いつか見た日
外気は三十六度を超え、全国的に猛暑日となった。肌が痛くなるほどのカンカン照りの日差しに、熱せられたアスファルトに乗っていた自転車のタイヤのゴムも溶けだしそうだ。空を見上げる度に帽子のつばから差し込む太陽に、家族と出かけた遠い海や山の木陰、声が枯れるまで叫んだ高校生の夏の思い出が浮かび、これから一ヶ月、いや二ヶ月は続くこの暑さにうんざりし始めたところだった。
僕は自転車で仕事場に戻る途中、大通りの横断歩道を渡りきれないおじいさんの姿を見た。向こう側まであと三分の一ぐらい。とっくに信号は赤くなっていたが足が動いていない。僕は左右を何度も見て遠くから自動車が走ってくるのを確認した。再び信号を見るとそれは黄色に変わりやがて赤になった。漕ぎ出したペダルは重たくゆっくり進み、紫色のポロシャツを着たおじいさんの横に自転車を止めた。
「おじさん、大丈夫?」顔を覗き込んで僕は尋ねた。返事はなかった。ただ口が半分開いて、ヨダレがだらっと垂れていた。痩せこけた頬に白い髭が生えている。その目には何も捉えるものがなくただ空気を見つめ、今にも溶けだしそうだ。「とりあえずここにいると危ないから向こう側まで渡ろう」。そう言って背中に手を当てて少しだけ押してみると、とぼとぼと歩き出した。そのままなんとか足を進める姿を見ながら僕は仕事場に戻り、コップに一杯冷たい麦茶を飲みながらさっきのことを考えていた。きっとあのままだとあのおじいさんは倒れるだろうな。僕は空きペットボトルに麦茶を注いで、また自転車に乗って真夏に出る。十分ぐらい経っていたと思うが、まだ数メートルしか進んでいなかったあのおじいさんをすぐに見つけた。弁当屋の庇の影の下にいる。
「おじさん、お茶持って来たよ。暑いから水分ちゃんと取らないと」。小刻みに手を振るわせながら、一口、二口麦茶を飲むのを見届けた。かすれ声で、ありがとうとおじいさんが言うのが聞こえた。「うん、じゃあ行くね」。曲がり角で一度振り返っておじいさんのことを確認した。弱々しくも生き続ける人間の活力とそれを打ち砕こうとする自然の容赦ないエネルギーを感じながら、歓喜とも苦痛ともつかぬもので胸が苦しくなった。
二〇一八年、またこうして夏が始まろうとしていた。そう思ったら気づいた頃には夏は駆け足に僕を追い抜いて行くのだ。この夏に惹かれるのは、終わっていく夏があるから。帰り道、帽子のつばから覗く遠くの入道雲を見ながら今年の夏のことを思い浮かべるのであった。夏は愛おしくてたまらない。
二〇一八年七月一六日
この文章は僕が5年間いた釜ヶ崎のある夏の日の出来事です。
今でも思い出します。