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群馬支部練習日記(2001.11.17)

昔(20年以上前!)書いた練習日記ですが、参考になる人もいると思うのでこちらに転載します。 

2001/11/17(晴れ)浜川運動公園
参加者( )内は新しくやったこと
関口(活歩三合炮、撃歩)
山岸
小山(伸肩法の斜め移動)
反町 一日体験
片山
松本(撃歩)

先週は雨のため新井邸でビデオ学習だったが、本日はちょい暖かめの練習日和。
公園に着くと関口くんと山岸くんが身体を動かしている。
関口くんは最近入会した新人。見た目肉体労働系の男だが、実はデザイナーだそうだ。人は見かけに寄らないものだ、とつくづく思う。伝統空手を長らくやっていて、全国大会入賞(型、組手とも)の経験を持つ。こちらは見かけから、頷けるが。
松本くんから「仕事で遅れますが、なるべく急いで行きます!」とTELが入る。彼は練習熱心な男。ほとんど練習を休んだことがない(ハズ)。日曜の朝練(8時半~)にもよく来ていた(今は日曜はやってない)。秘宗拳学習希望だが、通背拳もやってもらっている。
はるばる玉村からチャリでやって来たのが、反町くん。先週雨の中、やはりチャリで見学に来たのだが、ビデオ学習のみで終わってしまったので、本日出直してもらったのだ。玉村から高崎までのチャリはハッキリ言ってキツイ。ボクだったら、考えもしないことだ。
小山は、師弟。一時は新宿、蒲田にも顔を出していた。こいつは時々しばらく休んで忘れた頃ひょっこり顔を出す。通背の他にも、不二流躰術、八極拳などいろいろかじっているが、どれが本門と決めきれないでいるような。まぁ、熱心と言えば熱心かも。
10時を過ぎたので練習スタート。先ずは揺臂法。単手後揺から。
一日体験者反町くんには立ち方から指導。
先ず、虚歩(しゅーぶぅ)。一本線を引いて、その線上に後ろ足の踵を置き、足先を45度の角度で開くように する。後ろ足の踵から自分の足二つ分の距離をとり、そこに前足の踵を置く。爪先を線上に置くが足を真っ直ぐではなく、少し爪先を内側に向ける。膝を内側に絞ることにより、金的への攻撃を多少なりとも入りにくくするためだ。体重は前足に三分、後ろ足に七分載せる。一般の虚歩は前足の踵を浮かすがうちでは踵は浮かさない。靴を履いてはいるが、足の指で地面を掴むようにして立つ。前後の足幅を自分の足二つ分で指導しているが、これは師父は普通言わない。ボクの経験によるものだ。先生によっては、前足の踵と後ろ足の踵まで拳三つ分とか四つ分とか言う人(劉延善師伯とか)もいるが、うちは割と広め。師父が秘宗拳出身だからかもしれない。一般的に大連の通背の多くは歩幅がせまい。
それから、舌先を上顎前歯の付け根に軽く付け、口を閉じ鼻で呼吸することを注意する。これは、誤ってベロを噛まないという意味と上顎と下顎で途切れる経絡を繋ぐ意味もあるそうだ。あとは身体をリラックスさせる。
揺臂法は腕をグルグル回す練習。
初めてやる人の多くは、肩の力で回してしまうが、それは誤り。直ぐに肩が痛くなってしまい、何十回も続けることができない(ちなみに群馬支部では通常100回単位で行う)。腰の回転と脚のバネを使う(脚のバネを使うなという人もいるが)。これができるようになると数百回連続でやっても肩は痛くならない。肩の柔らかさを養うと共に、腰の回転する力を手に伝えることも学ぶのだ。
揺臂法の前揺は実際の技では、撩陰掌の意味を持つ。
説明が長くなったので、他のはいつか機会があれば、ということで割愛。
この後、揺臂法の後揺と双手、揺腕法、揺腰法、開合、悠帯、撒網式と行い、活歩で捜掌、挑掌、磨手、伸肩法と進む。
揺腕法は通常の横、縦の他に少林門の川口くんから教わった両手を胸前でグルグル(反対グルグルも)も行う。これはかなり良い手首の練習方法だと思う。
それから活歩の捜掌、挑掌、磨手は50m位の距離を往復して行う。基本的に活歩で行えるものは、慣れたら活歩で行うのが良いと思っている。いくら手が早くても相手に届かなければ意味がない訳で、それを可能にするのはやはり脚(歩法)。常に歩きながら技を出す習慣をつけるためにも活歩は大事。これは五行掌その他にも言えること。
伸肩法は、最初は前進、そして、後退、その後、斜めへの移動。それができるようになったら、それらを組み合わせ自由に動き回りながら行う。
ここらで片山がチャリで遅れて来る。片山も割と遠くからチャリで来る。以前は車だったが、経済的問題からチャリに変えたそうだ。その割りには高いチャリ(プジョーだったか)を買ったが。
次は圧腿、公園外れのフェンスに移動。側圧腿と正圧腿。脚の柔軟も大事。それが終わったら、踢腿。
正、斜、側、擺蓮、里合、分脚、蹬脚、斧刃脚、二起脚、旋風脚、騰空擺蓮、側転。
圧腿、踢腿やると通背もうまくなると思う。特に、下半身が安定する。
ここで小休止。下が芝生だと寝転がれるので、気持ちが良い。
片山が一日体験反町くんに話しかける。以前来ていた中学生と間違えたようだ。「彼は一日体験だよ」と言うと間違いに気づいて照れ笑い。しかし、しばらく見て「もしかして反町くん?」。「なんで知ってるんだよぉ」と聞くと、「馬庭念流」に見学に来たことがあるそうな>反町くん 
片山は念流の道場にも通っている。聞けば、反町くんは県内近郊の武術道場をチャリで訪ね歩いているとか。大間々(大東流)までチャリで行ったと聞き、またびっくり(30~40kmある)。反町くん凄すぎ。そこまで熱心なんだから、自分にあった道場を見つけられると良いなと思う。玉村の知り合いの道場(通備門)も紹介してあげた。
さて休憩タイムも終わり、五行掌単式。久々にビデオを持ってきたので、一人ひとり録る。
摔、拍、鑽はミット打ちも行う。摔、拍などに比べて劈がみんなイマイチ。腕を伸ばした劈は、揺臂法単手後揺のつもりでやれば、比較的簡単にうまく威力が出せると思うが、強く早く打とうとするためか、みんな肩もしくは腕の力で打ってしまって、力が途中で途切れている感じ。片山を手本に説明する。身体全体をしならせスパーンと打ってもらいたい。特に背中。劈は背中で打つのだ。
それから劈がイマイチなので挑もダメ。わざわざ腕を持ち上げている感じになってしまう。劈が上手くできれば挑もスパーンと決まるハズ。例えて言うなら、投げたボールが壁にぶつかって跳ね返ってくるような感じ。
そして、散手(対練)。先ずは三合炮。定歩は、まぁできるようになったので活歩。
活歩はいろいろなやり方があるが、一番簡単な拗歩引手から摔で半歩出て、拍で膝上げ、その足を下ろしながら鑽。手はある程度早くても、それに足を合わせるのはなかなか難しいもの(足の方が遅いから)。初めはゆっくりでも良いから、手と足のタイミングを合わせるようにする。それもある程度できる人は鑽拳の時、少し多めに歩を進め、後ろ足を強く踏みつけるように引きつけるやり方を教える(撃歩)。鑽拳の距離が伸びる上に威力もあがる お得な歩法。
関口くんは初めて一ヶ月というところだが、下半身がとても安定している。流石は空手を長くやっていただけのことはある。撃歩ができそうだったので指導する。
今日は前半、ビデオ撮りをしたりして時間がかかったので、対練は三合炮のみ。最後に一列に並んで、号令に合わせて活歩三合炮。輪になって整理体操、そして養身功、台頭望月をやって本日の練習終了。
反町くんに、「何か質問ある?」と聞くと
「通背拳には発勁はあるんですか?」(ありがち(^-^;)
「君は発勁ってどんなものだと思ってるの?」
「打つと身体の内部に力が浸透するような・・」
「それは発勁の一種だね。それだけが発勁ではないけど。」
「はぁ」
「『拳児』とか読んだことあるの?」
「ないです」
「日本で発勁というと神秘的なものと思われている場合が多いけど、中国語で発勁は『勁を出す』だよ。勁は力。正しい方法で打ち出されたものはみんな『発勁』さ。例えば、今日、君に摔を教えたけど、その摔を行って、打ち出されたものは『発勁』だよ。ただ君の摔とボクの摔は同じではない。ボクは十数年練習をしているからね。発勁は出来る出来ないを論じるのではなく、その威力が大きいか小さいか、それが巧いか稚拙かなどを論じる類のものだよ。そう言う意味で言えば、通背拳には発勁はあるよ。こんな答えで良い?」
「はい。わかりました。」
「じゃあ、君を打ってあげるよ」
「えっ」
「思いっきりは打たないから平気」
と言って、一発目は縦拳で腹を打ち、二発目は透骨拳で腹を角度を変えて打つ。
「同じくらいの力で打ったつもりだけど、二発目のが効いたろ?」
「はい」
「二発目は角度を変えたからね(握り方も変えた)。ちょっとしたことでも効き方は変わるんだよ」
「はい」
「こんなところかな。他にある?」
「う~ん、特にないです。」

ついでに以前、某所で書いたものを。

「勁と気と呼吸」
(これが全て、これこそが正しいというものではないので、参考程度に(^-^;)

先ず「勁」(師父はあまり「勁」とは言いません。「心聚力」と言っています。意味するところは同じだと思います。)ですが、『正しい動作から導き出される「チカラ」』だと思っています。ですから「発勁」は(正しい動作、方法を知っていれば)「できる」「できない」ではなく、功夫の度合いによって、「巧」「拙」、或いは、その威力が「大」「小」という類のものだと思ってます。

通背拳は、腰から発生したチカラを、背、肩を通し(このあたりが門派の名称「通背」に関係してます)、主要な攻撃部位である手へ伝えます。この時、チカラの伝わり方は、鞭のように波打つ感じです(招法にもよりますが..)。(開合、纏絲、etc..も併用しますが)

次ぎに「気」です。
「気感」は武術を練習するようになって(何時からかは定かではありませんが)からはありました。伸肩法などをした時に感じる、指先がしびれるような、腫れるような感覚です。しかし、これは自分以外の人に「ある」と証明はできません。自分で感じているような気がしているだけかもしれません。

微妙な感覚ですので、ゆっくりとした動作(伸肩法、明堂功など)でないとよくはわかりません。

ボク自身としては、掌、指先に「気」のようなものを感じることはできますが、これが丹田で発生した気が移動してきているのかは、よくわかりません。「先ず丹田に気を集めて、それを順繰りに手まで移動して」と意識しないで、「いきなり手に感じる(集める)」として、「移動」というのをあまり考えてないのがいけないのかもしれません。

また、ボクが感じている「気」が攻撃にどのような影響を与えている(威力を増すとか)かもよくわかりません。

通背拳だと物理的速度の速い連打系の攻撃が多いので、その全てに「気」を結びつけるのは難しいように感じます。「虚実」の「実」の時とかに合わせるようにするとか..。

通背拳以外で「気」に関してですが、1991年、河南省へ武術交流に行った時、厳広財師伯(秘宗門)の紹介で于憲華老師から「金剛力功」という気功の指導を受けました。練習の大半は、下丹田を意識しながらの站樁(軽く膝を曲げた姿勢で、1回1時間弱を午前2回、午後2回)でした。

その站樁の練習が進んだある日、「気を出す」練習をしました。手を軽く握って中指の第一関節(手の甲側)のあたりから、反対の掌に向かって「気」を出す練習です。ボクはこの練習を自分自身で行う時、受ける掌には、なにも感じなかったのですが、常松師父にやってもらったところはっきりと「なにか」を感じました。師父の手の通りに「ピリピリ」としたモノが動いたのを感じたのです。他人の「気」を感じたのは、これがはじめてでした。

あとは、下丹田を打ってもらう練習(気がたまっていると耐えられる)や掌での煉瓦割り(2~3枚重ねて。但し中国の煉瓦はそんなに硬くないです(^-^;)頭での煉瓦割りなども行いましたが、「気」が影響していたかはわかりません。

金剛力功の初期の練習では、「下丹田」に意識を集中し「気」を集めます。それが感じられるようになったら、その「気」を「中丹田」に上げ、さらに「上丹田」に上げる練習も行うそうです。于憲華老師は「瞬時に意図した場所に移動する」事も修練により可能と言ってました。

最後に「呼吸」について(連打の時の)
大前提は「打つ時に吐く」です。そして、「自然に」とよく言われます。ボクの場合、三発連打するとしたら、呼吸は「三発目に吐く(1~2発はとめて)か「ふっふっふっ(短く吸う吐く×3)」だと思います。 連打と一口に言っても虚実、タイミングはさまざまですので、その時々によって呼吸はいろいろだと思います。

2001.11.18 竹影清風 わたる/新井 亘

拍掌
劈掌
三合炮
摔掌
鑽拳

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