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残像採集。

春の夜、友人が突然恋に落ちた。

LINEの間抜けな通知音と一緒に彼女の言葉がぽろぽろとこぼれていく真夜中過ぎ、ひとりアパートにたたずむ彼女の姿を想像する。ああ、恋の始まりはあまりにも唐突すぎる。これだから恋は厄介なのだ。なんてことを考えながら、私もまたひとりアパートで彼女の気持ちに思いを馳せて悶えていた。

彼女の溢れ出た想いは、長いため息が出るような、それはそれはとても春に似合う恋だった。

年を重ねるごとに、大体の記憶は息をひそめるようにして、どこか彼方へ行ってしまう。だけど、恋に落ちた瞬間は自分の中に宝物として忘れないよう心にしまっている、というか忘れられない。ふとした時に、私の小さな胸をきゅっとする。

とある夏の夜、私は真っ赤な月を見た。それはとても大きくて、宇宙の図鑑みたいに夜空で燃えていた。私を降ろした車がどんどん赤い月の方へ走っていくのを見て、彼も同じ月を見ているのかと思うとたまらなくなった。部屋に戻っても、やっぱりさっきの偶然に黙っていられなくて「月が赤いね」とメールをする。あんなに美しいロマンチックを共有できるなんて、その事実が二人の揺るがぬ何かになってくれるような気がして思わずにやけてしまう。すると、彼からまさかの返信「赤い月?」

おいおい、なんてこった。私はたまらず部屋を飛び出して、さっきの真っ赤な月を探した。探しても探してもどういうわけか真っ暗な空には赤い月どころか月さえ見当たらない。見晴らしのよい方向へずいぶん歩いて、山の裏側をのぞくようにして身体を曲げたり、首を伸ばしたりして、一生懸命に月を探したけど、結局見つけることができなかった。あれは絶対に見間違えなんかじゃなかったのに。携帯電話の向こう側で赤い月を探している彼を思い浮かべながら、ちぇっと思う。気持ちの高揚を抑えようとそのまま夜の散歩を始めて冷静になってきたら、あー、私、恋に落ちたなあと気がついた。

世の中の出会いは恋に落ちるかそうでないか、その二択のような気さえする。異性だけじゃなくて、万物に対して。できるだけ、恋したものに囲まれて暮らしたいけど、そうも簡単にいかないよね。時々は、そういうお気に入りと交わらないこともあるってこと。だから恋に落ちた瞬間って忘れられないのかも。

2017年04月11日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。