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おばあちゃんがぼけた。

「翔子(私)が結婚するて!」おばあちゃんは私の両親へそんな電話をかけてきたらしい。父からの長い着信を無視していたら、おばあちゃんがぼけたとのメールが入った。どこからつっこめばいいのかわからず、電話をかけ直そうとしたら私の携帯電話は何故かぶっ壊れていて通話ができなくなっていた。

ああ、面倒くさい。作業する手が止まって、そのまま私もフリーズした。

ついにこっちのおばあちゃんもぼけた。あっちのおばあちゃんはすでに施設へ入っている。女の人はぼけやすいのだろうか。私は両方のおばあちゃんに随分と長いこと会っていない。家族で大阪へ里帰りする時にも私は一緒に帰らないから、翔子は、翔子は、と言われるけれど、大体言われることは決まっているし、色んなことを心配されることも面倒くさい。そしたらついに、おばあちゃんの心配事はぼけの症状として表れてしまった。

小さな頃から可愛がってもらったことはよく覚えているけれど、私がひとりでおばあちゃん家にお泊まりにいったこと、外食に行けばすぐに「スパゲチー」とせがむこと、色んな思い出話を何度も聞かされてきたけど、大学生の時は孝行だと思って一緒に旅行もしたけれど、どうしても無視できないくらいに、どんどんリズムが噛み合わなくなっていた。

同じ分だけ歳を重ねているはずなのに、どんどんずれていく。どんどん、どんどん。そして今は多分これまでで一番遠いところにいる。

あと何回会えるのか、数えるほどのチャンスしかないとわかっているのに、私はこっそりと距離を置いている。その行為は周囲から「冷たい」と言われるけれど、私は他人の心配をできるほど心のキャパが大きくない。あっちのおばあちゃんに会ってないのに、こっちのおばあちゃんだけに会うわけにはいかないなんて、最もらしい理由をつけては会うことを避けている。

周りの目まぐるしい変化に、ちゃんと一喜一憂できる自分になりたいなあと思う。私の大好きな友人は最近妊娠した。しかも予定日は私の誕生日のすぐ近く。ここにも小さなリズムが誕生するらしい。

色んな人の色んなリズムが私の生きる世界には散らばっている。そういうちぐはぐしたものを噛みしめながら、自分のリズムをきちんと五線譜に残すことを大事にできるような、そんな風でいれたらいいなあと思う。

そして、そんな風にするには、毎日が過ぎるのが早すぎてびっくりする近頃です。


2017年05月01日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。