「フットボールの物語は永遠に」。23歳の記者と考えた、変わりゆくスポーツメディアの未来
新聞が売れない。本が売れない。雑誌が売れない。
近年、いわゆる「紙媒体」と言われるメディアの苦境が叫ばれている。一方でインターネットやソーシャルメディアの発達によって、世の中に情報が溢れ、その消費スピードはどんどん上がっていく。
毎日膨大な量の情報が生産され、消費され、埋もれていく。メディアの世界で働く1人として、自分の書いた記事がどんなにいい内容だったとしても、1週間も経てば世の中に忘れ去られ、そもそも果てしない量の情報の中に埋もれたまま気づかれていない可能性すらあるという事実を受け止めるのは少々悲しい。
情報の消費スピードが上がり続けることで、基本無料のウェブメディアが追求するのは「PV(ページビュー)」という表面上の数字になった。とりわけ掲載してすぐの初動の最大瞬間風速が重視され、読者にクリックさせるための見出しはどんどん過激になり、記事の中身がタイトルとかけ離れたものになっていることも珍しくない。
今年の夏、僕はコパ・アメリカを取材するため南米ブラジルに1ヶ月ほど滞在した。試合後の取材エリアはまるで戦場のよう。各国の記者たちが我先にと選手に食らいつき、なんとかコメントを引き出そうとする。その中で、他とはまるで違う雰囲気を醸し出していた1人のジャーナリストと知り合った。
見るからに経験豊富そうな記者たちが大半だった中、ひときわ若く、明らかに南米人ではない顔立ちをしている。何度か同じ会場で取材していたので、話しかけてみるとオランダ出身で23歳だという。自分よりも2歳若く、しかもオランダ語の他に英語とスペイン語を流暢に操るジャーナリスト歴10年という“ベテラン”だった。
コパ・アメリカ決勝の前日、一緒にリオデジャネイロの街をめぐりながら、様々な話を聞いた。ジャーナリストとしての考え方や感性、フットボール観には共感する部分が多くあり、現代のメディア文化に対する見解も興味深いものばかりだった。
ジャーナリストとしてフットボールの世界に関わり、メディアの変化も目の当たりにする中で、このままどんどん情報の消費期限が短くなり、発信が簡素なものになっていくとどうなるか。もしかしたら時代の要請なのかもしれないが、個人的にはフットボールのフットボールとしての魅力が失われていってしまうのではないかと危惧している。
そういった危機感と現実をうまくすり合わせながら、我々はどう進んでくべきなのか。23歳のオランダ人ジャーナリストが考える現代のフットボールメディアとは。そしてフットボールの本当の魅力とはいかなるものなのだろうか。
彼から聞いた言葉を翻訳(一部意訳)し、再構成したものを書き残すことで、メディアスポーツとしてのフットボールの未来を考えるきっかけとなれば幸いである。
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僕の名前はイェスパー・ラングブロークです。1996年3月19日生まれの23歳、フリーランスのフットボールジャーナリストとして活動しています。
僕にとってフットボールに関する最初の記憶は、6歳か7歳の時、地元のアマチュアクラブでプレーし始めたことです。当時をどんな感じだったか詳細に思い出すのは難しいですが、試合後にファンたちがビールを飲んだり友人と話したりするカフェテリアで、ゴールを決めるたびに父から50セントをもらってキャンディーを買っていたのをよく覚えています。素晴らしい思い出です。
フットボールジャーナリストとして仕事を始めたのは14歳の時でした。一般的には早すぎるのかもしれませんが、僕にとっては自然なことでしたね。フットボールが大好きで、それに関するウェブサイトなどもよく見ていました。ある時、兄が『Voetbaltube』というウェブサイトを見せてくれたんです。
それから毎日のようにそのサイトを見ていたら、ある日「ライターを探しています」という投稿があって、自分からメールを送りました。彼らは「OK、一緒に働こう」と言ってくれて、少額の報酬をもらいながら記事を書くようになりました。当時の僕にとっては、ちょっとした買い物をしたりするのにいいお小遣いでした。
その後、他のウェブサイトでも主にニュース記事などを書くようになって、インタビューなどもするようになりました。現場に出て、選手と話をすることもどんどん好きになっていきました。こういう仕事をすべきかどうかは別にして、ジャーナリストになることは僕の夢だったんです。
執筆活動を始めたばかりの頃は、ほとんどPCの前に座って、インターネットを見て記事を書いていました。それからしばらくして、確か16歳でインタビューを始めたと思います。最初は電話でしたね。
その後、外に出て直接取材もするようになりました。選手たちは僕が見るからに若いので、インタビューに行ってもファンと勘違いされることがありました。でも、若かったことで僕がやっていることに興味を持ってくれました。話を始めるにあたってのきっかけとしては、逆によかったと思っています。
過去にインタビューをした何人かの選手たちは、僕と同じようにちょうど23歳くらいになっていて、今でもいい関係性を築けています。同じ時代を生きてきて、同世代として似たようなバックグラウンドを持っていますから。そういう意味でも、若くしてフットボールジャーナリストとして活動を始めたのは、とてもポジティブなことだったと思いますし、僕の人生における最大の出来事でした。
高校に進んだ時には、自分がフットボールジャーナリストの道に進むだろうということがわかっていましたし、たくさん働いて、ジャーナリズムについても勉強しました。年齢を重ねていくにつれ、よりプロフェッショナルになっていきましたね。オランダの新聞『AD』や雑誌『Voetbal Internasional』といった、いくつかの媒体でインターンシップも経験しました。そして現在はフリーランスジャーナリストとして、様々な新聞や雑誌、ウェブサイトなどに寄稿しています。
フットボールはとても美しいスポーツだと思います。戦術や戦略、スキルといったあらゆる要素が好きです。そして人々がフットボールを愛する様を見たいんです。フットボールは世界中、どこにでもあります。それぞれの場所で、人々をつなげるツールとして機能しています。僕はいつも「スタジアムに行くのは、教会に行くのと同じようなもの」と言っています。共に歌い、あらゆる瞬間を楽しむことができる。もしチームが負けたら、一緒になって叫びます。そういった多様な感情や情熱を共有できるのがフットボールです。
僕は昨年10月、アメリカのサンフランシスコから旅を始めました。そこからずっと南に下って、メキシコ、グアテマラ、ニカラグア、エルサルバドル、コスタリカ、ペルー、ボリビアをめぐり、コパ・アメリカが行われるブラジルにたどり着きました。
今回の旅に限らず、世界中でフットボールを楽しみ、そこで見たことや感じたこと、人々の熱狂などを記事に落とし込んでいくことが僕がこの仕事をするうえでの情熱です。フットボールの世界で活動して、外に出て、多くの人々に出会い、選手たちと話すと、彼らが選手として、また人としてどのように成長してきたのかがわかります。僕自身、まだ何をどうすべきか完璧にわかっているわけではありませんが、そういったものを伝えていくのが僕たちの仕事だと思いますし、世界最高の職業だと思っています。
ただ、メディア業界は大きく変化してきていると思います。スポーツの分野でも同様です。人々は新聞を買わなくなり、オンラインで有料の記事を購入したり、新聞などと同じだけの情報を得るための方法を見つけています。
クラブが情報を発信するのも、以前よりはるかに簡単になっています。自分たちで1本のインタビュー動画を撮影して、クラブのウェブサイトに投稿すればOKで、そこにジャーナリストは必要なくなっているんです。同時に僕らのようなジャーナリストが選手と直接話すのは難しくなっていて、素晴らしい物語を直接聞ける機会はどんどん減っています。
この10年、フットボールにはたくさんの物語が生まれ、膨大な数の選手がプレーし、クラブや代表チームも世界中に無数に存在しています。とてつもない数の人々がフットボールを愛していますし、彼らはフットボールから生まれる素晴らしい物語の数々を読んだり、見たりしたいのです。
そういった物語は永遠に存在し続けますし、今後も変わらずに新しい物語が生まれ続けるでしょう。もちろん僕がただのフットボール好きだった14歳の頃も、あれから何年も経った今も、フットボールとは自分だけでなく世界中の人々が情熱を注ぐものであり続けています。フットボールは常にフットボールであり続け、それは不変です。
一方で、誰もが気軽に情報を発信できるようになったことで、人々はより安易に、自分の物差しで物事を判断するようになりました。例えばある選手のプレーが悪かったとしたら、すぐ家族にまで問題が及んでしまったりしますよね。そういった出来事の背後にある物語の中身は空っぽです。とても恐ろしいことです。
そしてインターネットの発達により、ジャーナリストですら、リアルな現場に足を運ばなくなっています。もはやGoogleで検索すればいいと。でも、スタジアムに足を運んで、そこであらゆるものを感じる経験は何物にも代えがたい。もちろんスタジアムの中だけでなく、そこにいる人々、周辺の地域にも物語があります。インターネットにはいい面と悪い面、両方があるのは間違いないと思います。
やはりスタジアムで試合を見るのと、テレビの前で試合を見るのは、全く違います。テレビで試合を見ていても、起こっていることの背景を全て見られるわけではないし、目の前のフットボールとともにスタジアムを満たす感情の全てを味わうことはできません。
テレビ観戦という選択肢もあっていいと思いますが、スタジアムに足を運んで、周りを歩いて、人々と話しをするのも興味深いことばかりです。直接触れてみて湧いてくる感情は面白いですよ。
例えば、僕たちが一緒に行ったヴァスコ・ダ・ガマのスタジアムがあった地域は、何も起きなかったですが、決して治安のいい地域でないのは間違いなかったですし、たどり着くのに時間もかかった。周りを見渡しても決していい雰囲気ではなかったですよね。でも、クラブにはポルトガル人たちによって設立された頃からの地元への誇りがあり、あのクラブならではのアイデンティティがあった。そういうことを肌で感じられるんです。そうやって足を運んで、周りの人たちとジョークを言い合いながら歩き回ってみると、いろいろなものが見えてきます。
フットボールを愛する人々は世界中にいます。どんなクラブにも、それぞれにアイデンティティがあり、関わる1人ひとりに歴史があり、同じフットボールというスポーツなのに、場所によって全く違った経験ができます。そしてフットボールは、ただのゲームかもしれませんが、ボール1つであらゆる人々をつなぐことができます。
僕は各地のスタジアムに行くと、必ずピッチに立とうと試みます。そこにあるのはただの芝で、端から端までの距離も100mくらい、特別なものではないかもしれませんが、誰もいないスタジアムのピッチに立つだけでも、そこで起こった様々な物語を感じ、客席に座る人々の愛を感じることができます。世界中、どこのスタジアムに行っても、素晴らしい感覚を得られるんです。
もしかしたら人によっては日常生活での怒りを、フットボールで発散して、自分たちを表現するかもしれません。そうやって、このスポーツではあらゆる感情が生まれます。最も重要な感情は、自分のチームの勝利を願う希望です。一度ダメでも、何度でも願い、希望を持ち続けて、チームが勝ったときにあらゆる感情が飛び出して、幸せを感じられる。
ただ、もう一度勝ちたいと思っても、続かないかもしれない。でも勝たなければいけない。その繰り返しに終わりはありません。どこか人生そのもののようですよね。立ち止まってはならず、前に進まなければいけない。
僕はフットボールジャーナリストとして、どこか人生のようなこのスポーツによって生まれる感情や物語を発信していきたいんです。自分はそういうタイプのジャーナリストだとも思っています。戦術を分析したりするタイプではないですし。
ピッチ上での物語はインスタグラムやツイッターでもある程度見ることができますが、フットボールにおいて最も重要なのはエモーショナルな部分だと思うんです。もしフットボールがただボールを蹴るだけのスポーツだったら、誰も好きにはならない。ボールの周りにはたくさんのものがあります。
感情もそうですし、スタジアム、音楽、文学、フットボール選手に関するポエムだって。例えばファベーラ出身の少年がフットボール選手になってお金持ちになる、というだけで物語になるし、その選手がアドリアーノのように酒に溺れて……こういう物語は世界中に転がっています。
人々がフットボールを愛するのは、フットボールが物語を紡ぐからであって、そこから選手のモチベーションを喚起するようなメッセージを発することだってできるし、人生について歌うことだってできる。ピッチ上の90分間にとどまらない、それこそがフットボールです。
そういった物語を記事として描き続けて、人々にいい影響を与えるのが僕のジャーナリストとしての夢です。もっと多くの人々に記事を読んでもらって、毎日フットボールについて執筆を続けられれば、僕は幸せです。
今の時代、毎日、毎時間、毎分、毎秒、インターネット上では無料の記事がたくさん生産されています。新聞を買って、椅子に座り、ページをめくって、ゆっくりと紙面を読むことはなくなってきています。もはやウェブサイトすら見る必要がないのかもしれない。それは長い物語を描くうえでは問題になるかもしれません。
僕たちはスマートフォンでSNSを開いて、自分の興味を持った記事だけを読むようになってきています。そういったサービスは自分の好みに合った記事を勧めてきて、クリックすると広告からお金が入るモデルになっています。ですが、僕は長い物語に対し、読者が書き手に違う形でお金を払う、新しい方法を見つけられると信じています。
多くの人々が、常に長い物語を求めているとも思います。なぜなら、僕たちは自分自身の物語の中で生きているからです。物語はどんなところにもあり、すべての人々が自分の物語を持っていて、それらはそれぞれ違った興味深い物語で、お互いから学ぶのです。それらは人生におけるバイブルのようなものです。
フットボールも同じで、常に物語があります。僕たちはそういった物語を紡いでいかなければなりません。お金が少ししかもらえなくても、人々に影響を与えられる、お金より価値のある物語を発信していくことが僕の目指すゴールです。
僕はこの仕事が大好きです。生きていくのに十分なお金がもらえれば幸せですよ。なんと言ったって、時々仕事とは思えないような体験ができるのですから。コパ・アメリカの決勝をスタジアムで見られるようなね。それに文句なんて言えないでしょう。僕たちはいつだって、人々が読みたいと思うストーリーがあれば、それを形にして発信することができるんです。
そういった素晴らしい物語を読んだときに、人々はそこから強い影響を受けます。僕たちはしばしば起こったことをすぐに記事にして世に出さなければなりませんが、フットボールによって生まれる感情や情熱、アイデンティティ、歴史といったものは時間という概念を超越しうると思います。だからこそ、自分の見聞きしてきたフットボールにまつわる物語を記事という形で描けることこそが、僕にとっての幸せなんです。
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