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僕は勉強ができない。


オランダ通りを愛車のマウンテンバイクで駆け抜けながら、かっこいい自転車といえばマウンテンバイクと思い込んでいた8年前の無知な学生時代を思い出した。ロードバイクには勿論のことママチャリにまで抜かされていく私の自転車が、今になってオランダ通りの石畳を力強く走ってくれる最高の相棒になってくれるなんて。

私は今、弁当を作って、豚足を作って、モノを売ることをなりわいとしている。それは人生で初めての試み。いつも心の隅っこで、自分の感覚を頼りにしながら仕事も生活もごっちゃにして楽しく暮らしたいと思っていた。だから、これまで歩いてきた道の中に「ひばり」という道標が現れたことは私にとってとても嬉しいことだった。

が、それがいざ「なりわい」という形で表に立ってしまうと、途端に私の気持ちは風船のようにしぼんで、地べたにへたり込んでしまっている。メディアに露出した分だけ美咲町の山奥へ逃げ込みたくなって、すっぽかしてバックれたい気分にもなった。完成した30食を売らねばならぬのに、心の奥底で売れないことを本気で祈った。それなのに初日という名のお付き合い弁当はあっという間に完売してしまった。オーマイガ、なんてこった。

「きりが作った」という言葉が、どし、どしっ、とのしかかってくる。ひばりで一番と自負している体幹の強さも、このプレッシャーには簡単にへしゃげられそう。意気消沈という言葉がここまで似合う28歳私はそういない。

これまで食べることも作ることも大好きだった私が、まさかこんなところで弁当に首を絞められる日がやってくるとは思ってもいなかった。1日を終えた感想は、ああ逃げたい。そんな情けない私だけど、昨日助けを求めるようにして読んだ弁当本で目からウロコした。「自分の料理を弁当にして詰めていく。」私にお弁当を合わせるという考え方にふっと力が抜けた。そして、実家に住んでいた時、父と自分の弁当を作っていたことを思い出した。冷蔵庫と畑とその日の気分と相談しながら、お弁当を毎日の楽しみにしていた時のこと。

初日でテンパる私を手伝おうとして、私の頭上にトングとタッパの雨を豪快に降らせた城主がいつか言っていた。「”そこ”に立ったら演じることが必要だ。」私はお店に立つさっちゃんを見てその言葉を思い出した。「プロ」という意味とは少し違うのかもしれないけれど、自分が役者であることを忘れてはいけないと、はっと気づいた。

気づいたからって、技術が目まぐるしく向上していくわけではないのだけど、ひばりの看板娘を演じると決めた以上、私は自信を持ってひばり弁当とそれから豚足を販売していこうと思っている。オランダ通りを立ち漕ぎしながら慣れない仕入れに奔走してやろうと思っている。(商店街は自転車に乗れない。)

肯定する力、それが演じるということなのかな?大好きな人のことを他人にも照れずに好きと言えるような私になりたいですね。だけど、私はずるいからここでこっそり言います。今日のごはんは固かったけど明日は柔らかいから!こないだの唐揚げはちょっとしょっぱかったけど明日は肉団子作るから!だから、皆さまどうかひばりの巣立ちを見守る気分で、どうぞよろしくお願いいたします。

2017年04月25日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。