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推し友のススメ

「推し」を作って本当に良かったと思えることがある。

「推し友」が沢山出来た事。

なぜ「推し友」がいいのかというと、推し友は妻であったり母であったり、はたまた町内会の一員であったり職場の一員であったりという肩書が関係ない間柄だから。

そこには亭主の悪口も子供自慢も孫の話も殆ど存在しない。

この心地よさを知ったら、もうリアル友には戻れないと思ってしまうこともある。
もちろんリアル友にはリアル友の良さがあるのも百も承知だけど。


なんせ自分が今一番興味があること、好きな事の話が前置きなしにできるんだもん、推し友。
楽しい話、懐かしい話、これからの話、何時間でも笑って話せるぞ、推し友。

推しの活動が沈下気味の昨今ではあるけど、それでも推し話は健在だし、それ以外の趣味話にも花が咲く。
あぁ、推しを作って良かったと思わずにいられない。

今は活動していない推しの友も接触は少なくなったけど、私の中ではずっと同志というポジションは変わらない。
向こうがどう思っていようが私にとっては生涯推し友。
きっと会った瞬間から推し思い出話で盛り上がるに決まってる。

その時の私は膝が痛かったり、血圧の薬を飲んでいたり、墓じまいの事を悩んでいたり、介護をしていたりする私ではない。
猛烈に体力のある、推しのためならどこまでも追っかけていける強い心を持った私に戻れるのだ。


推しを作った事がない人には推し友がいないのだと思うと、私は得してるなと思う。
関西人なので損得にはうるさいのだ。


追っかけ仲間である推し友たちはフットワークが軽い。
本人達は軽いと思ってないんだけどかなり軽い。

だって「推しが◯◯県で公演します」と言えば当然のように◯◯県に行くんだもの。

飛行機や新幹線をチャチャッと予約してホテルを予約して、コロコロにガバッと荷物を詰めてササっと行ってしまう。

追っかけ生活が長いと、普通じゃんって思いがちだけど普通じゃないらしい。
ボクサーくらいフットワーク軽いらしい。

だから金沢でお寿司食べたいよねぇなどという意見がうっかり合おうものなら、即「いつ頃行く?」と具体化する。

最高やん。


とてもおとなしい、ちゃんとした普通の友人がいる。
高校の時の友人で追っかけ経験はない。
「主人がどこにも連れてってくれないの」と言った時、意味がわからなくて3分くらいフリーズしてしまった。

「自分で行けばいいんじゃない?」と言うと今度はあちらがフリーズしてた。

でも多分、彼女側の人の方が多いんだろうな、まだ。

楽しい世界に引き摺り込んでくださった推し様たちには感謝しかない。
まあそのかわりお金は貯まらないけどね。
お金持って死ねるわけじゃないとか言うけど、歳を重ねるってそれだけでお金かかるからねぇ。
どうなるのかな、これから…とも思うけど、これだけ楽しく生きてきたんだから、まあいいか、というのが今の偽らざる心境でございます。


先週読んだ雑誌に載っていたかたせ梨乃さんの言葉が気に入っている。
一日に何度か呟いてみて、うん、その通りだなと思う。
当分この言葉が私の道標となりそうだ。

「大抵のトラブルは24時間経ったら笑い話になるのよ」

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