お金あげるから子育てしてと言われても、断って、自分が働いて保育園に預けたい
母と子の素敵な絵なのに、こんなこと書いてごめんなさい。
産後4ヶ月頃、髪を切りたくて、いつもなら美容院へ行くのに、遠慮して自宅から徒歩15分で行ける1000円カットへ。
これが、子どもと初めて離れて、一人で外出したとき。
心と肩が身軽な自分にそわそわした。体は生憎、毎日の授乳と産後の骨盤がガタガタで不具合中だった。でも、子どもを抱いていなくてよい腕と肩は手持ち無沙汰になった。
出産のたった一年前、当たり前の時間の使い方が子どもを産んだ途端、躊躇するようになった。こうなることは、予想していたのに、自覚してなかった。
子どもに縛られている。育休中、いつも思ってた。生後2ヶ月頃から目で私を追う姿にもうんざりした。一人になりたかった。
結局、カットも15分ほどで終わり、帰り道にコンビニに寄り、好きなものを少し買っていそいそと帰った。
あのとき、逃げようと思えば逃げれた。
逃げなかったのは、母性かな。
他人と話すだけで、涙が出た。子どもと二人きりの育休中が嫌だった。何も世話をしなければ死んでしまう者と、ずっと一緒にいるのが怖かった。夫の帰りが待ち遠しかった。
授乳も上手くできなくて、辛かった。産めばすんなり出ると思ってた母乳は、私は出が悪かった。平日1〜2時間手伝いに来てくれる実母に、母乳の出を揶揄されるのも苦痛だった。
1ヶ月健診で、まんまるの赤ちゃんばかりで、びっくりした。
我が子は頰がこけ、出生体重からわずか250gしか増えてなかった。
我が子は、寝ず、乳首から口が離れると泣き、昼夜問わず乳首を吸い続けていた。今ならわかる、始終お腹が空いてたんだ。
まんまるの赤ちゃんを抱っこしている母子を見るのが辛かった。いやだった。育児を楽しいと言っている母親の声を聞くのが疎ましかった。羨ましかった。
区の赤ちゃん訪問の保健師さんが来て、子どもの体重増加が悪いので、ミルクをさらに足すことを教えてくれた。産褥入院の手配もしてくれた。
「お母さん、よくやってるね、頑張り過ぎてるね」
保健師さんがそう寄り添ってくれて、わんわん泣いた。
帰りにアンケートをすると、心が疲れてると心配してくれて、救われた。この時の保健師さんに感謝している。
何となくで、翌年0歳入園の保育園に申し込みをした。激戦区なのに、なぜか第二希望の保育園に入れた。
入園面談の時に、子どもが保育士さんに笑顔で抱かれている姿を見て、涙が出た。保育士さんももらい泣きをして…我に返ってなんで泣いてるの?結局みんなで笑った。
それから、私は子どもが0歳クラスの5月から職場復帰した。少しでも離れたかったので、フルタイムで働いた。
鬱々とした育休中から一転、気持ちが晴れた。
生活は大変だった。めまぐるしかった。残業は出来ず、子ども都合で急に休む事もあり、以前のように働けずもどかしかった。
けれども、子どもを保育園に預けたおかげで
好きなときにトイレへ行き、マイペースにコーヒを飲み、ひとりのランチタイム。早食いしなくてよい。通勤時間も至福だった。
通勤時間と勤務時間を含めた7:00〜18:00までの11時間、保育園に預けた。
1月毎に変化する乳幼児期の成長を、クラスの保育士さんと共有できる。いつでも相談に乗ってもらえる環境を得られる。保育士さんの毎日の連絡帳を読むのが楽しみだった。子どもの知らぬ面を、保育士さんから教えてもらえるのが嬉しかった。
保育園に預けたことで、私は心の余裕を取り戻し、少しずつ子どもが可愛い気持ちを見つけていった。
私は子育てが嫌いで向いてない。
自分の子どもなのに、子どもが起きている時間の大半を保育園に預けている私。
他人に預けて、いいとこ取りをしている感じ。何人産んでも、未就学時代の半分の時間を保育園に預けるんだろうな。それする自分が本当は嫌でもある。
子どもを産んでから9ヶ月間、24時間子どもに触れ続ける日々が苦痛だった。
もちろん、ずっと離れるのも嫌だ。
私の場合、子どもを愛する気持ちを見つけるために1日11時間、離れてる。
これは、介護の場合も同じなんだろうな。
もしも今、国の制度が変わって、保育園に預けなければ、満額の給与給付されても…私は自分が働いて、子どもを保育園に預ける。
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