『手当たり日記 55』 アラスカの年明け 2024年1月3日
石川県内や、県周辺に住む知人の安全が確認できて少し安心する。でも、ほとんどの場合、自宅や職場がかなりの損害を被っている。穏やかな日常を再び迎えられる日は遠いのだろうと、先を思うと僕まで憂鬱な気分になる。
以前お世話になった、輪島でひとりで宿をやっている方(滞在中に大学の先輩だと知った)は、古民家を改修した宿は、倒壊は免れたものの、大きな損壊状態にあるとSNSで投稿していた。「営業を諦めざるを得ない」とつづる。2年半ほど前宿泊した時に、この古民家で宿をやることになった経緯を聞いたことがある。東南アジアで青年海外協力隊の任期を終え帰国した後、石川の田舎で宿をやりたいと思い立ってから、この古民家に出会い、リノベーションし、ひとりでお料理を出して客を泊められるまでに時間がかかった、と言っていた記憶がある。地元のご近所さんや、知人からいろいろな手助けを得て温かい空間と料理が用意できるようになり、人々に少しずつ認知され、そして、旅人の大切な思い出の場所となり、1、2ヶ月先まで予約が埋まるひっそりと人気の宿になった。それが、今、突然の災いによって、絶望的な行き止まりのように感じられる気持ちを、想像する。「営業を諦めざるを得ない」。「今は」、なのか、「もう」、なのか。自分にできることがあれば、なんでもやりたい。
今日は午前中からまた祖父の絵の整理を始める。同じ場所を描くこともあり、一度見た作品なのか、今回初めて見る作品なのかわからなくなってくる。作業は延々続き、昼食を挟んで、また欲しい作品を横によけていくと、ついには、30枚くらいの山になった。その山には、構図がとても良くて、モチーフの濃淡が優れている、とても良い作品もあれば、美術館に飾られていたら「習作」とタイトルがつくようなものもある。地元の絵画サークルで、先生に教わったのであろう、スイカやパンなどをモチーフにした静物画も、僕のコレクションにいれた。いずれ適切な額縁を買って自分の家に置く予定だ。
実家で過ごす年末年始はきっと暇だろうから、本を3冊持っていった。しかし、そんなことはない。例年のことを考えてもそんなことはなかったはずなのに、いつも暇になって困った時のことを考えて本を持っていってしまう。結局、12月30日から1月3日までいて、本を読めたのは、1時間くらいだった。蕎麦を打ったり、おせちの準備をしたり、いとこや叔父叔母と話したり、両親と話したり、祖父の絵を整理したり、祖父母と話したり、みんなの昼食や夕食の準備を母とこなしたり、皿洗いしたり、など。やることはたくさんあった。夕方ころ、全く読み進められていない本を、またカバンに詰める。なんなら自室に置きっぱなしになっていて、もう一度読みたい本なども、持っていくために詰め込む。最終的には持ってきた本の3倍くらいの量になり、ボストンバッグが重い。
本で重くなったこのカバンは、学生のころアルバイトをしていた、環境アクティビズムの立役者的アウトドアアパレルの製品。6年くらいは使っているだろうか。薄い生地はとても丈夫だが、使わない時には小さくたたんでかさばらない。アラスカ留学中も、大学が休みの日にはこれに服や本を詰めて、アラスカネイティブ(アラスカ先住民)の、アッパータナナ族が住むノースウェイという村に行っていた。2018年から2019年の年明けも、その村で過ごした。人口は200人程度で、電気は通っているが、沼地に囲まれているため水道が通っていないような場所だった。もちろん携帯の電波はない。12月29日ごろに、その村出身のポリー(第二の母のようなひと)の車に同乗し、大学のあるフェアバンクスからカナダ方面に7時間ハイウェイを走り、ノースウェイに向かった。ノースウェイは、アラスカの中ではそれほど緯度は高くないが、年末年始の時期は気温が-50度まで下がることがある極寒の地だ。フェアバンクスも-40度まで気温が下がることはあるが、それよりも過酷だ。ハイウェイの景色が、ノースウェイに近づくにつれて少しずつ変わっていく。枝についた雪や氷の重さに耐えられず、道の方にお辞儀をするように曲がった樹氷のアーチの間を抜けていく。
12月31日は、大人こども問わず、村の200人が一堂に地域のコミュニティーホールに集まり、新しい年の到来を祝う。深夜までは、みんなで持ち寄った料理を食べたり、音楽をかけて歌ったり踊ったりする。ポリーは、仲の良い親戚との話に夢中になり、僕は手持ち無沙汰になる。だが、他にいく場所もないので、隅の方に座っている。休みの日に村に滞在していたとはいえ、僕のことをよく知っている人などあまりおらず、たまに見るあいつ、程度の認知度だ。みんなにジロジロ見られる。時間がえらい長く感じた。たまに、興味津々のこどもが僕のところへ駆け寄って、お前は先住民なのか、とか、中国人なのか、とか、何しにきたと聞きにくる。その度に、もっと僕に質問して相手をしてくれ、と思った。せっかく、自分で望んでその村で年越しをしようと思ったのだが、みんなに話しかけていく勇気もあまりない。寂しいというより、気まずかった。日付が変わる15分くらい前になると、ホールにいる皆がソワソワし出す。たまに僕をチェックしにくるこどもたちに聞くと、どうやら、新年を迎える瞬間に外で花火が打ち上がるらしい。
そして、年明け10分前。皆少しずつ、上着を着て極寒の外で出始める。僕も、ダウンを羽織り、ビーニーをかぶって外へ出ると、-40度の風が顔を包む。目が乾くから目を細める。鼻の中が冷やされ鼻毛が凍る。一息ついて空を見上げると、夜空は快晴だった。周りに光がないため、まるでこの宇宙にある全ての星が見えるよう。人工衛星すらも、すぐに目視できてしまうほどだ。全ての星が見えすぎて、星座なんてよくわからない。そんな空を眺めているうちに、誰かが大声でカウントダウンを始める。もうまもなく年が明けるみたいだ。僕は、誰と一緒というわけでもなく、でも、なんとなく知っているこの村のみんなと年を越そうとしている。そんな孤独な安心感が心地よかった。小声で僕もカウントする。ゼロと言うか言わまいか、すぐに花火が上がる。市販のものにしては大きなその花火に、大人もこどももみな同じような歓声を上げた。
素朴だけど、豊かな年越しの一瞬の思い出。
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