見出し画像

コメ騒動。

雨の中、サウダーヂなカワイイ代表と京橋朝市を歩いた。あの橋のたもとにある交番で傘をさしてたたずむ姿は、親指立ててイイネ!と言いたくなるくらい良い。そんな彼女と「寒いね」と言いながら、スパイスカレーを注文してテントの軒下で食べる。やさしいスパイスの香りが寝起きの身体にぴったりだ。すると、食べていた途中で店主が私に「もしよかったら、追加でルーをおかけしましょうか。サービスします。」と尋ねてきた。ん?私だけ?なんだか不思議なサービスだなと思っていたら、そんな彼が見つめる先には、白ごはんが残っている私のカレー皿。それではっと気づいて、「ありがとうございます。でも私は最後に白ごはんを味わいたいんです。」と伝えた。すると彼は「あ、そういう人もいますよね!」とほっと胸をなで下ろす。私の言葉を聞いて、隣にいたカワイイ代表も「ルーが足りないのかな、お腹いっぱいだったのかな、ってずっと考えてました。」と心配の声を並べた。どうやら、私の何気ない行動は2人をそわそわさせてしまっていたらしい。

思い返してみれば、こういうことは初めてではない。私はとにかく白ごはんが大好きだから、どんな時でも最後に少なくとも3口分は白ごはんを残して、おかずを食べ進めるようにしている。すごい激辛料理に白ごはんが欲しくなっても、必ず最後に3口残るように計算している。どんな食事の時でも、最後は白ごはんで口の中をフラットな状態にさせたい。なんなら1日の終わりは白ごはんと一緒に迎えたい。私は泣く子も黙る米ラバーだ。

だけど、そんな私のこだわりはきっと、芸人のとにかく明るい安村がパンツを履いているのかそうでないのかわからないのと同じくらいに、人をはらはらさせてしまう行為なのだ。つまり、みんな無意識のうちにごはんとおかずの配分をものすごい処理速度で計算していて、その配分比は日本人にとってごく普遍的なものであり、だからこそ計算間違いをしているであろう人をみると、とても心配になって仕方ないというわけだ。高校生の頃、友達に「そんなにごはん残して…おかずあげようか?」と言われて以来、私は色んなところで色んな人に同じような心配をされ続けている。親子ほど離れた上司に牛丼を買ってもらった時「つゆ抜きでお願いします!」と伝えたら「わしはお前がわからん。」と嘆かれたこともあった。

もしかすると、私がとろくさそうに見えるのは、そういう彼らの心配からやってきているのかもしれない。あの人は幕の内弁当を上手な配分で食べることもできないくらいにぼんやりした人だから、ちゃんと面倒みてあげないと、とか実は思われているのかも。本当は白ごはんを3口残すために、綿密な計算のもとでおかずを食べているというのに。これ以上、人様に余計な心配やご迷惑をかけてはいけないので、ここで声高らかに宣言しておこう。私の黄金比は、最後に白ごはん3口分です。だから人より余計に水を飲みます。

そんな些細なコメ騒動のあと、私と彼女は念願だったwatermark栗原さんの珈琲を片手に、雨から避難するように私のうちへ戻った。

2017年02月05日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。