ。
なぜか。
一番大きいのは自由なツール、いわゆるネットの台頭がある気がする。
ネットに比べたらテレビはどうしても窮屈に見えてしまう。
じゃあ窮屈って何か?
それはどうしてもテレビというツールが受動的なものだからという他ない気がする。
数年前のセンター試験国語、こんな話があった(よね?)
教えて君と教えてあげる君のやつ。一時期Twitterとかで盛り上がってたよね。
自分で調べればわかるようなことを質問する「教えて君」も問題だが、「教えてあげる君」の方に問題意識を持っている。「教えてあげる君」は自分自身が満足するために「教えて君」にものを教えているにすぎないのではないだろうか。(引用)
見事に言い得ている。
視点を変えれば人間は教えてあげる、つまり能動的な行動に魅力を感じ満足を覚える生き物だと。
ネットはまさに能動的な行動で成り立っている。
興味があることがあれば自ら調べ、発言したいことがあればコメントを残し、他人の疑問に答えを提示することができる。
しかもそれが制限されることは少ない。
そりゃ満足度高いわ。
ここまでの意見を述べた一方でテレビはテレビで衰退したとは思わない。
某医療系人気ドラマ(ドクターなんとやら)は視聴率15%とかあるらしい。
15%って言ったらだいたい1000万人位観てるのでは?まあさすがに計算が適当すぎるが。
某動画配信サイトなんて100万回再生いけば超人気動画とされることを考えると...
いまなお世の需要は変わってないと言えるのかもしれない。
この手の物は需要が変わらない限りは供給も変化しない。(と思っている)
何人の能動が集まればこのテレビの100年を動かせるのか。
今日もよいバランスで世界はまわっている。