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獣道のイルミネーション。

動く歩道みたいな私たちの社会は、どんな時だって動く速度も方向も簡単に変えることはできない。国だったり地方だったり、もっと小さな地域だったり、それから経済ってやつも存分に作用していて、いつの間にか私たちはそういう大きなものが作り出す流れの中を流されながら歩いている。

ヒバリのトークイベントで文化人類学者の松村さんが言っていた。大雨でいつ帰れるかわからない緊急時にもかかわらず、新幹線の車内では満員の自由席で律儀に立ち続ける乗客たちがいて、キャンセルなど相次いでいるだろう指定席はガラガラに空いている。岡山市内では、あんなに避難勧告が出て、確実にいつもと違う警戒態勢だったにもかかわらず、松村さんが行った避難所には誰一人いなかったらしい。ルールとその場の流れに縛られるのが日本だ、って。いつものと同じはずの感覚を保っていたいから、周りの人と同じ、こうしていた方が安心、を選択しているのではないだろうか、と。要はシンプルに自分で考えて自分で動くってことが大事なんだろうな。いざという時の歩く道くらいは自分で整備する。私は今回の災害でそう感じていた。

そういうことをいつもは自分の胸に留めている。でも、なぜか今回は書かずにおれない。伝えたくてたまらないことがあるから。私は昨日、偶然にも城主と菅野の獣道イルミネーションに取り組むことになって、議会を初めて傍聴した時に感じた、社会と自分を繋げてくれるという感覚を思い出している。彼がいつも言ってた「第3の縁」が繋がり、現場が動いた瞬間を目の当たりにしたからに違いない。

11時、真備で避難所の間仕切りづくりを終えて、岡山市北区菅野へ向かった。岡山市の道路が陥没して、19の世帯が孤立してるって城主の親友の堀潤さんから連絡があったらしい。13時半、現場の風景はやるせなかった。道路が大きく陥没して、大きな池は水が抜かれて干ばつ地のような切なさを醸し出す。暗くて切実で、だけど容赦なく空は青くて暑い。

自分の力じゃ出来ないこと、どうしようもないことっていっぱいあるんだけど、そっからどんな方向へ持っていくかっていうのは、緊急の時に限らず、すっごく大事なことだと思う。そういう時、城主はいつも考える前にとにかく動き出す。今回もとりあえず現場へ行って、被災した光本さんの話を聞いていた。道路が修復されるのはなんと3〜4年後だという。それまでの生活は、あの獣道を使う必要がある。獣道はまるで登山道で、買い物した荷物を持って帰るには、それを生活道に使うにはしんどい。そして、その道は夜になると真っ暗になる。これまで自力で頑張ってきた光本さんたちも疲れがピークに達していた。

まず必要なのは、仮設道の建設と当面の照明。そこで電話をかけたのは、ファーストディレクションという照明屋の木本さんだった。解決策がなければお願いするかもしれないから心づもりだけよろしく、と。

次に電話したのは、地元市議の難波さん。すると彼もまた同じく早々に現場へ駆けつけた。なんと難波さんはあの大雨の日からずっと動き回っていて、すでに仮設道の設置に向けて関係各所を動かし、当面の不便をカバーする案も考え、解決までの目処も立てていた。すごい、議員さんってのは、動けなくなってしまってる現場を機能させるために、色んな力をここぞととばかりに発揮させる。だけど、光本さんはまだそのことを知らない。そこで二人を引き合わせて、難波さんに状況の説明をしてもらうこととなった。繋がらないと、気づかれないと、その人の不安は解消できない。逆に状況は同じでも、知るだけで不安は安心に変わる。なんだか恋愛と同じだ。

それぞれに解決の糸口が見え、たちまちこの日の照明は懐中電灯でどうにかしのぐことにして、その場は収まった。よし、じゃあ今日は帰るか!って車で帰っていたら「あ、木本くんに連絡せんと!」と気づき、もうほとんど岡山市街に帰ってきた頃に電話をかける。そしたらその電話口で木本さんがびっくりすることを言うのだ。「いや、もう来ちゃったんです。」
えー!って驚く私たちはまた菅野へ引き返す。なんて情熱なんだ…。「木本くん、モテるんじゃろうなあ。」って城主が隣でつぶやいている。とにかく木本さんの行動力にみんなびっくり。さっきのメンバーが再び集まって、それから光本さんの息子たち、木本さんチームで照明の設置に取り掛かった。と、そんな経緯があって完成したのが獣道イルミネーションってわけだ。夜の20時、岡山城の竹灯りに使われていた照明が獣道をムーディに照らし、被災地はまるでフェスの会場みたいに、柔らかくて余韻の残る優しいムードへ変わってしまった。お昼には誰も想像もできなかった風景がここにある。まるでドラマだ。

結果として、道路ができたわけでもないし、懐中電灯でも問題はなかったと思う。はたからみれば、世界の隅っこでの小さな事件だったのかもしれない。だけど、そこにある実感が私にとって全てで、とっても尊いものだった。現場の違うそれぞれの切実な思いが同じ場所で交わった時、小さなビックバンが起こった。本当に世の中は偶然と必然でできているなあと思う。そして、それを作り出すのは、それぞれの「動く歩道」から逸脱した斜め上な行動なんだと思う。

それを繋ぎ合わせていくその光景に、私は社会と自分とのあり方を学んだような気がする。「横綱ずもうが取りてーなあ。」って日頃からぼやく城主だけど、ぴょんぴょん飛び回る舞の海がお似合いだと思うよ。今回のやり取りを見ながら、私は真田丸の源次郎が武将の周りを駆け回っている姿を思い出した。

照明作業の最中に、誰かと連絡を取り合っている城主があまりにニヤニヤしているので「楽しそうですね」って言ったらスルーされたので何だよ、と思って追い抜いてやったら、聞こえるように「ふふふっ」って笑う。「堀潤となー、昔みたいにサウダーヂのカウンターでつるんどる気分なんよ。」って、最初っからそう言ってよ。あなたは女子か。でも大変な時ほど笑えるってたくましいことだし、何より楽しいってのがいい。

いつか岡山中のみんなが「もう私、アマゾンの僻地でもどこでも生きていけるような気がするわw」とか言って笑いあえるようになったらいいのになって思う。

2018年07月18日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。