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寝ても覚めても。

例えば、恋にでも落ちてしまったら、その人のことが頭から離れなくなってしまって、ある日交わした少しだけの連絡を頼りにして日々を過ごす。会えない時間に会った時の準備をしながら過ごして、あーあ、頭が彼でいっぱいになっていることが嫌だな。おあいこじゃないと嫌だ。なんてことを思いながら、仕事終わりや休みの日に街の中を山ほど歩いて過ごしてみて、偶然を期待する自分に「だーかーらー!」とツッコミを入れたくなる。

寝ても覚めても、その人が浮かんでは日常に作用する。しまいには現実と夢の境界線すらうやむやになって、夢の続きがみたくて二度寝してギリギリまで続きを待って、しまいには永遠ループなんてことも。(夢の続きを見るという技も習得してしまった。)こんなやきもきを「恋」と呼んで、はたまた「好き」と伝えるための理由になるのだろうか。そうして、また結局その人のことを考えてしまう自分に「もう!おばかさん!」と嘆いてしまうのだった…。

とまあ、そんな感じでつまり、まるで恋でもしたかのようにヒバリでの日々は、相も変わらずがっつり私の日常に影響を及ぼしている。週刊私自身のネタを毎週考えてみるものの、ヒバリのことしか浮かんでこない。なんてバラエティに乏しい女なの…と嘆きながら今日まで熟考したけど、やっぱり寝ても覚めてもヒバリなのだ。

私は今、お金を稼ぐことの大変さをこれでもか〜!ってくらいヒバリにピーチクパーチクやられて実感している。エサを食わせろ!と鳴くヒバリちゃんの横で弁当作って雑貨を売って、残るお金に愕然とする。某有名社長がバスキアの作品を123億円で落札したというニュースを聞いて、また愕然。加賀さんとバスキアを合言葉に、相変わらず腸から元気を出してる日々だ。商店街を通るヤクルトさんから大好きなミルミルを買っていたら、さっちゃんから「買わされてどうするん!弁当売りつけんと!」と一喝浴びた。ごもっともすぎる…。

そういうわけで、ヒバリちゃんに気持ちよくさえずり続けてもらうために、できることを静かに地道に。ってことを先輩たちに教わって、ようやく腹を据えることができるようになってきた。その忍耐力が皆無に等しい私は、自分の出来なさと向き合うたびに日々落ち込んでいたけれど、個展をしている西脇さんの日記を読んで、私は静かに燃えていこうと決意した。寝ても覚めてもヒバリちゃん。いつか親友にでもなって、私の恋も応援してもらわねば。ヤクルトの件で私はギブアンドテイクの心を学んだのだ。


2017年06月01日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。