三浦義澄〈転生記外伝〉
三浦義澄には兄がいた。杉本城を居城とする杉本義宗という名の兄だった。
父である三浦義明に代わって家督を継いだものの、早々に安房での紛争で深手を負い亡くなった。
隠居した父は復帰せず、そのまま三浦義澄が家督を継ぐことになった。
兄の子、義盛はまだ十代半ばと青年というにはまだ幼かった。
兄の遺領である和田御厨にちなんで和田義盛と名乗った。
本来なら三浦義澄が兄の義宗の弟として三浦家を支え、いつか家督を継ぐ義盛の大叔父としてしっかりと後押するはずだった。
それが兄の突然の死で義盛が義澄を補助し、義盛が一族の重鎮として庇い続けることとなった。
三浦義澄と和田義盛の運命は逆転した。
そんな境遇にも義盛は屈折せず、畠山重忠との衣笠での戦いで父を亡くした時も、壇ノ浦で平家を滅ぼした時も、義盛は気丈に振る舞い、三浦一族を鼓舞してきた。
そんな義盛の粉塵ぶりに頼朝様は義盛を称え、侍所別当という御家人たちの武を統率する役務を義盛に与えてくださった。
義盛が侍所別当になった故か、周りからは分家のくせにとか、三浦家はどちらが当主かわからぬなど風聞は時折聴こえてきた。
そんな世間の噂などどこ吹く風で、義澄はなんとも思わなかった。個の武の力量で侍所別当という地位を賜り、一方で好漢で下々からは惹かれる義盛にむしろ誇りに感じていた。
梶原景時を誅殺してしばらく後、義澄は病に伏せることが多くなった。
そろそろ三浦家も代替わりを考えねばならない。そんな折に義澄は嫡男である義村にこう告げた。
「三浦家と和田家の両輪があれば三浦一族に敵うものなどおらぬ。くれぐれも心に刻むように。忘れるでない」